現代の学者(一覧)
作成日:2023/9/14
足立倫行
足立倫行(あだち のりゆき) 西暦1948年3月25日 -
足立倫行は、日本のノンフィクション作家。
デビュー作の『人、旅に暮らす』以来、同時代人の生きる意味を探索している。
西暦2003年より「境港フィッシュ大使」を務める。
大山盛保
大山盛保(おおやま せいほ)
西暦1912年11月2日 -
西暦1996年
大山盛保は、沖縄県の実業家、アマチュア考古学・古生物学研究家。
ガソリンスタンド経営の傍ら、庭石から見つけた化石を手掛かりに、港川フィッシャー遺跡を独力で発掘し、旧石器時代の人類である港川人の人骨を発見したほか、古生物の研究でも多くの業績をなした。
西暦2012年、日本人類学会から学会功労賞を受賞し、
同年12月23日には生誕100年を記念して故郷の北中城村に記念碑が建立された。
実業家として成功を収めた大山が化石の調査に乗り出したのは西暦1967年11月、
55歳の時だった。
大和岩雄
大和岩雄(おおわ いわお)西暦1928年2月15日 -
日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。
大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。
長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、
江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。
西暦1942年、
官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、
西暦1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、
国語と音楽を教えていた。
西暦1948年12月に退職し、
長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。営業部員に小澤和一がいた。
西暦1956年年5月、小澤和一と共に青春出版社を設立。実用書路線で成功を収める。
西暦1960年、
社の経営権を小澤に譲渡。
創刊まもない「青春の手帖」誌と共に新たな出版社を設立。
西暦1963年7月、大和書房と改名。
西暦1964年、不治の病で死を間近にした女子大生とその恋人との往復書簡集「愛と死をみつめて」を出してミリオンセラーとなる。
西暦1966年2月4日、札幌の雪祭りに出かけ、飛行機で帰る予定だったのが、翌日東京から来る人に会いたくなって空港行きのバスを途中で降りた。
その全日空機は羽田沖で墜落(全日空羽田沖墜落事故)、新聞に死亡記事も出て弔電がたくさん来た。
同年11月14日に母を亡くしたことを機に、38歳で編集者を引退し、以後は経営に専念する。
西暦1973年、関連会社として大和出版を設立。
西暦1974年に鈴木武樹の提案で季刊歴史雑誌『東アジアの古代文化』を創刊し、鈴木が多忙により4号で編集を降りたため、第5号から西暦2005年1月の終刊号(第137号)まで編集を担当。
自らも古代史に関心を持ち、多くの古代史研究書を自ら著し刊行する。
西暦1988年、大和書房社長を退き会長となる。
小島憲之
小島憲之(こじま のりゆき) 西暦1913年2月15日 - 西暦1998年2月11日
国文学者、
大阪市立大学名誉教授。
上代文学、和漢比較文学専攻。
鳥取県生まれ。
京都帝国大学文学部卒業。
大阪市立大学教授を務めた。
西暦1965年『上代日本文学と中国文学』で日本学士院賞恩賜賞受賞。
主著に『国風暗黒時代の文学』がある、『
万葉集』、『日本書紀』校注の仕事を行なった。
笹川尚紀
笹川尚紀(ささかわ なおき) 西暦1973年 -
西暦1973年 石川県七尾市に生まれる。
西暦2996年 明治大学文学部史学地理学科日本史学専攻卒業。
西暦1998年 京都大学大学院文学研究科修士課程修了。
西暦2001年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。
西暦2004年 京都大学大学院文学研究科博士後期課程修了(文学博士)。
西暦2005年 日本学術振興会特別研究員(PD)。
西暦2007年 京都大学埋蔵文化財センター助教。
西暦2016年 京都大学文化財総合研究センター助教。
瀧音能之
瀧音能之(たきおと よしゆき) 西暦1953年 -
日本の歴史学者、
駒澤大学教授、
島根県古代文化センター客員研究員。
日本古代史専攻。
北海道生まれ。
西暦1977年早稲田大学第一文学部日本史学科卒、
西暦1987年明治大学大学院日本史学博士課程満期退学、
西暦1994年「古代出雲地域史の研究」で早大博士(文学)。
島根県古代文化センター研究員、
駒澤大学文学部教授。
武光誠
武光誠(たけみつ まこと) 西暦1950年4月10日 -
日本の歴史学者、明治学院大学教授。
山口県生まれ。
東京大学大学院国史学専攻に学び、
西暦1980年頃から明治学院大学に勤務。
西暦2008年、
東京大学博士課程修了、
「古代太政官制の研究」により博士(文学)を取得した。
明治学院大学教養教育センター教授。
古代
律令制が専門だが、
古代史に関する雑書を若いころから書き、
日本史全般から世界史まで200冊近い一般向け書籍を書いている。
名字についての研究家でもある。
田中卓
田中卓(たなか たかし) 西暦1923年12月12日 - 西暦2018年11月24日
田中卓は、日本の歴史学者。
皇學館大学名誉教授。
皇學館大学学事顧問。
皇學館大学元学長。
有限会社青々企画代表。
専門は日本古代史。
文学博士(旧制・國學院大學)。
大阪府出身。
寺村光晴
寺村光晴(てらむら みつはる)
西暦1924年新潟県生まれ。
1960年国学院大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士課程修了。
現在、和洋女子大学名誉教授、文学博士
西宮一民
西宮一民(にしみや かずたみ) 西暦1924年7月18日 - 西暦2007年5月6日
日本の国文学者・国語学者。
皇學館大学元学長。
勲三等旭日中綬章。
博士(文学)(京都大学、西暦1994年)(「古事記の研究」)。
奈良県桜井市出身。
生家は談山神社の社家。
古田武彦
古田武彦(ふるた たけひこ) [生] 西暦1926年(大正15年)8月8日 [没] 2015年(平成27年)10月14日
古田武彦は、日本の思想史学者・古代史研究家。
元昭和薬科大学教授。
専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。
宝賀寿男
宝賀寿男、寶賀壽男(ほうが としお) 西暦1946年4月17日 -
宝賀寿男は、日本及び北東アジアの古代史・系譜の研究者。
日本家系図学会及び家系研究協議会の会長。
元大蔵省(現財務省)の官僚で、現在は弁護士。
北郷泰道
北郷泰道(ほんごうひろみち) 西暦1953年 -
宮崎県生まれ。
立正大学文学部史学科考古学専攻卒業。
元宮崎県立西都原考古博物館主幹、
宮崎公立大学非常勤講師、
宮崎県埋蔵文化財センター所長、
南九州大学非常勤講師。
主要著書:『熊襲・隼人の原像』吉川弘文館、1994年(第5回宮日出版文化賞受賞)等
丸山二郎
丸山 二郎(まるやま じろう) 西暦1899年12月15日 - 西暦1972年6月30日
日本の歴史学者。千葉大学教授。専門は日本古代史。
西暦1899年(明治32年)12月、
福島県耶麻郡千里村(現在の耶麻郡猪苗代町)に生まれる。
福島県立会津中学校、第三高等学校を経て、西暦1924年(大正13年)、
東京帝国大学文学部国史学科を卒業。同時に東京帝国大学文学部副手となる。
西暦1926年(大正15年)、
姫路高等学校教授となるが、
西暦1929年(昭和4年)に辞職し、
黒板勝美の要請によって『新訂増補国史大系』(以下国史大系と略記)編纂の事務局長となった。
以後、
黒板をたすけて国史大系の編纂に従事し、
西暦1936年(昭和11年)11月に黒板が病で倒れたのちは、
同書編纂の中心的役割を果たした。
国史大系の編纂にあたるまでの丸山は、
考古学や人類学に興味を示していたが、
歴史書の校訂に特別の関心を示していなかったという。
太平洋戦争が激化した西暦1943年(昭和18年)、
文部省古典編修部の嘱託となり、
『日本書紀』の校訂に従事した。
丸山はこの『日本書紀』校訂の組板を国史大系の『日本書紀』にも利用しようとしたという。
たが、
この事業は東京大空襲によって挫折してしまった。
戦後も、
坂本太郎らとともに国史大系の編纂に従事し、
主に戦前から続けていた『日本書紀』の校訂にあたった。
西暦1947年(昭和21年)、
病床にあった黒板勝美が死去した後は、
国史大系編纂の代表となり、西暦1951年(昭和26年)に、
国史大系本『日本書紀』を出版(なお、同書刊行にあたり文部省研究成果刊行補助金をうけた)。
約10年ほど中絶した国史大系の出版がここに復活した。
以後、
西暦1964年(昭和39年)まで国史大系の全巻刊行まで、
編纂事業にあたり、
同年、国史大系刊行の功績により国史大系編修会の代表者として朝日文化賞を受賞した。
西暦1972年(昭和47年)6月死去。72歳。
安本美典
安本美典(やすもと びてん) [生] 西暦1934年2月13日
安本美典は、日本の心理学者・日本史研究家(古代史)。
文章心理学、計量比較言語学日本古代史の分野で著書及び論文がある。
日本行動計量学会会員。
満州国生まれ。