小窓
孝元天皇(こうげんてんのう/かうげんてんのう)

作成日:2019/9/29

  《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第8代天皇 孝元天皇(こうげんてんのう/かうげんてんのう)  欠史八代の一人で実在性に乏しい。

[在位] 紀元前214年孝元天皇元年1月14日) - 紀元前158年孝元天皇57年9月2日)《紀》
[生没] 紀元前273年孝霊天皇18年) - 紀元前158年孝元天皇57年9月2日) 116歳没《紀》
[時代] 伝承の時代
[先代] 孝霊天皇   [次代] 開化天皇
[和風諡号] 大日本根子彦国牽天皇《紀》
[] 大日本根子彦国牽尊《紀》、大倭根子日子国玖琉命《記》
[父親] 孝霊天皇   [母親] 細媛命
[皇后] 欝色謎命埴安媛(はにやすひめ)
[皇居] 軽境原宮
[陵所] 劔池嶋上陵
[子女] 稚日本根子彦大日日尊開化天皇)、大彦命少彦男心命
    倭迹迹姫命彦太忍信命武埴安彦命

年表

天皇の系譜(初代から第9代)
紀元前273年孝霊天皇18年)
大日本根子彦国牽尊(のちの孝元天皇)誕生。
紀元前255年孝霊天皇36年)
1月、大日本根子彦国牽尊(のちの孝元天皇)19歳で立太子。
紀元前214年孝元天皇元年)
(1月14日)孝元天皇 即位
紀元前211年孝元天皇4年)
(3月)軽境原宮遷都
紀元前208年孝元天皇7年)
(3月)欝色謎命立后
紀元前193年孝元天皇22年)
(1月)稚日本根子彦大日日尊(のちの開化天皇)を皇太子とする。
紀元前158年孝元天皇57年)
(9月2日)孝元天皇 崩御。享年は116歳、『古事記』では57歳という。
紀元前153年開化天皇5年)
(2月6日)劔池嶋上陵に葬られた。

略歴

孝霊天皇の皇子。
母は皇后で磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命(細比売命)。
同母兄弟はいないが、異母兄弟に倭迹迹日百襲姫命・彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)・稚武彦命らがいる。
19才で皇太子となる。
先帝が崩御した翌年の1月に即位。
即位4年、軽の境原宮に都を移す。建国の地である橿原にほど近い。
即位7年、穗積臣の祖の欝色雄命の妹の欝色謎命を皇后として大彦命稚日本根子彦大日日尊(後の開化天皇)らを得た。
また伊香色謎命、埴安媛を妃にしている。
伊香色謎命との間には葛城氏、蘇我氏の祖となる彦太忍信命を得た。
埴安媛との間には崇神天皇の代に反乱を起こすことになる武埴安彦命を得た。
即位57年、崩御

漢風諡号である「孝元天皇」は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された。

事績

『日本書紀』・『古事記』とも系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。

親族

祖父:孝安天皇   祖母:細媛命日本書紀』、 細比売『古事記
父親:孝霊天皇   母親:細媛命日本書紀
皇后:欝色謎命 - 穂積臣遠祖の欝色雄命(内色許男命)の妹。
妃:伊香色謎命(いかがしこめのみこと、伊賀迦色許売) - のち開化天皇の皇后で崇神天皇の母。
妃:埴安媛(はにやすひめ、波邇夜須毘売) - 河内青玉繋の娘。

宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では軽境原宮(かるのさかいはらのみや)、『古事記』では軽之堺原宮。
宮の伝説地は、現在の奈良県橿原市大軽町・見瀬町周辺と伝承される。
見瀬町では、牟佐坐神社(古くは「境原天神」とも)境内が宮跡にあたるとして参道に「軽境原宮阯」碑が建てられている。

陵・霊廟

陵(みささぎ)の名は劔池嶋上陵(剣池島上陵:つるぎのいけのしまのえのみささぎ)。
宮内庁により奈良県橿原市石川町にある遺跡名「中山塚1-3号墳」に治定されている。
円墳2基・前方後円墳1基からなる。
宮内庁上の形式は前方後円。

陵について『日本書紀』では前述のように「劔池嶋上陵」、 『古事記』では「剣池之中岡上」の所在とあるほか、 『延喜式(諸陵寮)』では「劔池嶋上陵」として兆域は東西2町・南北1町、守戸5烟で遠陵としている。
しかし後世に所伝は失われ、元禄の探陵で現陵に治定された。

また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに孝元天皇の霊が祀られている。

考証

実在性
孝元天皇を含む綏靖天皇(第2代)から開化天皇(第9代)までの8代の天皇は、 『日本書紀』『古事記』に事績の記載が極めて少ないため「欠史八代」と称される。
これらの天皇は、 治世の長さが不自然であること、 7世紀以後に一般的になるはずの父子間の直系相続であること、 宮・陵の所在地が前期古墳の分布と一致しないこと等から、 極めて創作性が強いとされる。
一方で宮号に関する原典の存在、 年数の嵩上げに天皇代数の尊重が見られること、 磯城県主や十市県主との関わりが系譜に見られること等から、 全てを虚構とすることには否定する見解もある。
名称
和風諡号である「おおやまとねこひこ-くにくる」のうち、 「おおやまとねこひこ」は後世に付加された美称(持統・文武・元明・元正の諡号に類例)、 「くにくる」は国土(くに)に綱をかけてたぐり寄せる(くる)様子を表すと見て、 孝元天皇の原像は「くにくる(国牽/国玖琉)」という名の国引きの神であって、 これが天皇に作り変えられたと推測する説がある。

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大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと)

孝元天皇の諱(いみな)。

孝霊天皇の皇子。母は細媛命(くわしひめのみこと)。