崇神天皇の第3皇子。
生母は皇后の御間城姫命(みまきひめのみこと、大彦命の娘)である。
異母兄の豊城入彦命をこえて、24才で皇太子に立てられる。
父帝が崩御した翌年の1月2日に即位。
即位2年に彦坐王(天皇の伯父)の娘の狭穂姫を皇后とした。
即位5年に皇后の兄の狭穂彦が叛乱を起こし、皇后もこれに従って兄と共に焼死した。
即位15年2月、丹波道主王の娘の日葉酢媛命を新たな皇后として大足彦尊(景行天皇)、倭姫命らを得た。
即位25年、五大夫を集めて祭祀の振興を誓い、伊勢神宮、武器奉納、相撲、埴輪、鳥飼といった様々な文化の発祥に関わったとされる。
即位37年、大足彦尊を立太子。
即位99年に140歳で崩御、『古事記』に153歳。
実在したとすれば3世紀後半から4世紀前半ごろの大王と推定されるが、定かではない。
宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では纒向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、
『古事記』では師木玉垣宮(しきのたまかきのみや)。伝承地は奈良県桜井市穴師周辺。
なお京都府久世郡久御山町市田の地には宮城跡とされる地域があり、
その地には垂仁天皇と和気清麻呂を祭った珠城神社(久世郡久御山町大字市田小字珠城2-1)がある。
陵(みささぎ)の名は菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)。
宮内庁により奈良県奈良市尼辻西町にある遺跡名「宝来山古墳」に治定されている。墳丘長227メートルの前方後円墳である。宮内庁上の形式は前方後円。