孝霊天皇の皇子。
母は皇后で磯城県主(または十市県主)大目の娘の細媛命(細比売命)。
同母兄弟はいないが、異母兄弟に倭迹迹日百襲姫命・彦五十狭芹彦命(吉備津彦命)・稚武彦命らがいる。
19才で皇太子となる。
先帝が崩御した翌年の1月に即位。
即位4年、軽の境原宮に都を移す。建国の地である橿原にほど近い。
即位7年、穗積臣の祖の欝色雄命の妹の欝色謎命を皇后として大彦命、稚日本根子彦大日日尊(後の開化天皇)らを得た。
また伊香色謎命、埴安媛を妃にしている。
伊香色謎命との間には葛城氏、蘇我氏の祖となる彦太忍信命を得た。
埴安媛との間には崇神天皇の代に反乱を起こすことになる武埴安彦命を得た。
即位57年、崩御。
『日本書紀』・『古事記』とも系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。
宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では軽境原宮(かるのさかいはらのみや)、『古事記』では軽之堺原宮。
宮の伝説地は、現在の奈良県橿原市大軽町・見瀬町周辺と伝承される。
見瀬町では、牟佐坐神社(古くは「境原天神」とも)境内が宮跡にあたるとして参道に「軽境原宮阯」碑が建てられている。
陵(みささぎ)の名は劔池嶋上陵(剣池島上陵:つるぎのいけのしまのえのみささぎ)。
宮内庁により奈良県橿原市石川町にある遺跡名「中山塚1-3号墳」に治定されている。
円墳2基・前方後円墳1基からなる。
宮内庁上の形式は前方後円。
陵について『日本書紀』では前述のように「劔池嶋上陵」、
『古事記』では「剣池之中岡上」の所在とあるほか、
『延喜式(諸陵寮)』では「劔池嶋上陵」として兆域は東西2町・南北1町、守戸5烟で遠陵としている。
しかし後世に所伝は失われ、元禄の探陵で現陵に治定された。
また皇居では、宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに孝元天皇の霊が祀られている。