小窓
彦坐王(ひこいますのおう)

作成日:2023/5/26

日本書紀』では「彦坐王(ひこいますのみこ/ひこいますのおう)」
古事記』では「日子坐王(ひこいますのみこ/ひこいますのおう)」
他文献では「彦坐命/彦今簀命(ひこいますのみこと)」
生没年不詳。記紀等に伝わる古代日本の皇族。

第9代開化天皇の第三皇子で、 第12代景行天皇の曾祖父である。
事績に関する記載は少ないが、『古事記』において詳細な系譜が記される人物である。

日本書紀』では事績に関する記載はない。 『古事記』では後述のように丹波派遣伝承が記されるのに対して、 『日本書紀』では子の丹波道主命四道将軍の一人として丹波に派遣されたとしている。

古事記崇神天皇段)』では、 日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、 玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)を討ったという

墓は、宮内庁により岐阜県岐阜市岩田西にある日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)に治定されている。宮内庁上の形式は自然石。 隣接して伊波乃西神社が鎮座し、日子坐命(彦坐王)に関する由緒を伝える。

系譜

日本書紀開化天皇紀)』によれば、 第9代開化天皇と、 和珥臣(和珥氏)遠祖の姥津命の妹の姥津媛(ははつひめのみこと)との間に生まれた皇子である[1]。同書における子女に関する記載は、垂仁天皇紀において丹波道主命が子である旨のみである(ただし丹波道主命は彦湯産隅王の子という異伝も併記)。

古事記』では、開化天皇と丸邇臣(和珥臣に同じ)祖の日子国意祁都命の妹の意祁都比売命(おけつひめのみこと)との間に生まれた第三皇子とする[1]。続けて、王の子女に関して次のように記載する(表記は『古事記』を第一とし、括弧内に『日本書紀』ほかを記載)。

后妃・皇子女
妃:山代之荏名津比売(やましろのえなつひめ、苅幡戸辨) - 山代県主祖の長溝命の女。
  • 大俣王(おおまたのみこ)
    • 孫:曙立王 - 伊勢之品遅部君祖、伊勢之佐那造の祖。
    • 孫:菟上王 - 比売陀君の祖。
  • 小俣王(おまたのみこ) - 当麻勾君の祖。
  • 志夫美宿禰王(しぶみのすくねのみこ) - 佐佐君の祖。
妃:沙本之大闇見戸売(さほのおおくらみとめ) - 春日建国勝戸売の女。
  • 沙本毘古王(さほびこのみこ、狭穂彦王) - 日下部連祖、甲斐国造の祖。
  • 袁邪本王(おざほのみこ) - 葛野之別祖、近淡海蚊野之別の祖。
  • 沙本毘売命(さほびめのみこと、狭穂姫命/佐波遅比売) - 垂仁天皇の前皇后。
  • 室毘古王(むろびこのみこ) - 若狭之耳別の祖。
妃:息長水依比売命(おきながのみずよりひめのみこと) - 天之御影神の女。
  • 丹波比古多多須美知能宇斯王(たんばひこたたすみちのうしのみこ、丹波道主命
    • 孫:比婆須比売命(日葉酢媛命) - 垂仁天皇の後皇后、景行天皇の母。
    • 孫:真砥野比売命(真砥野媛) - 垂仁天皇妃。
    • 孫:弟比売命 - 垂仁天皇妃。
    • 孫:朝廷別王 - 三川之穂別の祖。
  • 水之穂真若王(みずのほまわかのみこ) - 近淡海之安直の祖。
  • 神大根王(かむのおおねのみこ、八瓜入日子王) - 三野国之本巣国造の祖、長幡部連の祖。
  • 水穂五百依比売(みずほのいおよりひめ)
  • 御井津比売(みいつひめ)
妃:袁祁都比売命(おけつひめのみこと) - 彦坐王の母の意祁都比売命の妹。
  • 山代之大筒木真若王(やましろのおおつつきまわかのみこ)
    • 孫:迦邇米雷王 - 子に息長宿禰王
    • 孫:息長帯比売命(神功皇后
    • 孫:息長日子王(吉備品遅君祖、針間阿宗君祖)
    • 孫:大多牟坂王(大陀牟夜別、但遅麻国造祖)
    • 等々・・・
  • 比古意須王(ひこおすのみこ)
  • 伊理泥王(いりねのみこ)

後裔

氏族

古事記』では、 次の氏族が後裔として記載されている。

ら諸氏族の祖であると記されている。

新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。

国造

古事記』では、

であると記されている。

『先代旧事本紀(国造本紀)』では、次の国造が後裔として記載されている。

考証

古事記』に見えるように、 彦坐王は春日・沙本・山代・淡海・旦波ら諸豪族を血縁で結ぶ地位に位置づけられている。 このことから、彦坐王の系譜は和珥氏や息長氏を中心とする畿内北部豪族らにより伝えられたとする説があるほか、 そうした畿内北部における広域的な連合政権の存在の暗示が指摘されている。

なお、垂仁天皇朝に見える狭穂彦王(沙本毘古王)の反乱伝承から、 「崇神 - 垂仁」に対立する「彦坐王 - 狭穂彦」の皇統があったとする説もある。