小窓
開化天皇(かいかてんのう/かいくゎてんのう)

作成日:2019/9/29

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第9代天皇 開化天皇(かいかてんのう/かいくゎてんのう)  欠史八代の一人で実在性に乏しい。

[在位] 紀元前158年孝元天皇57年11月12日) - 紀元前98年開化天皇60年4月9日《紀》)
[生没] 紀元前208年孝元天皇7年) - 紀元前98年開化天皇60年4月9日 111歳没《紀》 63歳没《記》
[時代] 伝承の時代
[先代] 孝元天皇   [次代] 崇神天皇
[和風諡号] 稚日本根子彦大日日天皇
[] 稚日本根子彦大日日尊《紀》  若倭根子日子大毘毘命《記》
[父親] 孝元天皇   [母親] 欝色謎命
[皇后] 伊香色謎命
[夫人] 丹波竹野媛姥津媛鸇比売
[皇居] 春日率川宮
[陵所] 春日率川坂上陵
[子女] 御間城入彦五十瓊殖尊崇神天皇)、御真津比売命《記》、彦湯産隅命
    彦坐王建豐波豆羅和氣王《記》

年表

天皇の系譜(初代から第9代)
紀元前208年孝元天皇7年)
稚日本根子彦大日日尊(のちの開化天皇)誕生
紀元前193年孝元天皇22年)
(1月)稚日本根子彦大日日尊(のちの開化天皇)16歳で立太子
紀元前158年孝元天皇57年)
(9月2日)孝元天皇116歳で崩御
(11月12日)開化天皇 即位
紀元前157年開化天皇元年)
(10月)春日率川宮遷都
紀元前152年開化天皇6年)
(1月)伊香色謎命立后
紀元前130年開化天皇28年)
(1月)御間城入彦五十瓊殖尊(のちの崇神天皇)を皇太子とする。
紀元前98年開化天皇60年)
(4月)開化天皇115歳()で崩御。(『古事記』では63歳)。
(10月3日)春日率川坂上陵(または坂上陵)に葬られた。

略歴

孝元天皇の第二皇子。
母は皇后で欝色雄命(内色許男命、穂積臣遠祖)の妹の欝色謎命
同母兄弟には大彦命・少彦男心命・倭迹迹姫命、異母兄弟には彦太忍信命・武埴安彦命がいる。
16才で皇太子となる。
父帝が崩御した同じ年の11月に即位。
翌年、春日の率川宮に都を移す。
以前の都とは大きく離れた大和盆地の北に位置している。
即位6年、孝元天皇の妃(側室)だった伊香色謎命を皇后として御間城尊(後の崇神天皇)らを得た。
また丹波竹野媛、和珥臣の祖の姥津命の妹の姥津媛を妃にしている。
姥津媛との間には狭穂彦命、狭穂姫命、日葉酢媛命、神功皇后の祖となる彦坐王を得た。
即位60年、崩御

漢風諡号である「開化天皇」は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された。

事績

『日本書紀』・『古事記』とも系譜の記載のみに限られ、欠史八代の1人に数えられる。
又、14代仲哀天皇の皇后である神功皇后の五代祖である。

親族

祖父:孝霊天皇   祖母:細媛命日本書紀
父親:孝元天皇   母親:欝色謎命
皇后:伊香色謎命 - 元は孝元天皇の妃。
妃:丹波竹野媛(たにわのたかのひめ、竹野比売) - 丹波大県主由碁理の娘。
妃:姥津媛(ははつひめ、意祁都比売命) - 姥津命(日子国意祁都命、和珥氏祖)の妹。
妃:鸇比売(わしひめ) - 葛城垂見宿禰の娘。
『帝王編年記』『本朝皇胤紹運録』など中世編纂の史書には、 以上の后妃のうち鸇比売のみが見えず、 代わりに吉備津彦命の女の包媛(色媛か?)が挙げられている。
『住吉大社神代記』では、彦太忍信命を開化天皇の子とする。

宮(皇居)の名称は、 『日本書紀』では春日率川宮(かすがのいざかわのみや)、 『古事記』では春日之伊邪河宮。
宮の伝説地は、 現在の奈良県奈良市本子守町周辺と伝承される。
同地では、 率川神社境内が宮跡にあたるとされる。
この説は開化天皇陵にも近く優勢であるが、 一方で奈良市春日野町の東の四恩院廃寺付近とする説もある。

陵・霊廟

陵(みささぎ)の名は春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)。
宮内庁により奈良県奈良市油阪町にある遺跡名「念仏寺山古墳」に治定されている。
墳丘長約100メートルの前方後円墳。
宮内庁上の形式は前方後円。

陵について『日本書紀』では前述のように「春日率川坂本陵(坂上陵)」、 『古事記』では「伊邪河之坂上」の所在とあるほか、 『延喜式(諸陵寮)』では「春日率川坂上陵」として兆域は東西5段・南北5段、在京戸10烟を毎年あてる旨とともに遠陵としている。
近世には近隣の念仏寺の墓地になったため墳丘は削られたが、 幕末に墓地の移転と陵の修補がなされて現在に至っている。

また皇居では、 宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに開化天皇の霊が祀られている。

考証

実在性
綏靖天皇(第2代)から開化天皇(第9代)までの8代の天皇は、 『日本書紀』『古事記』に事績の記載が極めて少ないため「欠史八代」と称される。
これらの天皇は、 治世の長さが不自然であること、 7世紀以後に一般的になるはずの父子間の直系相続であること、 宮・陵の所在地が前期古墳の分布と一致しないこと等から、 極めて創作性が強いとされる。
一方で宮号に関する原典の存在、 年数の嵩上げに天皇代数の尊重が見られること、 磯城県主や十市県主との関わりが系譜に見られること等から、 全てを虚構とすることには否定する見解もある。
また古代日本では4倍年暦が使用されており、 その場合開化天皇の治世60年は実年で15年となり、 他豪族との系譜関係から崇神天皇の兄弟または従兄弟とすれば、 開化天皇が実在した可能性が高くなる。
名称
和風諡号である「わかやまとねこひこ-おおひひ」のうち、 「わかやまとねこひこ」は後世に付加された美称(持統・文武・元明・元正の諡号に類例[9])、 末尾の「ひ」は神名の末尾に付く「ひ」と同義と見て、 開化天皇の原像は「おおひひ(大日日/大毘毘)」という名の古い神であって、 これが天皇に作り変えられたと推測する説がある。

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稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおひひのすめらみこと)

開化天皇の諱(いみな)。

孝元天皇の第2皇子(『古事記』では第3皇子)。母は皇后・欝色謎命(うつしこめのみこと)。