開化天皇の第二皇子。
母は伊香色謎命で後の物部氏の系譜に連なる。
異父兄に彦太忍信命(磐之媛の祖)。
異母弟に彦坐王(神功皇后の祖)。
19才で皇太子となる。
父帝が崩御した翌年の1月13日に即位。
2月16日に従妹の御間城姫を皇后とし、
活目命(後の垂仁天皇)や倭彦命らを得た。
即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、
大物主神を祀ることで治めた。
即位10年、武埴安彦(たけはにやすびこ、孝元天皇の皇子)の反乱を鎮め、
四道将軍を各地に派遣した。
即位12年に戸口を調査して初めて課役を科したことで御肇国天皇と称えられている。
即位65年、任那から朝貢があった。
即位68年、崩御。
3世紀後半ごろに実在した大王と推定されるが、定かではない。
宮(皇居)の名称は、
『日本書紀』では磯城瑞籬宮(しきのみずかきのみや)、
『古事記』では師木水垣宮(しきのみずかきのみや)。
伝承地は奈良県桜井市金屋の志貴御県坐神社。