小窓
日本書紀(にほんしょき)

作成日:2021/3/9

『日本書紀(にほんしょき)』は奈良時代、 元正天皇西暦720年養老4年)に完成したと伝わる。
古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、 『六国史』の第一にあたる。

神代から持統天皇の時代までを扱い、 漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。

成立時は『日本紀』と呼ばれていた、あるいは『日本紀』が正しい名称であるとの説があるが確定するものはない。

天武天皇の命令で(異論もある)、 皇子の川島皇子や舎人親王らの撰で、 『続日本紀』によると西暦720年養老4年5月)に完成したと書かれている。

原文
創生編-日本神話・神社まとめ
原文wiki
現代語訳

概要

『日本書紀』は、 元正天皇の養老4年5月(西暦720年)に完成したと伝わる、 わが国最初の勅撰国史(天皇の命で編修された国の歴史)。
日本に伝存する最古の正史で、『六国史』の第一にあたる。
撰者(編者)は天武天皇の皇子の舎人親王
ほかに紀清人らがいる。

全30巻で、 巻1・2は神話的性格の濃い「神代紀」。
巻3の「神武紀」以下、 巻30の「持統紀」までは、 年月の順に歴代天皇の事蹟や歴史上の事件が漢文で記された編年体で記述されている。
系図1巻が付属したが失われた。

同じく奈良時代に編纂されたとされる『古事記』と較べ、 はるかに多彩で「帝紀」「旧辞」のほか、 朝廷の記録や個人の手記、 中国の史書、 さらに朝鮮半島に関しては、「百済記」等も記されている。

養老4年5月21日(西暦720年)に
是より先、一品舎人親王、勅を奉けたまはりて日本紀を修む。是に至りて功成りて奉上ぐ。 紀卅巻系図一巻なり。
(『続日本紀』新古典大系版)  

日本書紀の完成の記事は、是のみである。
舎人親王は、『続日本紀』を編纂した時の編集局である撰日本紀所の長官を務めた。(794)
天武天皇の10年3月17日(681)に

天皇は大極殿にお出ましになり、 川嶋皇子・忍壁皇子・広瀬王・竹田王・桑田王・三野王・大錦下上毛野君三千・小錦中忌部連首・小錦下阿曇連稲敷・難波連大形・大山上中臣連大嶋・大山下平群臣子に詔して、帝紀および上古の諸事を記し校定させられた。大嶋・子首が自ら筆をとって記した。
(全現代語訳 『日本書紀』 宇治谷 孟著)

この記事には主語がないので、日本書紀に関するものとは断定できない。
しかし、 12名の名が挙がっていることから、 日本書紀またはそれに類するものを作ろうとしていたことが想定できる。
「続紀」7年(西暦714年)2月条に
戊戌、従六位上紀朝臣清人、正八位下三宅臣藤麻呂に詔して、国史を撰せしめたまふ。

この記事は、完成の西暦720年に近い記事なので、スタッフの追加の記事と思われる。

「天武天皇の10年3月17日(西暦681年)」の記事が、 日本書紀のことであれば、 日本書紀より8年早く完成した古事記より、 日本書紀の方が早くから編纂に取り掛かっていたことが考えられる。

上の12名のスタッフには、含まれていないが、 「弘仁私記」という平安朝の「書紀」の講義ノートに、

一品舎人親王、従四位勲五等太朝臣安麻呂等、勅を奉けたまはりて撰ぶ所なり。

と記されているのもよく知られているが、 ただし真偽の確認は取れない。(歴史読本734号138ページより)

『日本書紀』一覧

巻第一
  • 神代上(かみのよのかみ)
    • 第一段:天地開闢と
巻第二
巻第三
巻第四
巻第五
巻第六
巻第七
巻第八
巻第九
巻第十
巻第十一
巻第十二
巻第十三