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地質時代区分

作成日:2019/7/27

地質時代区分(ちしつじだいくぶん)は、 地質時代を地質学的な手法で区分したものである。
地球誕生から現在までを定義している。 「地質時代」は「地質年代」とも呼ばれる。

時間的長さは、 地質絶対年代決定法という岩石や鉱物の中に現存する放射性元素と、 壊変してできた元素の量を計り、 その比から計算して求める。

地球の歴史は、 直近数千年の記録の残っている「有史時代」以前の歴史は、 地質学的な手法でしか研究できない「先史時代」を区分するものである。

地質時代区分は「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」で区分される。
「先カンブリア時代」のように「累代」の上に時代と言う区分を置くことがある。

     h2 h3 h4    h5
時代 累代 始期 期間
先カンブリア時代 冥王代 約46億年前 6億年
 太古代(始生代) 原太古代 約40億年前 4億年
古太古代 約36億年前 4億年
中太古代 約32億年前 4億年
新太古代 約28億年前 3億年
原生代 古原生代 シデリアン 約25億年前 2億年
リィアキアン 約23億年前 2.5億年
オロシリアン 約20.5億年前 2.5億年
スタテリアン 約18億年前 2億年
中原生代 カリミアン 約16億年前 2億年
エクタシアン 約14億年前 2億年
ステニアン 約12億年前 2億年
新原生代 トニアン 約10億年前 2.8億年
クライオジェニアン 約7億2000万年前 8500万年
エディアカラン(エディアカラ紀) 約6億3500万年前 9400万年
  顕生代 古生代 カンブリア紀 テレニュービアン フォーチュニアン 約5億4100万年前 1200万年
ステージ2 約5億2900万年前 800万年
シリーズ2 ステージ3 約5億2100万年前 700万年
ステージ4 約5億1400万年前 700万年
ミャオリンギアン ウリューアン 約5億0900万年前 450万年
ドラミアン 約5億0450万年前 400万年
ガズハンジアン 約5億0050万年前 350万年
フロンギアン ペイビアン 約4億9700万年前 300万年
ジャンシャニアン 約4億9400万年前 450万年
ステージ10 約4億8950万年前 450万年
オルドビス紀 下部/前記 トレマドキアン 約4億8540万年前 770万年
フロイアン 約4億7770万年前 770万年
中部/中期 ダーピンジアン 約4億7000万年前 270万年
ダーリウィルアン 約4億6730万年前 1890万年
上部/後期 サンドビアン 約4億4840万年前 310万年
カティアン 約4億4530万年前 10万年
ヒルナンシアン 約4億4520万年前 140万年
シルル紀(ゴトランド紀) ランドベリ ラッダニアン 約4億4380万年前 300万年
アエロニアン 約4億4080万年前 230万年
テリチアン 約4億3850万年前 510万年
ウェンロック シェイウッディアン 約4億3340万年前 290万年
ホメリアン 約4億3050万年前 310万年
ラドロー ゴースティアン 約4億2740万年前 180万年
ルドフォーディアン 約4億2560万年前 260万年
プリドリ --- 約4億2300万年前 380万年
デボン紀 下部/前期 ロッコビアン 約4億1920万年前 840万年
プラギアン 約4億1080万年前 840万年
エムシアン 約4億0760万年前 1430万年
中部/中期 アイフェリアン 約3億9330万年前 560万年
ジベティアン 約3億8770万年前 500万年
上部/後期 フラニアン 約3億8270万年前 1050万年
ファメニアン 約3億7220万年前 1330万年
石炭紀  ミシシッピアン 下部/前期 トルーネシアン 約3億5890万年前 1220万年
中部/中期 ビゼーアン 約3億4670万年前 1580万年
上部/後期 サープコビアン 約3億3090万年前 770万年
ヨーロッパでは、ミシシッピ文化とペンシルバニアン文化は、低地の大陸堆積物の1つの多かれ少なかれ連続したシーケンスであり、石炭紀としてグループ化されている。">ペンシルベニアン 下部/前期 バシキーリアン 約3億2320万年前 800万年
中部/中期 モスコビアン 約3億1520万年前 820万年
上部/後期 カシモビアン 約3億0700万年前 330万年
グゼリアン 約3億0370万年前 480万年
ペルム紀(二畳紀) シスウラリアン アッセリアン 約2億9890万年前 468万年
サクマーリアン 約2億9352万年前 342万年
アーティンスキアン 約2億9010万年前 660万年
クングーリアン 約2億8350万年前 1055万年
グアダルピアン ローディアン 約2億7295万年前 415万年
ウォーディアン 約2億6880万年前 370万年
キャピタニアン 約2億6510万年前 600万年
ローピンジアン ウーチャーピンジアン 約2億5910万年前 496万年
チャンシンジアン 約2億5414万年前 223.8万年
中生代 三畳紀 下部/前期 893 インドゥアン 約2億5190.2万年前 70.2万年
オレネキアン 約2億5120万年前 400万年
中部/中期 アニシアン 約2億4720万年前 520万年
ラディニアン 約2億4200万年前 500万年
上部/後期 カーニアン 約2億3700万年前 1000万年
ノーリアン 約2億2700万年前 1850万年
レーティアン 約2億0850万年前 720万年
ジュラ紀 下部/前期 ヘッタンギアン 約2億0130万年前 200万年
シネムーリアン 約1億9930万年前 850万年
プリンスバッキアン 約1億9080万年前 810万年
トアルシアン 約1億8270万年前 860万年
中部/中期 アーレニアン 約1億7410万年前 380万年
バッジョシアン 約1億7030万年前 200万年
バトニアン 約1億6830万年前 220万年
カロビアン 約1億6610万年前 260万年
上部/後期 オックスフォーディアン 約1億6350万年前 620万年
キンメリッジアン 約1億5730万年前 520万年
チトニアン 約1億5210万年前 710万年
白亜紀 下部/前期 ベリアシアン 約1億4500万年前 520万年
バランギニアン 約1億3980万年前 720万年
オーテリビアン 約1億3260万年前 320万年
バレミアン 約1億2940万年前 440万年
アプチアン 約1億2500万年前 1200万年
アルビアン 約1億1300万年前 1250万年
上部/後期 セノマニアン 約1億0050万年前 750万年
チューロニアン 約9390万年前 410万年
コニアシアン 約8980万年前 350万年
サントニアン 約8630万年前 270万年
カンパニアン 約8360万年前 1150万年
マーストリヒチアン 約7210万年前 610万年
新生代 古第三紀 暁新世 ダニアン 約6600万年前 440万年
セランディアン 約6160万年前 240万年
サネティアン 約5920万年前 320万年
始新世 ヤプレシアン 約5600万年前 820万年
ルテシアン 約4780万年前 650万年
バートニアン 約4120万年前 349万年
プリアボニアン 約3771万年前 381万年
漸新世 ルペリアン 約3390万年前 608万年
チャッティアン 約2782万年前 479万年
新第三紀 中新世 アキタニアン 約2303万年前 259万年
バーディガリアン 約2044万年前 447万年
ランギアン 約1597万年前 215万年
サーラバリアン 約1382万年前 219万年
トートニアン 約1163万年前 439万年
メッシニアン 約724万年前 190.8万年
鮮新世 ザンクリアン 約533.2万年前 173.2万年
ピアセンジアン 約360万年前 101.2万年
第四紀 更新世 ジェラシアン 約258万年前 78万年
カラブリアン 約180万年前 114.5万年
チバニアン 約77.4万年前 64.5万年
後期更新世 約12.9万年前 11.73万年
完新世 グリーンランディアン 約1.17万年前 10,880年
ノースグリッピアン 820年前 400年
メーガーラヤン 420年前 ---

先カンブリア時代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。
4つの累代の内、 古い方の3つの累代である「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」には、 その上の階層として「先カンブリア時代(Precambrian [age])」が設定されている。

先カンブリア時代は、 地球が誕生した約46億年前から、 顕生代.古生代.カンブリア紀の始まる約5億4100万年前までの40億5900万年の期間を指す。 これは、 地球誕生から現在までの地球の年齢の88%以上になる。

この時代の岩石は、 世界の楯状地を形成して分布し、 大部分が片麻岩、 結晶片岩などの変成岩や花崗岩などの深成岩であるが、 先カンブリア時代後期の岩石には各種の堆積岩がある。
また氷河堆積物や砂漠気候を指示する堆積物なども知られている。

化石はきわめて少ないが、 20億年前頃の岩石から石墨や石灰岩などが多く出て、 藍藻類に属するとみられる石灰藻やバクテリア化石が見つかっている。
最古の化石として約30億年前の藻類が南アフリカから報告されているので、 生命の発生はかなり古いとみられる。 ...
先カンブリア時代の地球
地球は約46億年前に、 太陽の周囲を廻る軌道にあった天体、 すなわちミニ惑星が合体して形成されたとされる。
小さな塵などが合体して火星ほどの大きさになり、 それがさらに10個ほど衝突して現在の地球となった。
このうち最後の衝突はジャイアント・インパクトと呼ばれ、 ができる原因になったとされる。
原始地球の表面は岩石が溶けたマグマの海で覆われ、 水は水蒸気、雲として大気中に存在していた。
やがて微惑星の衝突がおさまり表面温度が下がると地殻が形成され、 水蒸気は雨として降り海洋を形成したと考えられている。

こうした活動が続いたこともあり、 約40億年前には地球のほぼ全体が海で覆われるようになった。
現在地球上で見つかっている最古の岩石が約44億400万年前のものであることから、 少なくともこの頃までには地殻は形成されていたようである。

40億年前から38億年前の期間に、 それまで減少傾向だった隕石の衝突が再び急激に増加したことが月のクレーターの調査から明らかになり、 隕石重爆撃期と呼ばれるようになってきたが、 なぜ太陽系ができてから6億年も経った時期に隕石の衝突が増えたのか、 原因はまだ分かっていない。

先カンブリア時代の生命
生命がいつ誕生したかについては諸説あるが、 グリーンランドのイスア地方で、 38億年前の岩石に生命由来のものと思われる炭素の層が見つかっている。
35億年前の細菌類の化石が、 南アフリカのオルフェルワクト層のチャートから発見されている。

西オーストラリアビルバラ地域では保存状態が良好な34億6,000万年前以前の原核生物の化石(ワラウーナチャートとエイベックスチャートという岩石から出たもの)が発見されている。 また、 同時期の地層からメタン生成の証拠が出ており、 メタン菌はユーリ古細菌の特定クレードに集中することから、 この時期既に生物の分化が進んでいた可能性がある。

生命が発生したのは早ければ43億年前であるとする研究者もいる。
このように先カンブリア時代を通して、 原始的生命体が生きていた確実な証拠が見つかっている。 ...
およそ27億年前頃までには、藍色細菌が現れた。
藍色細菌が光合成を行う際に不必要なものとして廃棄された物質が酸素であり、 これらの生物が光合成を行い続けるにつれて、 わずかにではあるが酸素の濃度は少しずつあがっていった。
酸素は後に、 他の生命が生息していくための一つのエネルギー源にもなる物質として利用されることになる。
系統解析からは、 太古代の終わりには細菌古細菌の多くの門が出そろったと推定されている。

22億年前前後には大酸化イベントが進行した。
酸素を必要としない嫌気呼吸する嫌気性細菌と好気性細菌が入れ替わったと推定され、 地球生命史における「生物の最初の大絶滅と棲み分け」であったと考えられる。

19億年前になると、 カナダ・スペリオル湖北岸のガンフリント層(主にチャートの地層)から多くの微化石が産出するようになる。
それらは球状・繊維状の形態をした細菌類である。

真核生物の出現は不確かだが、 21億前までには最初の真核生物が表れたと推定されている。
ただし、 初期の真核生物の系統の多くは残っておらず、 多様化が進んだのは11億年前とする説がある。

米国テキサス州とインドでの古い不確かな報告以外では、 複雑な多細胞生物と考えられる最古の証拠は約6億年前のものである。
世界各地の約6億年前から約5億4200万年前にかけての地層から、 現在のものとは全く違う無脊椎動物の痕跡が見つかっている。
これらはエディアカラ生物群と呼ばれる。
先カンブリア時代末期の5億4,400万年前には、 異なった形態の生物が出現する。
これは「有殻微小動物群」(Small shelly fauna) と呼ばれるが、 詳しい事はほとんど分かっていない。
この生物群は顕生代の始め、 カンブリア紀のごく初期に消滅し、 入れ替わるようにして多様な生物群が出現した。
これはバージェス動物群と呼ばれるが、 この生物群の爆発的な多様化をカンブリア爆発と呼ぶ。

西暦1950年から西暦1980年にかけてソ連や北米の古生物学者たちがトモティアン動物相をカンブリア系基底の堆積物の下から発見した。
これらの生物は小さな骨格を持っており、 小さな管や円錐の殻からできている。
6億年前の動物相であり、 エディアカラ動物相と系統的関係がない。
しかし、カンブリア系の化石の生物の多くのものの直接の先祖であるらしい。

大酸化イベント
大酸化イベント / 大酸化事件(Great Oxygenation Event)  略称:GOE

先カンブリア時代に藍藻による光合成が始まり、 それまで無酸素状態だった地球大気に大量の酸素分子が放出された時期。 25億年前から23億年前の間頃のこととされる。

嫌気性生物の多くが絶滅し、 一部が深海や地下深くで生き延び、 表層環境においては酸素をエネルギーとして利用する好気性の真核生物の誕生へとつながった。
先カンブリア時代のプレートテクトニクス
先カンブリア時代プレートテクトニクスの様子は曖昧にしか分かっていない。 当初は海ばかりでほとんど陸は無かったと考えられている。 プレートが他のプレートの下に沈み込む場所で造山運動が始まり、 小さな島や日本列島のような弧状列島などができ、 やがてそれらが拡大、 合体して次第に大きな陸塊へと成長していった。 約27億年前には、 マントルの対流が二層対流から一層対流へと変わったことでプレートが大きくなり、 次第に大陸が形成されていった。

またこの頃、激しい火山活動により大陸が急成長した。 約19億年前には、初めての超大陸であるヌーナ大陸が形成された。 これは現在の北アメリカ大陸ほどの大きさだったとされる。 この頃、2度目の大陸急成長が起きた。 その後の大陸移動の様子は研究者によって大きく意見の食い違いがあり、存在した大陸の名前も確定していない。

超大陸ヌーナが分裂した後、 10億年前に超大陸ロディニアが形成され、 6億年前に分裂したという説や、 10億年前に超大陸パノティアが形成され、 それが一旦分裂した後、 6億年前に超大陸ロディニアが形成されたという説、 さらには15億年前頃にも超大陸が形成されたという説もある。 7億年前から5億年前頃には、3度目の大陸急成長期があった。
先カンブリア時代の氷期
この時代には、 何度かの氷期があった痕跡が認められる。

現在分かっている最古の氷期は、 約24億年前から約22億年前の頃のヒューロニアン氷期である。 また、 8億年前から6億年前にかけては2度の氷期が訪れ、 スターティアン (Sturtian) 氷期、 ヴァランガー (Varangian) 氷期と言われている。

最近では、 これらの氷期において、 地球が赤道まで氷河に覆われるスノーボールアース(全球凍結)と呼ばれる状態になった可能性が指摘されている。
先カンブリア時代の大気
初期の大気は地球が形成された約46億年ごろからすでにあったとされているが、 その他の初期の大気についてはほとんど分かっていない。

現在、2つのモデルが考えられている。

地球上での酸素の存在が確認されたのは約35億年前であるが、 いずれにしろ当時における酸素成分は非常に少なかった。 ...
初期の大気は、 水蒸気がおよそ300気圧、 二酸化炭素や一酸化炭素が50気圧から100気圧、 窒素が1気圧ほどだったと考えられている。
しばらくすると水蒸気が凝縮して海が形成され、 二酸化炭素が主成分となった。
初期の太陽は光度が現在の70%ほどしか無かったが、 大量の二酸化炭素の温室効果のため、 現在よりもかなり気温は高かった。
地表の気温が60℃を超えていたと考えられる痕跡も残っている。
二酸化炭素は海に吸収されたり、炭酸カルシウムとなって沈殿したりして徐々に減少していった。

27億年前にはシアノバクテリアによる光合成が始まり、 酸素が大量に作り出されるようになる。
生じた酸素は主に海水中の鉄イオンなどと化学反応を起こし、 大量の酸化鉄を沈殿させた。現在使われている鉄鉱石やマンガンなどの大部分は、 この時沈殿した酸化物が隆起して地上に現れたものを掘り出して生産されている。
古い岩石には、 この時に鉄と酸素が結合して沈殿した証拠である縞状鉄鉱層が大量に含まれている。
海水中のイオンをほとんど沈殿させると、 酸素は大気中へと放出され、 蓄積していった。
こうして、現在のように、酸素が大気の主成分の1つとなっていった。

ただし、 この当時の酸素の割合は、 1%程度にすぎなかったとする説もある。
最近では、 8億年前から6億年前にかけて、 全球凍結が起こり、 その終了とともに爆発的に光合成を行う微生物が増殖したため、 酸素濃度が1%から20%ほどに一気に増えたとする仮説が提出されている。(カンブリア爆発

冥王代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。
4つの累代の内、 古い方の3つの累代である「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」には、 その上の階層として「先カンブリア時代(Precambrian [age])」が設定されている。

冥王代(Hadean、ヘーディアン)」は累代であり、 地球誕生時の最初の累代ある。

冥王代は、地球が誕生した46億年前から40億年前までの6億年間を指す。
この時代に地球が形成され、 地殻と海ができ、 有機化合物の化学進化の結果、 最初の生命が誕生したと考えられている。

化石の発見以前に、 岩石自体の発見が非常に稀であり、 地質学的証拠がほとんどない時代である。
この時代の地層は発見されておらず、 国際層序委員会ではこの名称を非公式として扱っている。

冥王代という名称は、日本固有の名前である。 冥府の王プルートの住む黄泉の国、冥府のハディス(Hades)の意味である。
正確には、黄泉代あるいは冥府代の方が正し訳だが、今では冥王代が使われている。
実態が闇に包まれていることから、 ギリシャ神話の冥界の神ハーデース(Hades)に因んで名付けられた。

冥王代の概要

冥王代のはじまり
冥王代は、46億年前の地球の誕生がはじまりである。
冥王代のおわり
つぎの太古代のはじまりが、冥王代のおわりである。
太古代は、地球で発見された最古の岩石からスタートする。
最古の地層や岩石より前の時代である。
西暦1980年代までは最古の岩石や地層が出ていたグリーンランドの太古代の地層から、38億年前と定義されている。
地質学の世界で、冥王代は、地質学的証拠のない時代である。
【時代区分の境界は、一度決定されると簡単に変えられない。】
太古代のスタートが冥王代のおわりとされている。
太古代は、地球で発見された最古の岩石の時代が太古代のスタートとされている。
もし、 冥王代がおわる前の時期の岩石が見つかっても、 すぐに太古代のスタート時期、 つまり冥王代のおわりが変更されることはない。
したがって、地質学的証拠のない時代の証拠の岩石や鉱物という矛盾したものが発見されるようになる。
現在までに、多く地域から38億年前より古い岩石や地層が発見されてきた。
冥王代は、化石以前に、岩石自体が非常に稀であり、地質学的証拠がほとんどない時代である。
その理由の一つとして、 巨大な小惑星地球に衝突し形成されかけていた地殻がことごとく破壊されたと推測されている。

非常に稀ながら、 45億年前までの岩石は月で発見されている。

西暦1989年カナダ北西地域のアカスタ地域から39.8億年前の岩石が発見された。
それまで、最古の岩石や地層は、グリーンランドの38億年前のものであった。
一気に2億年も、最古の岩石の記録を塗り替えた。
その後、アカスタではさらに古い40億年前の岩石も発見された。
アメリカ合衆国中国、南極など各地から38億年前ころの古い岩石が発見されてきた。

現在、 地球最古の物質は、 科学雑誌ネイチャー西暦2001年1月11日号に掲載された、 西オーストラリアのジャックヒルで、 44億0400万年前のジルコンという鉱物である。
30.6億年前にたまった堆積岩の礫として発見された。

冥王代を研究する方法

通常地質学で古代の研究を行うには、 その時代に作られた地層や岩石を分析して情報を入手し検討する。
しかし冥王代については上記のように当時の岩石が殆ど入手できない。

西暦1970年代までは地球の情報だけしか得られなかったため、 冥王代における地球の進化は分からなかったが、 太陽系内の他の星や隕石を研究することによって実証的な議論ができるようになった。

また太陽系の形成や、 地球誕生時の状況については理論に基づくシミュレーションが行われている。

地球や隕石の年代分析については、 放射性元素の分解による生成物を定量して年代を計測する放射年代測定が用いられる。

放射年代測定

放射年代測定  英語:radiometric dating

放射年代測定とは、 原子核崩壊による核種変化、 または放射線による損傷を利用して、 岩石や化石の年代(形成以降の経過年数)を測定することである。

昔は測定された年代を絶対年代と言っていたこともあったが、 現在は放射年代と言う。これは、 年代測定の方法や試料の性質によって測定された年代の意味が異なるためである。 その解釈は慎重に行う必要がある。

地球の誕生

太陽系を形成する物質は、 宇宙空間に広がっていたガスや細かい塵などの星間物質であった。

太陽系が形成される少し前に近傍で超新星爆発があった。
爆発の衝撃が引き金となって星間物質の収縮が始まり太陽系の形成が始まった。
力学的なシミュレーションによって、 原始太陽系がガスや塵の状態から多数の微惑星(サイズは数kmからそれ以上)を経て惑星サイズまで成長するのに数百万年から数千万年かかったとされる。
隕石の多くはこの時に生まれた微惑星のかけら(始原的隕石)である。

太陽系形成が始まって10万から100万年で、 現在の地球の軌道周辺には微惑星が衝突・合体して形成された数十個の「月から火星サイズの惑星胚(planetary embryo)」が生じ、 各々の軌道を廻るようになる。

惑星胚のサイズが大きくなってくると重力が強くなり、 衝突速度が大きくなる。
シミュレーションによれば岩石質の微惑星が衝突する際、 原始地球のサイズが月サイズ(現在の地球質量の1/100)であれば、 衝突の衝撃で微惑星内に取り込まれていたガス成分が抜け出す衝突脱ガスが始まる。
このガスが原始大気や原始海洋の元となったとされる。
また原始地球のサイズが火星レベル(現在の地球質量の1/10)になると衝突のエネルギーで微惑星は融解する。
現在の地球微惑星が衝突すれば隕石は部分的に蒸発するようになる。

数十個の惑星胚はお互いの重力で軌道が乱れ、 その結果軌道が交差して衝突を繰り返す。
このレベルの衝突をジャイアント・インパクト説と呼ぶが、 地球の形成時にいくつか起こったジャイアント・インパクト説の最後の衝突で月ができた。
この時の衝突エネルギーは非常に大きく、 衝突後の地球と月は双方とも全体が溶融状態にあった可能性が高い。
放射性元素ハフニウム182に関する詳細な分析で、 地球と月のマントルの形成が始原的隕石形成の約3000万年後であったと報告されている。
また地球全体が溶融したため、 核を形成する鉄とマントルとなるケイ酸塩成分の分離と鉄成分の地球中心部への沈降が起こり、 現在見られる地球の層状構造が始まった可能性があるが、 核の形成の時期や原因についてはいまだ議論が多い。

なお地球の年齢として、 地球の岩石をウラン・鉛年代測定法で調査して45億年から46億年、 隕石をウラン・鉛年代測定法やルビジウム-ストロンチウム法で分析して45.6億年という数値が出ている。

隕石重爆撃期

隕石重爆撃期とは、 アメリカのアポロ計画で持ち帰った月の石の分析結果から判明した事件。

約38億年から40億年前の短期間に集中的に大量の巨大な隕石が月に落下した。
月の表面に黒っぽく見える「海」は、大きな隕石が衝突して月の地殻がえぐられその下のマントルが溶解して玄武岩質溶岩のマグマとなってたまった低地であるが、 アポロ計画で持ち帰った「海」の石の年代分析を行った結果、 形成時期が38億年から40億年前であることが分かった。

地球は月のすぐ近くに存在し重力も大きいので、 この時期に地球にも月と同等以上の隕石が落下したと考えられる。

当時地表に地殻が形成されていたとしても、 隕石落下の衝撃で破壊されてしまったため40億年より古い岩石はほとんど残っていないとする説がある。
この時期に生命が存在していた証拠は無いが、 もし存在したとすると巨大隕石衝突のエネルギーですべての海水が蒸発するような悪条件の中でも生き残ったことになる。
生物の遺伝子分析によれば最も古い生物は熱に強い好熱菌や超好熱菌に分類されるので、 隕石衝突を生き抜けたのかもしれない。

太古代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。
4つの累代の内、 古い方の3つの累代である「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」には、 その上の階層として「先カンブリア時代(Precambrian [age])」が設定されている。

太古代(たいこだい、Archean)」は累代であり、 「冥王代」の次、 「原生代」の前にあたる。

4つの累代の内、 古い方の3つの累代である「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」には、 その上の階層として「先カンブリア時代(Precambrian [age])」が設定されている。

冥王代との境界の年代値は公式には決まっておらず、 暫定的な値として40億年前が使われている。(38億年前とも) この時代は放射年代測定による年代値ではなく、 国際標準層序年代(Global Standard Stratigraphic Age)による数値年代で定義されているため、 年代数値に誤差は生じない。 原核生物から真核生物が現れるまでの時代である。 かつては、英語のArcheozoicの直訳から始生代(しせいだい)と呼ばれていた。

この時代から地殻を構成する岩石が見つかりはじめる。 まとまった岩石として最も古いのはカナダのスレーブクラトンのアカスタ片麻岩で約40億年前に形成されたものである。 この岩体は形成後に激しい変成作用を受けているため、 当時の地球表層の環境を解読するのは困難である。 当時の地表の状況が判明できる最古の地層は、 グリーンランド西部イスア地域のイスア緑色岩帯で、約38億年前のものである。

太古代の終期は、 顕生代のような明瞭な地質学的事項がないため、 西暦1981年に提唱された「25億年」が使われている。

太古代の概要

地球上に地質学的証拠が見つからないために冥王代と呼ばれている累代に次ぐ時代。 この時代から地殻を構成する岩石が見つかりはじめる。 まとまった岩石として最も古いのはカナダのスレーブクラトンのアカスタ片麻岩で約40億年前に形成されたものだが、 この岩体は形成後に激しい変成作用を受けているため、 当時の地球表層の環境を解読するのは困難である。 当時の地表の状況が判明できる最古の地層はグリーンランド西部、 イスア地域のイスア緑色岩帯で、 約38億年前のものである。 グリーンランド、 カナダ楯状地、 バルト楯状地(フェノスカンジア)、 スコットランド、 インド、 ブラジル、 オーストラリア、 南部アフリカなどに残っている岩石のほとんどは変成作用を受けている。

太古代の岩石は、 現在の大陸地殻表面の約4.5%を占めているが、 地表に出ていない分まで含めると現在の約10%とされる。 この時代の陸地面積が現在より大幅に少なかった可能性が高いが、 現在の大陸地殻を構成する岩石(花崗岩類)の大部分は当時すでに地表に存在しその後再溶解してリサイクルされたものであるという説もある。 太古代の終わりの年代は、顕生代のような明瞭な地質学的事項がないため、 西暦1981年に提唱された「25億年」が使われている。
太古代の地球表層の状況
地球は45-46億年前に誕生したとされるが、 当時は微惑星の衝突で解放されたエネルギーで地球内部は現在よりも高温となっていた。 その後地球は徐々に冷却されている。 上述したように最初の岩石は約40億年前のものであるが、 まとまった地層が世界各地で見つかるのは38億年前からである。 38億年より前の地層が残っていないのは、 現在よりも高温で活発なマントル対流のため、 当時形成された地殻はすべてマントル内部にリサイクルされてしまったことが原因とされているが、 39億年前頃に地球と月が同時に大規模な隕石衝突を受けたため(後期隕石重爆撃期)当時の地殻が破壊されてしまったという説もある。

なお堆積岩の分析結果から、 30億年より前の海水温度は60-120℃という高温であったと推定されているが、 29億年前以後は氷河堆積物が見つかるようになった。 太古代を通じて大気中には酸素はなく窒素と二酸化炭素が主体であった。 27億年前頃から大陸周辺にシアノバクテリアシアノバクテリアが形成した大規模なストロマトライトから酸素が放出され始めるが、その酸素は縞状鉄鉱床の形成に消費されてしまい大気中には移行していなかった[16]。

上記の38億年前のイスア地域の地層から、 縞状鉄鉱床・炭酸塩岩・枕状溶岩・礫岩層が見られるが、 前3者は当時海が存在したこと、 礫岩層は陸地があったことを示している。 またイスア地域の地質構造は付加体としての特徴を示しており、 当時既にプレートテクトニクスが機能していたと推定される。 35億年前の地層はアフリカ南部やオーストラリアのピルバラで見つかっている。 ピルバラ地域のノースポールからは35億年前の枕状溶岩の上に載ったチャートの層から最古の生物痕跡と思われる化石が見つかっている 27億年前の大陸生成

大陸の地殻を構成する花崗岩の組成は、 その下のマントルの組成と大幅に異なっている。 海洋地殻を形成する玄武岩はマントルの一部が溶解してできたものであるが、 花崗岩は玄武岩が水の存在下で再度部分溶解して生まれる。 そのため、地球誕生当初の地表には大陸地殻は無く、 その後年代が下がるにしたがって大陸が増えてきたとされる。 陸地の生成は一定のペースでコンスタントに進んだのではなく、 段階的に起こったというデータがある。 すなわち 世界各地の花崗岩の中のジルコン結晶の生成年代を分析した結果、 27億年前と19億年前にジルコン生成のピークが認められ、 この時期に集中的に陸地が生まれたとされる。 27億年前には大陸の周辺の浅い海に大規模なストロマトライトが形成されたと考えられている。

なお太古代はマントルの温度が現在よりも高かったため、 マントルが部分溶解してできるマグマの成分も現在と異なっており、 マグネシウム分が非常に多いコマチアイトなど現在のマグマでは見られない成分の火成岩が存在した。 また花崗岩も後世にみられない組成をもち、 ナトリウム成分に富んだトーナル岩(tonalite)・トロニエム岩(trondhjemite)・花崗閃緑岩(granodiorite)からなり頭文字からTTGと呼ばれる。 マントルの温度が高かったため、 沈み込みプレート自体が比較的浅い地下で融解して大陸地殻に貫入したためと考えられている[25]。
太古代-35-38億年前の地表の状況
上記の38億年前のイスア地域の地層から、 縞状鉄鉱床・炭酸塩岩・枕状溶岩・礫岩層が見られるが、 前3者は当時海が存在したこと、礫岩層は陸地があったことを示している。 またイスア地域の地質構造は付加体としての特徴を示しており、 当時既にプレートテクトニクスが機能していたと推定される。 35億年前の地層はアフリカ南部やオーストラリアのピルバラで見つかっている。 ピルバラ地域のノースポールからは35億年前の枕状溶岩の上に載ったチャートの層から最古の生物痕跡と思われる化石が見つかっている
太古代-27億年前の大陸生成
大陸の地殻を構成する花崗岩の組成は、 その下のマントルの組成と大幅に異なっている。 海洋地殻を形成する玄武岩はマントルの一部が溶解してできたものであるが、 花崗岩は玄武岩が水の存在下で再度部分溶解して生まれる。 そのため、 地球誕生当初の地表には大陸地殻は無く、 その後年代が下がるにしたがって大陸が増えてきたとされる。 陸地の生成は一定のペースでコンスタントに進んだのではなく、 段階的に起こったというデータがある。 すなわち 世界各地の花崗岩の中のジルコン結晶の生成年代を分析した結果、 27億年前と19億年前にジルコン生成のピークが認められ、 この時期に集中的に陸地が生まれたとされる[22]。27億年前には大陸の周辺の浅い海に大規模なストロマトライトが形成されたと考えられている。

なお太古代はマントルの温度が現在よりも高かったため、 マントルが部分溶解してできるマグマの成分も現在と異なっており、 マグネシウム分が非常に多いコマチアイトなど現在のマグマでは見られない成分の火成岩が存在した。 また花崗岩も後世にみられない組成をもち、 ナトリウム成分に富んだトーナル岩(tonalite)・トロニエム岩(trondhjemite)・花崗閃緑岩(granodiorite)からなり頭文字からTTGと呼ばれる。 マントルの温度が高かったため、 沈み込みプレート自体が比較的浅い地下で融解して大陸地殻に貫入したためと考えられている[25]。
生物
系統樹による推計では、 冥王代またはこの時代の初期に全生物の共通祖先が現れ、 太古代には多様化が進んで古細菌と真正細菌の門の多くが出そろったと考えられている。 35億年前の地層からは古細菌と真正細菌の活動の痕跡が発見されている。 後期には真核生物の祖先も現れたとされている。 上記の最古の生命化石が見つかったノースポールの地層は、 35億年前の熱水活動が活発で温度の高い中央海嶺であったと推察されている。 これは現在生きている生物の遺伝子配列の分析結果から得られた「地球生命の祖先は古細菌または真正細菌のなかで高温適性を有したもの」と調和的である。 27億年前ごろからシアノバクテリアが出現し広範囲に生息した[29]。
時代区分
太古代はさらに4つの「代」に分類される。
始期期間
原太古代約40億年前約4億年
古太古代約36億年前約4億年
中太古代約32億年前約4億年
新太古代約28億年前約3億年

原太古代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

原太古代 (Eoarchean)は、 4つに分類された太古代の最も古い時期の代である。 太古代初期、40億年前(または38億年前)から36億年前までの期間である。 当時、大気に酸素はなかった。 最初の超大陸候補バールバラ大陸は、 この期間の終わりごろ、約36 億年前に現れた。

名前はeos(夜明け)とarchiaos(古代)の2つのギリシャ語に由来する。

古太古代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

古太古代 (Paleoarchean)は、 4つに分類された太古代の古い時期から2番の代である。 太古代初期。36億年前から32億年前までの期間である。 この期間は、絶対年代として定義され、 地球上の特定の岩石層を参照したものではない。

ギリシャ語で「古代の」を意味する"Palaios"に由来する。 確認された最古の生命である化石化した細菌の微生物マットは、 この時代の34.8億年前のもので、 西オーストラリア州から発見された。 最初の超大陸であるバールバラ超大陸もこの時代のものである。

また、 この32.6億年前には直径約37-58 kmの大きな小惑星がアフリカ南部に衝突し、 バルバートン緑色岩帯として知られる構造を作った。

中太古代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

中太古代(Mesoarchean)は、 4つに分類された太古代の古い時期から3番の代である。
32億年前から28億年前までの期間である。
この期間は、絶対年代として定義され、 地球上の特定の岩石層を参照したものではない。 この期間は、 時代は年代順に定義されており、 地球上の岩石セクションの特定のレベルを参照しているわけではない。
最初の超大陸バールバラ超大陸バールバラは約28億年前のこの時代になくなった。

新太古代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

新太古代(Neoarchean)は、 4つに分類された太古代の最も新しい最後の代である。
28億年前から25億年前までの期間である。
この期間は、 時代は年代順に定義されており、 地球上の岩石セクションの特定のレベルを参照しているわけではない。

この時代に、 酸素発生型の光合成が初めて進化し、 豊富な酸素を放出した。

これが初めて鉱物と反応し、 その後は大気中の温室効果ガスと反応できるようになり、 地表から宇宙空間にエネルギーを放射できるようになった。
この出来事は、 大酸化イベントとして知られ、 古原生代には、 新太古代初期に進化した光合成独立栄養生物が放出する酸素が大気中に蓄積した。

約27.2億年前に、超大陸ケノーランド大陸が形成された。???

原生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。
4つの累代の内、 古い方の3つの累代である「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」には、 その上の階層として「先カンブリア時代(Precambrian [age])」が設定されている。

原生代(Proterozoic)」は累代であり、「先カンブリア時代」の最後の累代である。
次の時代区分は顕生代.古生代である。

25億年前から5億4100万年前までの間を指す。

シアノバクテリアの活動によって大気中に酸素の放出が始まり、 オゾン層ができて紫外線が地表に届かなくなった。
また、 古細菌類から原始真核生物が分岐し、 さらにαプロテオバクテリア(後のミトコンドリア)が共生することで現在の真核生物が成立した。
後期には多細胞生物も出現した。

原生代の概要

原生代の始まりは切りの良い数字である25億年前が広く用いられている。
これは顕生代のような年代を決める明瞭な地質学的事項がないため、 西暦1981年に提唱された「25億年」が使われている。
25億年前の前後数億年間は、 地球の内部や表面で大きな変化があり、 「大変流動的な冥王代」から現代的な原生代へ移行した。
原生代の終わり、 すなわち顕生代の始まりは、 カンブリア紀示準化石であるフィコデス属ペダム種(Phycodes属Pedum種)の生痕化石が見つかる約5億4100万年前とされている。

地球表層の状況

太古代マントルの温度が現在よりもかなり高く、 その影響でマントルが部分溶融してできたマグマに由来する火成岩の成分が現在とは大きく異なっていたが、 25億年前前後に現在の組成に近いものに移行した。
ほぼ同時期に海中に巨大な縞状鉄鉱床が堆積し、 大気中の大量な二酸化炭素が減り酸素濃度が上がった。
原生代を通じて陸地が増え、 いくつかの大陸や超大陸が生まれた。
気候が寒冷化し、 氷河時代の痕跡が残るようになったが、 最も寒冷化した際には地球全体が氷結したスノーボールアースも複数回起こった。

原生代初期の地表

27億年前に非常に活発な火山活動があり、 陸地が大幅に増えた。
増えた大陸の周辺の浅い海に、 光合成をおこなうシアノバクテリアの集合体であるストロマトライトが大規模に形成された。
ストロマトライトから放出された酸素は海中に拡散し、 当時の海中に大量に溶解していた2価の鉄イオンを酸化して沈殿させ縞状鉄鉱床を生成した。
縞状鉄鉱床の生成のピークは27億年前から19億年前までであった。
太古代の大気には酸素はほとんどなく、大量の二酸化炭素と窒素が大気の成分であった。

原生代に入ってストロマトライトの活動で酸素が生成され始めたが、 浅海に2価の鉄が十分ある間は酸素が直ちに消費されるため、 大気中の酸素濃度は非常に低いレベルのままであった。
しかし22億年前頃から大気に酸素が含まれていたことを示す「赤色土壌」や「赤色砂岩」が出現するようになった。
その後大気中の酸素の比率は徐々に増えてゆく。
22-23億年前に地球は寒冷化し何回かの氷河時代を迎えたが、 最も寒冷化したヒューロニアン氷期には赤道近くまで氷結し、 スノーボールアースとなった可能性があるとされる。

寒冷化の原因は大気中の二酸化炭素濃度が下がって温室効果が減ったためと推定される。
二酸化炭素濃度減少の原因は、 大陸の拡大によって岩石の風化量が増え風化岩石中の金属元素が空中の二酸化炭素を消費したと考えられるが、 さらに風化した塩類が海に入って大量の栄養塩類となり生物活動(光合成)を活発化させ、 二酸化炭素を消費したことも考えられる。

超大陸の形成

プレートテクトニクスでは、 プレートが動くことでその上の陸地も地表を移動する。 地球の歴史では殆どの大陸が1か所に集結して巨大な超大陸を形成したことがあった。 顕生代に存在したパンゲア大陸は有名であるが、 原生代後期の10億年前頃にも「地上のほとんどの陸地が集まった超大陸」が存在したとする検討結果が西暦1990年頃から報告されている。

この超大陸はロディニア超大陸と呼ばれるが、 約7億年前に3つに分裂した。 ロディニアはそれ以前にあった比較的大きなヌーナ大陸コロンビア超大陸アトランティカ大陸の3つが合体したものである。 これら3大陸は約19億年前にあった活発な大陸成長のピーク期に、 もっと小さな陸地が集合し成長して生成した。

原生代後期の氷河時代

原生代後期に相当する地層から「氷河に起因する堆積物」が世界各地で発見されており、 この時代に何度か寒冷な時期があった事が判明している。 特にスターチアン氷河時代(7億3,000万年-7億年前)とマリノアン氷河時代(6億6,500万-6億3,500万年前)には当時の赤道近くの地層からも氷河に起因する堆積物が見つかっており、 地球が非常に寒冷化したことが分かっている。

当時の地層から採取された岩石の分析結果(炭素同位体比)から、 当時の生物圏が壊滅的な打撃を受け、 地球上の全ての生物活動がほとんど停止していたことが判明した。 この現象を研究したカリフォルニア工科大学のカーシェビンクは、 この時代に地球全体が凍結したスノーボールアース現象が起こったとしている。

原生代の生物

太古代の生物は、古細菌と真正細菌が主体であった。
原生代に入るとより進化し複雑な組織を持つ真核生物が繁栄し、 原生代の後期には多細胞生物が生まれた。
原生代最後のエディアカラ紀の地層からは多数の動物の化石が見つかっている。

真核生物の誕生

酸素を生み出したシアノバクテリアは細胞内に核を持たない細菌であるが、 21億年前の縞状鉄鉱床から細胞内に核を有する真核生物の化石が西暦1992年に発見された。 これはグリパニア(grypania)と呼ばれて、 コイル状の管からできている。

およそ17億年前ごろから球形をした化石が無数に見つかっている。 精巧な細胞壁を持っているものがあり、 原始的な藻類の胞子だと考えられている。 これらはアクリタークと命名されている。 大きさは時代が新しくなるにつれて大きくなるが直径が数分の一ミリメートル程度である。

多細胞生物の誕生

植物の多細胞生物の化石で最も古いものは、 カナダのサマーセット島の7億5,000年前 - 12億5,000万年前のハンティング地層から見つかった紅藻類の化石である。 また東シベリアの10-9億年前の地層から藻類の化石が見つかっている。 動物では1947年に南オーストラリアのフリンダース山脈のエディアカラの丘にある原生代最末期の地層から、 肉眼で見える動物の化石(スプリッギナ)が発見された。 その後エディアカラの丘やその周辺から多種多数の動物の化石が発見され、 エディアカラ動物群と呼ばれている。

エディアカラ動物群の化石が見つかるのは5億7千万年前から5億4千万年前という短い期間に集中しており、 すべて硬い骨格を持たない生物であった。 エディアカラ動物群の化石は世界の20か所以上の地域で見つかっている。 これらの化石が産出する時代はかつてベンド紀と呼ばれていたが、 現在はエディアカラ紀と呼ばれている。 これらの多細胞動物が誕生する直前に著しい寒冷期だったマリノニアン氷河時代があり、 環境の激変が動物の急激な進化を促したという議論がある。

多細胞動物については、 次の顕生代のカンブリア紀で硬い骨格を有する多種多様な動物群が一気に出現する。

原生代の時代区分

始期期間
古原生代 シデリアン 約25億年前 約2億年
リィアキアン 約23億年前 約2.5億年
オロシリアン 約20.5億年前 約2.5億年
スタテリアン 約18億年前 約2億年
中原生代 カリミアン 約16億年前 約2億年
エクタシアン 約14億年前 約2億年
ステニアン 約12億年前 約2億年
新原生代 トニアン 約10億年前 約2.8億万年
クライオジェニアン 約7億2000万年前 約8500万年
エディアカラン 約6億3500万年前 約9400万年

古原生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」である「原生代」は更に「古原生代」、「中原生代」、「新原生代」の3つの「代」に分けている。
原生代・古原生代(Paleo-proterozoic)は原生代の最初の「代」である。
25億年前から16億年前までにあたる。

この時、大陸がはじめて安定し、 光合成によりエネルギーと酸素を作り出す微生物、 シアノバクテリアが誕生した。

大気中の急激な酸素増加の以前は全ての生物は嫌気性であり、 細胞呼吸は酸素を必要としなかった。
大量の酸素は大部分の嫌気性微生物にとって有毒であったため、 彼らは地球上のほとんどから消え失せてしまった。
生き残った嫌気性微生物たちは酸素に耐性を持つようになったか、 酸素のない環境で暮らすようになった。
遊離酸素の突然の発生による酸素に弱い生物の死滅の出来事は、 大酸化イベントという。 ...
古生物学の状況証拠によると、 18億年前頃の一日は20時間であり、 一年は400日であったと推定されている。

大酸化イベント(Great Oxygenation Event, Oxygen catastrophe)
藍藻(シアノバクテリア)による光合成が始まり、 それまで無酸素状態だった大気に大量の酸素分子が放出された時期。
25億年前から23億年前の頃のこととされる。
嫌気性生物の多くが絶滅し、 一部が深海や地下深くで生き延び、 表層環境においては酸素をエネルギーとして利用する好気性の真核生物の誕生へとつながった。
大酸化事件。GOE(great oxidation event)。

シデリアン

シデリアン(Siderian)は地質時代の古原生代の最初の紀。
新太古代の終わりからリィアキアンの始まりまでの25億-23億年前にあたる。
層位学的にではなく時間計測的に定義された。
紀名はギリシャ語で「鉄」を意味するsiderosに因む。
日本語名は決定されていないが中国語の漢字表記では「成铁纪」(成鉄紀)となる。

豊富な縞状鉄鉱層(BIFs)は紀の前期にピークに達した。
BIFsは嫌気性藻類の排出した酸素が鉄と結合して磁鉄鉱(Fe3O4;酸化鉄)となって形成された。
この過程で鉄が海洋から除去されて、 緑がかった海ではなくなったと考えられる。
最終的に酸素は海洋に溶けきれずに今日のような酸素が豊富な大気を生み、 ヒューロニアン氷期として知られる大酸化イベントを引き起こした。

ヒューロニアン氷期は24億年前のシデリアンに始まり、 リィアキアン後期の21億年前に終わった。

リィアキアン

リィアキアン(Rhyacian)は地質時代の古原生代2番目の紀。
シデリアンの終わりからオロシリアンの始まりまでの23億-20億5,000万年前にあたる。
層位学ではなく時間計測的に定義された。
紀名はギリシャ語で「溶岩の流れ」を意味するΡυαξ(rhyax)に因む。
日本語名は決定されていないが簡体字中国語での漢字表記は「层侵纪」(層侵紀)となる。

ブッシュフェルト複合岩体(Bushveld Complex)や他の似た貫入がこの紀のうちに形成された。
ヒューロニアン氷期はこの紀の後期、21億年前に終了した。

オロシリアン

オロシリアン(Orosirian)は原生代(原生累代)古原生代の三番目の紀。
リィアキアンの終わりからスタテリアンの始まりまでの20億5000万-18億年前に当たり、 層位学に基づかず時間計測的に定義された。
紀名はギリシャ語で「山脈」を意味するorosiraに由来。
日本語名は決定されていないが、中国語での漢字表記は「造山纪」(造山紀)となる。

紀の後半は急激な造山運動が実質上全大陸に相次いだ。
シアノバクテリアの光合成による大気中の酸素量の増大がこの時代に起きたといわれる。

二回の最大級の小惑星衝突による大災害(インパクトイベント)が知られる。
紀の初頭20億2300万年前の一回目の小惑星の激突はフレデフォート・ドームを形成し、 終盤18億5000万年前の二回目はサドベリー隕石孔を作った。

スタテリアン

スタテリアン(Statherian)は古原生代の四番目最後の紀。
オロシリアンの終わりから中原生代カリミアンの始まりまでの18億-16億年前までにあたる。
層位学に基づかず時間計測的に定義された。
紀名はギリシャ語で「安定」「強固な」を意味するstatherosから。
日本語名は決定されていないが、中国語の漢字表記では「固结纪」(固結紀)となる。

殆どの大陸において新たな大陸棚、 すなわち褶曲帯の最後のクラトン化。
紀の初頭に超大陸コロンビア

中原生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」である「原生代」は更に「古原生代」、「中原生代」、「新原生代」の3つの「代」に分けている。
中原生代(Meso-proterozoic)は原生代の2番め「代」である。

大きな出来事は、 コロンビア超大陸の崩壊とロディニア超大陸の形成、 有性生殖の発生である。
大陸プレートとプレートテクトニクスが更に発展し、 大規模な証拠が残存する最古の造山運動であるグレンヴィル造山運動が発生している。

生物界ではストロマトライトが最も繁栄した時代となる。
ストロマトライトは新原生代に入ると減少している。
有性生殖の発展を通じ、 多細胞生物の発展が始まった。
これは単細胞生物などとの共生が始まったことを意味する。 ...

詳細はまだ分かってないものの、 中原生代には、 海の化学組成、 地球の堆積物、 空気の組成について、 大きな変化があったと考えられている。
中原生代のはじめに1%だったが酸素濃度は中原生代を通して上昇し、 今日のレベルにまで達した。

中原生代の区分は時間を基準にしている。
これは地質学的または生物学的な基準を用いていない事を意味している。
中原生代は特定の生物の出現や消滅によってではなく、 時間順に定められている。

カリミアン

カリミアン(Calymmian)は中原生代の最初の紀。
古原生代スタテリアンの終わりから中原生代エクタシアンの始まりまでの16億-14億年前にあたる。
層位学ではなく時間測定的に定義された。

この紀に特徴的なのが既存の堆積岩・火山岩の堆積物(platform covers)の拡大、 すなわちクラトン化して間もない地殻上の大陸棚である。

紀名はギリシャ語で「覆い」を意味するcalymmaから付けられた。
日本語名は決められていないが、中国語の漢字表記では「盖层纪」(蓋層紀)となる。

15億年前頃にコロンビア超大陸が分裂した。

エクタシアン

エクタシアン(Ectasian)は中原生代の2番目の紀。
カリミアンの終わりからステニアンの始まりまでの14億-12億年前にあたる。
地質学的には中原生代の第二期であり、 クラトン上の堆積岩・火山岩の堆積物(Platform cover)がこの時期に拡大し続けたことから、 ギリシャ語で「伸展」を意味する ectasis より命名された。
日本語名は決定されていないが、中国語での漢字表記では「延展纪」(延展紀)となる。

この時期、 グレンヴィル造山運動(Grenville orogeny)が始まり多くの山々が作られ、 超大陸ロディニアが形成される切っ掛けとなった。
当時生まれた山々は今日の大陸上でも見られる。

カナダ・サマーセット島の地層であるHunting Formationは、 12億年前、 エクタシアン末期の地層である。
この地層から発見された真核生物の化石Bangiomorpha pubescens(紅藻の一種)は、 知られる中で最古の有性生殖をする生物であり、 そのため最初の複雑な多細胞生物とされる。

ステニアン

ステニアン(Stenian)は中原生代エクタシアンの終わりから新原生代トニアンの始まりまでの12億-10億年前を占める地質時代の紀である。
この時期に形成された変成岩の狭い帯に由来して、 ギリシャ語で「狭い」を意味するstenosから名付けられた。
日本語名は決定されていないが中国語の漢字表記では「狭带纪」(狭帯紀)となる。

この時期に超大陸ロディニアが形成された。
化石の発見も少なく限定的で、期への細分化はされていない。

新原生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」である「原生代」は更に「古原生代」、「中原生代」、「新原生代」の3つの「代」に分けている。
新原生代(Neo-proterozoic)は原生代の最後の「代」である。

トニアン、クライオジェニアン、エディアカラ紀の3つの「紀」に分かれる。 クライオジェニアンには地球史上最も過酷なクライオジェニアン氷河時代の訪れがあったことが知られている。
氷床は赤道にまで至る「スノーボールアース」状態となった。
多細胞生物の最古の化石(最古の動物を含む)がエディアカランから発見された。 ...

新原生代初期には、 赤道付近に中原生代後期に形成されたロディニア超大陸が存在した。
トニアンにおいてロディニア超大陸の分裂が始まり、 いくつもの地塊に分かれた。
新原生代においては、 3度の氷河期があったことが知られているが、 そのうち、 大半の大陸地塊が低緯度にあった時に起こったスターティアン (Sturtian) 氷期及びマリノア (Marinoan) 氷期は、 赤道域まで氷床に覆われた「スノーボールアース」事変として知られている。

新原生代の考えは比較的最近、 西暦1960年を過ぎた頃になって登場した。
19世紀の古生物学者は多細胞生物の始まりを三葉虫と古杯類と呼ばれる硬い殻の動物とし、 それがカンブリア紀の始まりとなった。
20世紀前半にカンブリア境界以前の化石が発見された。
複雑な動物群が南西アフリカにて1920年代に発見されたが年代を誤られた。
別のものが南オーストラリアで西暦1940年代に見つかったが、 西暦1950年代後半まで完全には調べられなかった。
その他先カンブリア紀の化石らしきものがロシア、イングランド、カナダ他で発見された。
一部は偽化石と同定されたが、 それ以外は未知の複雑な生物群であることが判明した。
少なくとも世界中の25の地域でかつてのカンブリア境界以前の化石が産する。

トニアン

トニアン(Tonian)は地質年代の区分の一つ。
新原生代の最初の紀で、 中原生代ステニアンの終わりからクリオジェニアンの始まりまでの10億-7億2000万年前にあたる。
現在のところトニアンの期の区分は定義されていない。
紀名はギリシャ語で「伸張」を意味するtonasから。
日本語名は決定されていないが中国語の漢字表記では「拉伸纪」(拉伸紀)となる。

層序学に基づく代わりに国際層序委員会(ICS)が決定した放射年代測定によって定義される。

トニアンの出来事の中で特徴的なのが超大陸ロディニアの存在とその分裂であった。
これはよく知られている後の超大陸パンゲアと同様に全ての陸地が一つの大陸に結合されていた。
こ れは古地磁気などの科学的調査方法で判明した事実である。
ロディニアの周囲には巨大な大洋ミロヴィア海が広がっていた。

今日と同様に地球上には海と大地が存在した。
しかし構成は同じではなく、 現在よりも大気中の酸素含有量は少なかった。
それでも多くの種類の生物の化石は発見されており、 放射状の微化石アクリタークはこの時代から現われた。

クライオジェニアン

クライオジェニアン(Cryogenian)は新原生代の2番目の紀である。
ギリシャ語で「氷」を意味するcryosと「誕生」を意味するgenesisからなる。
クリオジェニアンと訳される場合もある。
中国語での漢字表記は「成冰纪」(成氷紀)となる。
トニアンの終わりからエディアカラ紀の始まりまでの7億2000万-6億3500万年前に当たり、 スターティアン氷期とマリノア氷期(以前はヴァランガー氷期として一つに考えられていた)を含む。 ...
名前は紀特有の氷河堆積物に由来する。
これによって地球はこの時代、 周期的に幾度か赤道まで氷河が伸長していたことが示される。
これらの氷河の痕跡を示す漂礫岩堆積物がコンゴ、 サハラ砂漠、 オマーン、 オーストラリア、 中国、 北アメリカ、 アイルランド、 スコットランド、 ノルウェー他世界中で見られる。
一般的に少なくとも二つの全世界的氷河期に分けられると考えられ、 スターティアン氷期は7億5000万~7億年前まで続き、 マリノア/ヴァランガー氷期はおよそ6億3500万年前に終了した。
漂礫岩堆積物はクライオジェニアンに低緯度だった地域にも発生していたことから、 海洋が深くまで凍りついた「スノーボールアース」と呼ばれる現象が起きたと考えられている。

アクリタークの数は氷河期によって激減し、 大気中の酸素は増加したといわれる。
非常に低緯度の地域にも氷河があったこと、 暖かい水域の堆積物であるはずの石灰岩が氷河堆積物の上下や混在していたりするなど、 この氷河期にはいくつかの謎がある。
氷河期に伴う、 古原生代から見られなかった縞状鉄の再発生は酸素濃度が低く、 変動していることを示す。

古地磁気研究によれば大陸移動の率は非常に大きい。
基本的に大陸地殻の著しい不均衡は自転軸の方向はそのままに地球を大陸塊が赤道上に来るまで横転させる。
これが見かけ上平均より非常に速い大陸移動を引き起こす。

他の全世界的氷河期には24億~21億年前のヒューロニアン氷期、 4億5000~4億2000万年前オルドビス紀のAndean-Saharan氷期、3億6000万~2億6000万年前石炭紀・ペルム紀のKaroo氷期、3000万年前に南極で始まり進行中の新生代第四紀の氷河期がある。

月面のクレーター研究を通じて、 8億年前の地球上には大規模な隕石群が降り注いだ可能性が指摘されている。
これは量的にチクシュルーブ・クレーターを形成した隕石を凌ぐもので、 当時の地球上の気候や生物の分布に大きな影響を与えたこととなる。

エディアカラン

エディアカラン(Ediacaran period)/ エディアカラ紀 約6億3500万年前 - 約5億4100万年前。

エディアカランとは、 地質時代の区分の1つである。
新原生代最後の紀で、 顕生代・古生代・カンブリア紀の前の紀である。
西暦2004年に国際地質科学連合(IUGS)が、 先カンブリア時代層序小委員会の勧告に基づきその基底 (Enorama Creek GSSP) を公式に批准した。

エディアカラ生物群の化石が多く発見される。
「ベンド生物」と呼ばれる謎の生物群が多数出現しており、 IUGSによる批准以前は「ヴェンド紀」とも呼ばれた。
膨大な数のクラゲの印象化石が、 西暦1946年、オーストラリア南部フリンダース山脈にあるエディアカラ丘陵の銀鉛山でレジナルド・C・スプリグによって発見された。
これらは、 目で見ることができる大きさであり、 先カンブリア時代末期に属し、 「エディアカラ動物群」と称される。
その後、 ナミビア、中国、ロシア、北ヨーロッパ、ニューファンドランド等の世界各地でエディアカラ時代(5億9000万年前 - 5億5400万年前)の岩石が発見されている。

動物群を次の三つに分けることができる。
  • 放射性相称は、円形で放射状の区画を持っている。体の左右の区別がなく、車輪のようになっている。
  • 次に葉に似た形の生物は、海底の岩にでもくっついて生きていた。
  • 最も変異にとんだ生物は、「蠕虫様」(ぜんちゅうよう)と表現でき、左右対称の動物。

顕生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
最上位階層の「累代」には、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

顕生代(Phanerozoic)」は累代であり、 約5億4100万年前のカンブリア紀から現在までの時代区分である。
地球誕生から現在までの約46億年間の12%弱にあたる。

顕生代とは「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味である。 具体的には、 三葉虫をはじめとする化石として残りやすい甲殻や骨格を有する生物などが多く誕生し始めたカンブリア紀以後を指す。

しかし、 顕生代以前の先カンブリア時代の期間が無生命、無生物であったわけではなく、 原始生命体が誕生したのは38億年から40億年前と考えられている。
顕生代研究の推移
地層に含まれる岩石や化石から地球の歴史を研究する地質学の歴史は18世紀から始まった。

18世紀イギリスの鉱山技師ウィリアム・スミスは、 オックスフォード周辺の地層を検討し「異なる地層からは異なる化石が発掘される」事を発見した。
同じ頃フランスの博物学の研究家ジョルジュ・キュヴィエもパリ盆地周辺の地層を研究し「地層ごとに産出する化石が異なる」事を発見した。
ジョルジュ・キュヴィエは地層ごとに化石記録が入れ替わっていることから、 「時代ごとに生物が一斉に絶滅し、それによって生物相が入れ替わった」と考えた。

この大量絶滅による生物の入れ替わりは天変地異説と呼ばれたが、 チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説と対立した。
斉一説はその後長い間地質学の主流を占め、 天変地異説は異端扱いされ無視されてきた。
恐竜が絶滅したK-T境界において「巨大隕石が落下したことが絶滅の原因」としたウォルター・アルバレスらの論文が西暦1980年のサイエンスに掲載されたときに、
世界中の地質学者や古生物学者が反論したのも、 「異端の天変地異説」への感情的な反応もあると考えられる。

19世紀には、 世界各地で多くの化石が発掘されるようになって研究が進んだ。
西暦1840年に、 イギリスジョン・フィリップスが化石記録を「古生代」「中生代」「新生代」に分類し、 基本的に現在までこの考え方が継続されている。
地質年代はさらに詳細に分類され「代」「紀」「世」に分けられる。
顕生代の年代区分には、各年代ごとに示準化石という特定の化石を決めているが、 示準化石は研究が進むにつれて変更される事がある。

西暦1910年ドイツアルフレート・ウェーゲナーは、 南米大陸とアフリカ大陸の海岸線の類似性からヒントを得て大陸移動説を発表したが、 当時「メガロザウルス」という陸上爬虫類の化石がブラジルとアフリカで発見されていたこともウェーゲナー説に寄与した。
「大陸移動説」は着想は良かったものの賛同する学者は少なく、 学会の主流にはならなかった。
「天変地異説」と「大陸移動説」は長い間省みられなかったが、 「大陸移動説」は西暦1970年代にプレートテクトニクスの考え方によって新たに蘇った。
プレートテクトニクス顕生代地球を研究する上で、 海洋と大陸の地質構造の違い、 超大陸の形成と分裂、 造山運動など多くの地質学的疑問の解明に有効である。
「天変地異説」もシカゴ大学のジャック・セプコスキによる丹念な化石記録の調査から、 生物が何回も大量絶滅を経験してきたことが明らかになった。
古生代中生代の境目(P-T境界)や中生代新生代の境目(K-T境界)などで生物の科の数が激減している事が読み取れる。
またK-T境界ではまさに「天変地異」である巨大隕石の落下が確実視されている。
西暦1980年代以後、 放射性元素を利用した放射年代測定(ウラン-鉛法やカリウム-アルゴン法)などの年代測定の精度が向上して、 地質学的な年代の具体的な数字が従来よりも正確に測定されるようになり、 年代値の見直しが頻繁に行われている。
顕生代直前の状況
顕生代とは、 「肉眼で見える生物が生息している時代」という意味。 顕生代以前の時代は原生代または隠生代と呼ばれる。 また、 顕生代以前の時代は、 顕生代の最初の紀であるカンブリア紀の前と言う意味で「先カンブリア時代」とも呼ばれる。

地質学では「生物」は化石として発掘される。 すなわち顕生代は約5億4200万年前から始まった「肉眼で見える大きさの化石」が良く見つかる年代である。 生物の体組織のうち、貝殻や骨などの硬骨格は化石に残りやすいが、 軟体部は特別に良い条件下にあるときだけ化石として残り、 通常は化石として残っていない。
カンブリア紀アノマロカリスなどの軟体部主体の古生物の全容は、 イギリスのウィッチントンらが、 西暦1960年代にバージェス頁岩を詳細に調査した結果、 明らかになった。

その結果、顕生代が定義された18世紀から19世紀は、 肉眼で見える大型生物の硬骨格化石だけが検討された。 現在では軟体部が保存された化石がかなり見つかっており、 顕微鏡でしか見つからない小さな化石も大いに研究されている。
顕生代の地球環境
地球の気候を決める条件の中で最も基本となるのが、 「太陽から放射されるエネルギー量」である。 太陽地球はほぼ同じ時期に太陽系として生まれたが、 太陽系が生まれた46億年前には太陽の明るさは現在の約70%であり、 その後徐々に明るさを増している。 顕生代直前の太陽の明るさは現在より約6%ほど暗く、 その後1億年に1%の割で明るくなっている。 次に陸地の面積について、 原生代中期まで、 現在大陸として地上に現れている陸地はほとんど海面下にあり、 陸地面積は地表の5%程度しかなかったが、 約7億年前に陸地の面積が大幅に増えて現在に至っていることが知られている(現在の陸地比率は約30%)。 当時大陸を嵩上げするような大規模な火山活動は確認されておらず、 陸地が増えた原因について下記のような説がある。 いずれも約46億年前の地球誕生以来徐々に冷えてきたマントル上部の温度が所定温度まで冷えた結果であり、 一番目の説では海溝下のマントル温度が下がって、 それ以前は全て地上に戻っていた海洋地殻中の海水が十分抜け出せなくなった事、 2番目の説ではマントル上部の温度が冷えてプレート生成量が減ったためとされる。
陸地面積が増えると地上の岩石の量が増えるが、 岩石は海中にある時より地上のほうが風化作用を受け易く、 その結果リンなどの栄養塩類の海水中への供給量が増えて生物活動が活発になることが予想される。 また岩石の風化の増大に応じて海底に堆積する堆積岩の量が増えるが、 風化によって地上の岩石から分離された多量のカルシウムイオンが効果的に二酸化炭素を固定し石灰岩を生成した。 さらに栄養塩類の増加で増えた生物の死骸も(腐敗する前に)急速に堆積する堆積岩中に取り込まれ、 その結果腐敗による二酸化炭素の発生が減って酸素が増えたことが確認されている。 温室効果の高い二酸化炭素の大幅な減少は極端な寒冷化を引き起こし、 顕生代の始まる約5億4200万年前の1億年前に、 地球全体が凍結するスノーボールアース(全地球凍結)事件が起こった。
最後のスノーボールアース事件であるマリノアン氷河時代の年代値は約6億6500万年前から6億3500万年前と推定されている。 スノーボールアースが終わった後、 大気中に増大した酸素を利用して多細胞生物の進化が進んだ。
単細胞生物から硬骨格多細胞生物へ
生物は単細胞生物として発生しその後多細胞生物へと進化した。
多細胞生物の最初の明瞭な化石として有名なのが西暦1998年中国南部のドウシャントゥオ層上部の燐灰石中から見つかった多細胞動物の胚化石で、 その最も初期のものの年代値は約6億3250万年前とされる。

年代分析によれば多細胞生物が見つかったドウシャントゥオ層の直前に、 地球全体が赤道部まで氷河に覆われ凍結したスノーボールアース時代があった。
すなわち「スノーボールアース」期間が終わった直後に多細胞生物の繁栄が始まった可能性が高いと考えられる。
初期の多細胞生物エディアカラ生物群に代表される硬骨格を待たない生物であり、 活動範囲も固着生活または海底表面を這う生活であった(生物の這った痕や足跡の化石は生痕化石とされ、生物活動の重要な証拠とされる。)。
ところがある時期に一斉に多数の多細胞生物が硬い殻を持つようになり、 海底に穴を掘ってもぐるようになった。
これが顕生代の始まりであるカンブリア紀である。

カンブリア紀示準化石はフィコデス属ペダム種(Phycodes属Pedum種)の生痕化石とされ、 その年代はナミビア南部にある先カンブリア紀からカンブリア紀へ連続している地層の年代分析から約5億4200万年前とされた。
すなわちスノーボールアースが終わってわずか1億年弱の間に多細胞生物は硬い殻を持ち海底の泥の中にもぐるようになった。
硬い殻の獲得と海底地下へもぐる行動は、 いずれも強力な捕食者から身を守るための手段であったと考えられる。
実際カンブリア紀の地層からは当時としては強大な肉食動物アノマロカリスや、 食物となる生物を捕獲するための長いノズルを有するオパビニアなどが見つかっている。
顕生代の歴史
顕生代の歴史はその地層から発掘される生物化石(主に動物化石)によって分類されている。 ここで注意すべき事は「海洋生物」と「陸上生物」の化石は同じ地層から出て来ることが少ない点で、 両者の時代の同時性については陸上・海洋問わずに飛散する花粉化石の分析や、 大規模で特徴的な火山噴火による火山灰の分析や炭素同位体比の偏差の急変(P-T境界参照)など化石以外の手段も用いて判定される。 また顕生代の年代は主に動物化石の消長によって定義されている。 たとえば地上で恐竜が絶滅し哺乳類や鳥類に取って代わられ、 海中でアンモナイトが絶滅した中生代と新生代の境界は、 現代型植物である被子植物の繁栄の始まった白亜紀初期は一致していない。
顕生代の地球環境
顕生代地球環境について、 地球外からの影響、大陸と海洋の変化および洪水玄武岩の状況について解説する。

地球外からの影響の第一として、 太陽からの光エネルギー到達量がある。 前記のように太陽は誕生以来徐々に明るくなってきており、 顕生代において地球が受け取るエネルギー量は1億年で約1%ずつ増加している。 その他の地球外要因として他の天体との衝突がある。 地球には常時小さい隕石が落下しており、 ごくまれに大きな隕石も見られる。 地球に衝突する天体の大きさと頻度は反比例関係にあり、 バリンジャー・クレーターを生成した大きさの隕石は数千年に1回程度、 恐竜絶滅の原因の可能性が検討されているK-T境界(直径10-15km)レベルの衝突は約1億年に1回程度衝突すると考えられているが、 現在確認されているところでは「K-T境界」の天体衝突が顕生代では最も大きなものであった。

大陸と海洋の関係については、プレートテクトニクス理論に基づいた研究によって大陸の離合集散が明らかになってきた。 また非常に規模の大きな[注釈 7]洪水玄武岩と呼ばれる噴火が、 顕生代にしばしば発生していることがわかってきた。 大陸と海洋の配置は顕生代を通じて大きく変化したが、 その変化について説明する。

原生代後期に超大陸ロディニアが形成されたがこの超大陸はすぐに分裂し、 右図のような状態になった。 顕生代初期にばらばらだった大陸が集まり始めた。 ゴンドワナ大陸(現在のいくつかの大陸が集まっていた)と、 北米大陸やバルチカ大陸(現在のヨーロッパの一部)は、 広い海で隔てられていた。 シルル紀からデボン紀にかけて古生代の造山運動があり陸地が増加し、 ゴンドワナ大陸は赤道から南極まで広がっていた。 古生代の後期には当時存在した全ての大陸が陸続きとなって超大陸パンゲアが形成された。 古生代最後のペルム紀末の(P-T境界)にて、陸上において顕生代史上最大級の400万立方km以上の溶岩流出事件であるシベリア洪水玄武岩が発生した。

中生代に入るとパンゲア大陸は分裂を開始した。 三畳紀末にはアフリカ大陸と南アメリカ大陸が分かれ始め、 その際に割れ目に沿って洪水玄武岩の噴出があった。 この噴火による玄武岩台地は割れ目となった大西洋をはさんで南アメリカ大陸とアフリカ大陸の両方に残っており、 中央大西洋マグマ区と呼ばれている。 ゴンドワナ大陸は分裂を続け、 インド・オーストラリア・南極の各大陸が分離し始める。 白亜紀の約1億2000万年前に、 シベリア洪水玄武岩をしのぐ規模の洪水玄武岩の噴火が太平洋の深海底で発生した。 現在オントンジャワ海台と呼ばれている玄武岩地形は面積200万平方km、 噴出した玄武岩量は6000万立方km[24]または8000万立方km[25]とされているが、 ほとんど全てが太平洋の水面下に存在している[注釈 8]。 ゴンドワナ大陸から分かれた南極大陸は南下して南極に位置した。 インド大陸は北北東へ移動してゆき、アフリカ大陸との間にインド洋が開いてゆく。 白亜紀は温暖な気候と活発なマントル活動の影響で海面水位が現在より約200m上昇して、 陸地面積は減少した(下図参照)。 約6600万年前の白亜紀最後に(K-T境界)インド大陸においてデカン高原を形成する洪水玄武岩の噴火があり、 推定約100万立方kmから250万立方kmの玄武岩溶岩が噴出した。

新生代に入ると北上を続けていたインド大陸が約4000万年前にアジア大陸に衝突、 ヒマラヤ山脈やチベット高原の上昇が始まる。 約3800万年前にオーストラリア大陸と南極大陸が完全に分離し、 約2000万年前には南アメリカ大陸と南極大陸も離れて、 南極大陸が完全に海で囲まれる。 インド大陸はアジア大陸に衝突したあとも北上を続けアジア大陸の内部に約2000kmも突入したため、 衝突地点のヒマラヤ山地や背後のチベット高原は、 その下にもぐりこまれたインド大陸に押し上げられ隆起した。 隆起しつつあるヒマラヤ山脈では高山に対する激しい浸食による岩石の風化が継続している。 約350万年前に南北アメリカ大陸の間にパナマ地峡ができて、 大西洋と太平洋が分離された。

顕生代の時代区分

顕生代は3つの「代」に区分されている。
始期期間
古生代 カンブリア紀 約5億4100万年前
オルドビス紀 約4億8540万年前
シルル紀(ゴトランド紀) 約4億4380万年前
デボン紀 約4億1920万年前
石炭紀 約3億5890万年前
ペルム紀(二畳紀) 約2億9352万年前
中生代 三畳紀 約2億5190.2万年前
ジュラ紀 約2億0130万年前
白亜紀 約1億4500万年前
古原生代 古第三紀 約6600万年前
新第三紀 約2303万年前
第四紀 約258万年前

古生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」は、 「冥王代」、 「太古代」、 「原生代」、 「顕生代」がある。

古生代」は、 最後の累代「顕生代」を細分化した3つの「代」、 「古生代」、 「中生代」、 「新生代」の最初の「代」である。
5億4100万年前から始まり、約2億5190.2万年前まで続く。

古生代初期の頃には、 既に様々な種類の生物が誕生し、 同時にその数は急激に増加していった。
この現象はカンブリア爆発として現代に知られている。

古生代は古い順に、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の六つの紀に区分されている。

古生代は、 無脊椎動物の繁栄から、 恐竜が繁栄しはじめる中生代の手前までの期間に対応する。
古生代の概要
当時の生物のほとんどは海洋の中で生息しており、 殻や外骨格などの固い部分で身を覆っている。
海底の砂を主なすみかにしている生物(ベントス)もいれば、 海中を動き回る生物(ネクトン)まで種類は多様であった。
特に腕足動物や三葉虫はこの時代に一般的であった生物であり、 古生代初期の生物の内訳では、 ほとんどがこのような部類に入っていた。
この時代から、 新たな生物の分類として無顎類が誕生している。

古生代においては、 シルル紀に至るまで単細胞生物のみが陸上で生活していた。
シルル紀に突入すると多くの植物が上陸し、 地上での成長を開始した。
これらの植物は最初、 水面に近く比較的湿度の高い場所を好んで生息していた。
デボン紀では乾燥した気候に耐えられる植物も出現し、 それまで簡易的であった植物の構造を一転させ、 より複雑なものへと変化していく。
シルル紀では昆虫の生存が確認された。

デボン紀はしばしば「魚類の時代」として伝えられる場合がある。
これはさまざまな魚類が海中で繁栄していたからによる。
この時点でほとんどの魚類は既に顎及び鱗を持ち合わせている。
デボン紀では同時にクラドセラケなどのサメが誕生・活動し始めた。
また同時期ごろから動物は海中から陸上への進出を果たし、 石炭紀後期(ペンシルベニア紀)には爬虫類が出現し始める。
古生代の生命の始まり
古生代初期の頃には、 既に様々な種類の生物が誕生し、 同時にその数は急激に増加していった。
この現象はカンブリア爆発として現代に知られている。

当時の生物のほとんどは海洋の中で生息しており、 殻や外骨格などの固い部分で身を覆っている。
海底の砂を主なすみかにしている生物(ベントス)もいれば、 海中を動き回る生物(ネクトン)まで種類は多様であった。
特に腕足動物や三葉虫はこの時代に一般的であった生物であり、 古生代初期の生物の内訳では、 ほとんどがこのような部類に入っていた。
この時代から、新たな生物の分類として無顎類が誕生している。

古生代においては、シルル紀に至るまで単細胞生物のみが陸上で生活していた。
シルル紀に突入すると多くの植物が上陸し、 地上での成長を開始した。
これらの植物は最初、 水面に近く比較的湿度の高い場所を好んで生息していた。
デボン紀では乾燥した気候に耐えられる植物も出現し、 それまで簡易的であった植物の構造を一転させ、 より複雑なものへと変化していく。
シルル紀では昆虫の生存が確認された。

デボン紀はしばしば「魚類の時代」として伝えられる場合がある。
これはさまざまな魚類が海中で繁栄していたからによる。
この時点でほとんどの魚類は既に顎及び鱗を持ち合わせている。
デボン紀では同時にクラドセラケなどのサメが誕生・活動し始めた。
また同時期ごろから動物は海中から陸上への進出を果たし、 石炭紀後期(ペンシルベニア紀[注釈 3])には爬虫類が出現し始める。

カンブリア紀

カンブリア紀(Cambrian [period])は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 最初(1番目)の「紀」である。
約5億4100万年前 - 4億8540万年前の、 約5560万年の期間をいう。

先カンブリア時代のエディアカラ動物群が衰退したのち、 急激に種の多様化が進んだと考えられ、 今日見られる動物の門の多くが一気に出現した。
これは、カンブリア大爆発あるいはカンブリア紀大爆発と呼ばれている。
カナダのロッキー山脈で見つかったバージェス頁岩動物群がよく知られている。

カンブリア紀の名称は、 この時代の岩石が発見および研究された最初の地であるウェールズのラテン語名「カンブリア」から、 アダム・セジウィックによって命名された。
カンブリア紀は以下のように古い方から10の時代に分けられている。
始期期間
テレニュービアン(Terreneuvian) フォーチュニアン(Fortunian) 5億4100万年前 1200万年
ステージ2(Stage2) 5億2900万年前 800万年
シリーズ2(Series2) ステージ3(Stage3) 5億2100万年前 700万年
ステージ4(Stage4) 5億1400万年前 700万年
ミャオリンギアン(Miaolingian) ウリューアン(Wuliuan) 5億0900万年前 450万年
ドラミアン(Drumian) 5億0450万年前 400万年
ガズハンジアン(Guzhangian) 5億0050万年前 350万年
フロンギアン(Furongian) ペイビアン(Paibian) 4億9700万年前 300万年
ジャンシャニアン(Jiangshanian) 4億9400万年前 450万年
ステージ10(Stage10) 4億8950万年前 450万年
4億8540万年前
生物
カンブリア紀では、 先カンブリア時代に形成された海洋が地球上のほぼ全てを覆い尽くす。
海中では様々な種類に至る海洋生物が現れ、 中でも三葉虫等の節足動物が繁栄し、 藻類が発達した。
むしろ、 これ以前の時代からは化石がほとんど得られなかったことから、 化石に頼って時代区分を行っていた頃にはこの時代までしか区分ができなかった。
そのため、 カンブリア紀が従来はもっとも古い名前の付いた区分であり、 それより古い地層はカンブリア紀以前というしかなかったのが、 「先カンブリア時代」の名の由来である。

三葉虫[注釈 1]やフデイシ、 腕足類、 サンゴなどは古くから発見されていたが、 頻繁に産出する生物群は限られていた。
カンブリア紀の生物相の多様性がよく知られるようになったのはバージェス動物群の発見以来であり、 特に20世紀末の見直しでその内容がそれまでの想像を超えることが明らかとなった。
現在の生物と比べ、非常に奇異な姿をした生物が多く見られ、 この時期の生物群を総称して「カンブリアンモンスター」とも呼ばれる。
この時期の初期には動物門のほとんどすべてが出現したと考えられ、 この時代に動物の多様性が一気に増大した可能性がある。
これをカンブリア爆発と呼ぶ。
気候
カンブリア紀の気候についてはあまりよく知られていないが、 概して温暖で、 極地方には氷河がなかったと考えられている。
その他
日本で発見されている最も古い地層は、 茨城県常陸太田市にある5億1100万年前の堆積構造の西堂平層である。
この時代はカンブリア紀の第二世第4期のものである。
隣接する日立市にかけて火山岩を原岩とする赤沢層など60km2以上にわたりカンブリア系の地層が分布している。

オルドビス紀

オルドビス紀(Ordovician [period])は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 カンブリア紀に続く2番目の「紀」である。
約4億8540万 - 4億4380万年前の、 約4160万年の期間をいう。

オルドビス紀では、 オゾン層の形成、 筆石オウムガイの繁栄があり、 前の時代に引き続き三葉虫が繁栄した。 末期には大量絶滅が起こった。三葉虫はこれ以降衰退の道をたどっている。

オルドビスの名前は、 模式地であるウェールズ地方に住んでいた古代ケルト系部族「オルドウィケス族」(Ordovices) からついた。 奥陶紀(おうとうき)ともいう。

オルドビス紀は、 生物の多様化がカンブリア紀並に進んだ時代である。
オウムガイに代表される軟体動物や三葉虫のような節足動物が繁栄し、 オルドビス紀後期には顎を持つ魚類が登場した。
黒色頁岩(けつがん)相に特徴的に産する原索動物門の筆石類(ふでいしるい)は、 オルドビス紀のもっとも顕著な生物であり、 コノドント動物とともに示準化石として重要である。

オルドビス紀は、 顕生代の5大量絶滅事変(ビッグファイブ)の1つに数えられる大量絶滅により、 その終焉を迎えた。
このオルドビス紀末の絶滅事変は、 絶滅した属の割合で見ればペルム紀末の大量絶滅に次ぐ大規模なものである。
海生多細胞生物の科の22%、属の49%が絶滅し、腕足類、コケムシ類も大打撃を受けた。
大量絶滅の原因ははっきりしていない。
この時期、 大陸は南極域にあり、 短い期間であるが大陸氷河が発達した。
絶滅は、 氷床の発達に伴う海水準の低下時及び氷河の消滅に伴う海水準の上昇時の2回確認されている。
オルドビス紀の時代区分時代区分
下部/前記 トレマドキアン (Tremadocian) 4億8540万年前 770万年 フロイアン(Floian) 4億7770万年前 770万年 中部/中期 ダーピンジアン(Dapingian) 4億7000万年前 270万年 ダーリウィルアン(Darriwilian) 4億6730万年前 1890万年 上部/後期 サンドビアン(Sandbian) 4億4840万年前 310万年 カティアン(Katian) 4億4530万年前 10万年 ヒルナンシアン (Hirnantian) 4億4520万年前 140万年 シルル紀4億4380万年前
オルドビス紀末の大量絶滅

約4億4380万年前(誤差150万年)のオルドビス紀とシルル紀の境界に(O-S境界)、 古生物学上では五大大量絶滅に数えられる顕生代最初の大量絶滅が発生し、 動物をベースとした群に大きな打撃を与えた。

オルドビス紀末の大量絶滅はオルドビス紀のヒルナンシアン(期)の間に起き、 絶滅のピークは2つに分かれていた。
1つはヒルナンシアン期の前期、 1つはヒルナンシアン期の中期にあった。
この大量絶滅は海洋生物に大きな打撃をもたらし、 全腕足動物外肛動物の科の三分の一が、 三葉虫腕足類ウミリンゴサンゴ類筆石コノドントの大半が絶滅した。
海洋生物全体では49%から60%の属が絶滅し、 種レベルでは85%が地球上から姿を消した。

オルドビス紀の寒冷化以前では気温は比較的温暖であった。
その寒冷化の速さと、 海水準の低下による生息域の減少が絶滅を加速させたと考えられている。
海水準の低下により大陸棚沿いの生息環境は一掃された。
この時代に氷床が発達していた証拠もサハラ砂漠の堆積物中で発見された。
この時期、 大陸は南極域にあり、 短い期間であるが大陸氷河が発達した。
絶滅は、 氷床の発達に伴う海水準の低下時、 及び氷河の消滅に伴う海水準の上昇時の2回確認されている。
氷床が融解して海水面が上昇すると再び絶滅のピークが訪れたが、 それが安定すると絶滅事変も収束を見せた。
シルル紀の初期に大陸棚が長期間再び冠水したため、 生命の多様性は回復し、 生き残った生物群集の中で生物多様性が増加した。

このように生物多様性が大きく失われた後、 シルル紀の生物群集は最初に、 より複雑ではなく、 より広範囲に分布するようになった。
後期オルドビス紀の特徴であった固有性の高い動物群集は、 顕生代で最も世界的な動物群集に取って代わられ、 シルル紀のほとんどの期間にわたって持続する生物地理学的パターンを呈した。

オルドビス紀 - シルル紀の大量絶滅事変はペルム紀末の大量絶滅や白亜紀末の大量絶滅のように長期に亘る爪痕を残したわけではなかったが、 短期間のうちに数多くの分類群が地球上から姿を消し、 多様性は失われて変化していった。

シルル紀

シルル紀(Silurian period)は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 オルドビス紀に続く3番目の「紀」である。
約4億4380万年前 - 約4億1920万年前の、 約2460万年の期間をいう。
シルリア紀(志留利亜紀)ともいう。

この時期、 生物の本格的な陸上への進出が始まり、 陸棲節足動物や最古の陸上植物が出現する。

シルル紀後期にリグニンを有した植物が登場し、 リグニンを分解できる微生物がいなかったので植物は腐りにくいまま地表に蓄えられていった。

西暦1835年ロデリック・I.マーチソンとアダム・セジウィックがイギリスのウェールズ地方に発達する地層に対し、 その地方の古民族名「シルリア族」より命名した。
西暦1950年頃までは、 スウェーデンのゴトランド島にちなんで「ゴトランド紀」とも呼ばれていた)
シルル紀初期、 南半球にはゴンドワナ大陸というかなり大きな大陸があり、 赤道付近には、シベリア大陸、ローレンシア大陸バルティカ大陸という3つの中程度の大きさの大陸、 そしてアバロニア大陸、カザフ大陸(カザフスタニア)などといった幾つかの小大陸があった。
ローレンシア大陸バルティカ大陸、アバロニア大陸の間にはイアペトゥス海という浅い海が広がり、 多くの生物が繁栄していた。
しかし、 3つの大陸は徐々に接近し、 約4億2,000万年前に衝突した。
このためイアペトゥス海は消滅し、 ユーラメリカ大陸(ローラシア大陸とも)という大陸が形成された。

デボン紀

デボン紀(Devonian period)は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 シルル紀に続く4番目の「紀」である。
約4億1920万年前 - 約3億5890万年前の、 約6030万年の期間をいう。
デヴォン紀と記載されることもある。

イギリス南部のデヴォン州に分布するシルル紀の地層と石炭紀の地層にはさまれる地層をもとに設定された地質時代である。

デボン紀は、 魚類の種類や進化の豊かさと、 出現する化石の量の多さから、 「魚の時代」とも呼ばれている。
デボン紀の時代区分
デボン紀は以下のように古い方から7の時代に分けられている。
始期期間
下部/前期 ロッコビアン(Lochkovian) 4億1920万年前 840万年
プラギアン(Pragian) 4億1080万年前 840万年
エムシアン(Emsian) 4億0760万年前 1430万年
中部/中期 アイフェリアン(Eifelian) 3億9330万年前 560万年
ジベティアン(Givetian) 3億8770万年前 500万年
上部/後期 フラニアン(Frasnian) 3億8270万年前 1050万年
ファメニアン(Famennian) 3億7220万年前 1330万年
石炭紀3億5890万年前
デボン紀の環境
デボン紀の陸上の環境

デボン紀の開始時期にあたる約4億2000万年前、 複数の陸塊同士(ローレンシア大陸バルティカ大陸など)が衝突し、 ユーラメリカ大陸が赤道直下に誕生した。 現在の北アメリカ東海岸、 グリーンランド、スコットランドがユーラメリカ大陸の一部であった。 ユーラメリカ大陸には、 陸塊の衝突時にできた巨大な山脈があった。 その山脈が大気の流れを大きく遮り、 恒常的な降雨を周辺地域にもたらしていた。 そのため長大な河川が出現し、 この河川に沿って動植物が大陸内部まで活動範囲を拡げていくことが可能となった。

前代のシルル紀には既に植物の陸棲化は開始していたが、 デボン紀には河川に沿って大規模に植生域が拡大していったアーケオプテリス(またはアルカエオプテリス、Archaeopteris)などのシダ状の葉を持つ樹木状植物が誕生したことにより、 最古の森林が形成されていった。 この森林の拡大にしたがい湿地帯も同時に形成されていった。

河川と森林そして湿地帯の存在が生物種の進化を支え、 さらに大陸内部の気候は、乾季や、 時には大規模な乾燥期もあったため、 後述する昆虫類や両生類など、 より乾燥に強い生物種の誕生を促した。
デボン紀の海洋環境

海洋では河川から流れてくる栄養もあり、コケムシやサンゴ[注釈 2]が大規模なコロニー(個体群)を形成していった。 このコロニーに、腕足類、ウミユリ、三葉虫、甲殻類、直角殻のオウムガイなどが生息し、 豊かな海を形成していた。 アンモナイトもこの時代に誕生した。 この豊かな海の時代に、 板皮類などの古いタイプの魚類が繁栄を極めていた。 サメなどの軟骨魚類もこの時代の海に出現した。
デボン紀の生物の進化
硬骨魚類の進化と両生類の出現
現世の魚類の大部分が属する硬骨魚類もデボン紀に大発展した。 彼等はこの前のシルル紀までに大陸河川域で棘魚類から分岐、 進化したと考えられている[注釈 3]。 乾季などで気候が乾燥する時期には、 水中の酸素濃度(溶存酸素)が低い環境にあるため、 ハイギョやシーラカンスなどの肺を持った肉鰭類が登場した。 さらにデボン紀後期には、 ハイギョ類のエウステノプテロンか近傍の種[注釈 4]から、 アカントステガやイクチオステガといった両生類が出現した[注釈 5]。

ちなみにアジやタイなど、 現世の大部分の硬骨魚類が属する条鰭類の真骨類には肺がないのは、 遊泳力向上のために肺が浮き袋に変化したからである。 そのため、デボン紀の硬骨魚類は条鰭類を含めて肺があり、 空気呼吸をしていたと思われる。 実際、デボン紀に登場して現生する条鰭類ポリプテルス目、ガー目、アミア目は、空気呼吸ができる。
昆虫の出現

前代のシルル紀には、 既にダニ(鋏角類)や、ムカデなどが属する多足類が陸上に出現しており、 節足動物の陸棲化は脊椎動物よりも進んでいた。 さらに約4億年前のデボン紀前期には、昆虫類が誕生した。

この昆虫類を含む六脚類の起源は、 先行して上陸していた多足類である、と以前は考えられていた。 しかし、遺伝子解析から昆虫類は、 カニやエビが属する甲殻類や、 ミジンコやフジツボが属する鰓脚類が、 六脚類により近いと判明している。 この結果から、 昆虫類は現生の淡水のミジンコとの共通の祖先種から、 後期シルル紀の淡水域において生息していたと考えられる。 その祖先種から、前述の河川と陸上の境界域で進化を重ね、 陸棲化したのが昆虫だと考えられる。 実際、出現当初の昆虫類の化石は、淡水域と陸上であった場所でしか発見されておらず、 また現生の昆虫のほとんどが陸棲である。

デボン紀の昆虫は、 現在発見されている化石からは翅の獲得はみられず、 原始的な形態であった。現在の昆虫類は、 動物種の大半を占めるほど多種であるが、 その多様な進化は石炭紀以降で顕著になったと思われる。
サメの出現

サメなどの軟骨魚類は、 前期デボン紀には存在していた。 ただし歯の化石には、 それよりも古いシルル紀末期のものもあるため、 厳密に言えば、起源は前代のシルル紀にあると考えられる。

サメの祖先は不詳であるが、板皮類に求める説が強い。 例えば西暦2008年には、 現生のサメが持つ胎生能力を板皮類も持っていたことが発見され、 共通の起源が示唆されている。

中期デボン紀には、 クラドセラケ[注釈 7][注釈 8]が登場した。 捕食生物であり、 7対の鰓[注釈 9]を有し、 硬い歯、背びれ、尾びれの形状と、 現生のサメと変わらない形態をしていた。
デボン紀末の大量絶滅
約3億7220万年前の後期デボン紀のフラニアン期とファメニアン期の境界(F-F境界)に発生した大量絶滅をいう。

古生物学上では五大大量絶滅に数えられる顕生代二度目の大量絶滅のうち主要な絶滅事変が発生し、 全海洋生物種のうち約80%、 属では50%代、 科では19%が絶滅した。 この出来事はケルワッサー事変とも呼ばれ、 F-F境界とケルワッサー海洋無酸素事変層は一致する。 なお、デボン紀にはD-C境界(デボン紀 - 石炭紀境界)をはじめ他の時期にも絶滅事変が起こっており、 これらを合わせてデボン紀の大量絶滅事変として扱うことも多い。

大量絶滅から海洋生態系が回復するには3600万年を要したと見られている。 デボン紀の大量絶滅が主に上記の2つの大規模な絶滅事変で構成されるか、 あるいは小さな絶滅事変の連続からなるかは明らかでないが、 300万年後の間隔で一連の異なる絶滅のパルスが複数の原因で発生していたことが示唆されている。 約2500万年の間に7回もの絶滅事変が起き、 特にジベティアン、フラニアン、ファメニアンのそれぞれの末期の絶滅事変が甚大だったとする説も提唱されている。

後期デボン紀までに、陸上には植物と昆虫が進出し、 海にはサンゴと層孔虫類による大規模な礁が形成されていた。 ユーラメリカ大陸ゴンドワナ大陸は後のパンゲア大陸に成長しつつあった。 絶滅は海洋生物にのみ影響したらしく、 腕足動物や三葉虫および造礁生物などが打撃を受け、 特に造礁生物はほぼ完全に絶滅した。 絶滅の原因は不明であるが、 主な仮説として地球寒冷化や海底火山の活動に起因する海水準変動や海洋無酸素事変が挙げられている。 また、スウェーデンのシリヤン・リングはF-F境界とほぼ同時期の約3億7680万年前(誤差170万年)に地球に衝突した隕石により形成されたクレーターであると考えられており、 その影響も提唱されている。

デボン紀後期から石炭紀初期は、 5大大量絶滅の一時期であり、 特に前述のサンゴ礁を作る赤道域の浅海域で選択的に絶滅が起こっている。
この大絶滅により、海洋生物種の82%が絶滅した。
その中には、デボン紀に繁栄を極めたダンクルオステウスなどの板皮類や、 原始的な脊椎動物である無顎類の大部分や、 プロエタス目を除いた三葉虫の大部分[注釈 12]が含まれる。
腕足類や魚類のデータから、 高緯度より低緯度の、 淡水域より海水域において絶滅率が高いことが判明している。

炭素、酸素、ストロンチウムなどの同位体測定や、 元素分析による古環境解析から、 気候の急激な寒暖の変化、 海水面の後退、乾燥化、低酸素化、 などの大きな環境変化がデボン紀後期に繰り返し発生し、 おそらくこれらの環境変化が大量絶滅の要因と考えられている。

石炭紀

石炭紀(Carboniferous period)は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 シルル紀に続く5番目の「紀」であり、 古生代最後の「紀」である、 ペルム紀のひとつ前の紀である。
約3億5890万年前 - 約2億9890万年前の、 約6000万年の期間をいう。

この時代は世界各地で、 石灰岩などを含む海成層と石炭を含む陸成層の両方の地層がよく発達した。
海成層にはフズリナ類、サンゴ類、ウミユリ類、腕足類、陸成層には鱗木や大型のシダ植物を主体とする植物化石が多産し、 当時大森林が形成されたとみられる。
両生類や昆虫類などの化石もかなり多い。
日本の石炭紀の地層は海成層で、石灰岩が多く、北上高地、中部地方、中国地方などに点在して分布する。
なおアメリカ合衆国では前期をミシシッピ紀、後期をペンシルバニア紀と二分して独立させて用いている。

この期間はデボン紀末の大量絶滅から、 ペルム紀直前の数百万年に及ぶ氷河時代で区切られている。

名前の由来は、イギリスでこの時代の地層から多く石炭を産することによる。
この地層から石炭を産するのは当時非常に大きな森林が形成されていたことの傍証となる。

生物界では、 温暖湿潤の環境下で森林を形成し、 石炭の素材になったシダ植物やトクサ類の著しい繁栄と、 森林生活に適応して急激に発展した節足動物のクモ類や昆虫類、 脊椎(せきつい)動物の両生類が特筆される。
石炭紀の生物

陸上では、シダ植物が発達し、 昆虫や両生類が栄えた。 この時代、両生類から陸上生活に適応した有羊膜類が出現し、 やがて二つの大きなグループが分岐した。 竜弓類(鳥類を含む爬虫類へとつながる系統)と単弓類(哺乳類へと繋がる系統)である。 当時の爬虫類ではヒロノムスなどが知られている。 また、パレオディクティオプテラやゴキブリの祖先プロトファスマなど翅を持った昆虫が初めて出現した。 これらは史上初めて空へ進出した生物である。

デボン紀から引き続いて節足動物の巨大化も著しく、 全長45cmの巨大ウミサソリ(メガラクネ)や翼長70cmの巨大オオトンボ(メガネウラ)、 全長2mの巨大ヤスデ(アースロプレウラ)などが発見されている。 これらの節足動物は陸上進出を果たした両生類や有羊膜類の貴重な蛋白源になったといわれている。 逆に三葉虫は衰えてプロエトゥス目(またはプロエタス目)のみとなった。末期には数百万年に渡る氷河時代が到来し多くの生物が死滅した。

巨大なシダ類が繁栄し、 中でもリンボク(レピドデンドロン)は大きいもので直径2m、高さ38mのものが存在し、 このような巨大なシダ類が湿地帯に大森林を形成していた。 これらの巨木は標準的なものでも20m-30mの高さがあった。

アメリカのイリノイ州には石炭紀の無脊椎動物の化石を多く産出する地層があり、ここから発見される動物群を特にメゾンクリーク動物群と呼ぶ。 メゾンクリーク動物群には腕足類やウミユリなどが多く含まれ、 トリモンストラム・グレガリウム(トゥリモンストゥルム)など異様な形態の動物も見受けられる。

後期にはエダフォサウルスなどの単弓類(哺乳類型爬虫類)が繁栄していく。

石炭紀の環境
多くの地域は年間を通して季節の変化はあまりなく、 1年中湿潤な熱帯気候であったといわれる。 一方で南極では氷河が形成されるなど、寒冷化が進行しつつあった。 石炭紀には木材のリグニンを分解できる菌類が十分に進化しておらず森林の繁栄により大量の炭素が石炭として固定化され、 ペルム紀初期の大気中の酸素濃度は35%に達したといわれる(現代は21%)。 このことが動植物の大型化を可能にしたと考えられている。

また、植物が繁栄したことで大量の二酸化炭素が吸収され、 その多くが大気中に還元されずに石炭化していったため、 大気中の二酸化炭素濃度が激減した。 これが寒冷化と氷河の発達、 ひいては氷河時代の一因とされる。 単弓類(哺乳類型爬虫類)が一番栄えたのは石炭紀に次ぐペルム紀(2億9900万年前から2億5100万年前頃)であり、 高酸素下で呼吸に支障はなかった。 その後、 二酸化炭素低下による寒冷化に伴う植物の炭素固定能の減退及び菌類によるリグニンの分解などにより酸素濃度は減少し続け、 最終的に三畳紀後期の2億年前には酸素濃度は12%まで低下した。 哺乳類型爬虫類の一部や哺乳類が獲得していた横隔膜式の呼吸は低酸素下では換気能の低さが問題となった。 鳥類は気嚢を持ち、 鳥類の祖先である恐竜(少なくとも竜盤目)も同様に換気能の高い気嚢を持ち、 低酸素下で支障がなかったと考えられている。 この低酸素環境が哺乳類型爬虫類の大部分の絶滅を引き起こし、 中生代の恐竜の発展の一因となったと考えられている[4]。

巨大な陸塊であるゴンドワナ大陸の南部が南極にあったこともあり、 ここには大規模な氷河(氷床)が形成されていき、 終盤に氷河時代が訪れた。
石炭紀の地質
地質的にはバリスカン造山運動の活動期に当たる。 デボン紀から存在していたライク海(リーク海、レーイック海またはミドローピアン海とも呼ぶ)はゴンドワナ大陸ユーラメリカ大陸にはさまれて末期には消滅し、 これがやがて次の時代のパンゲア大陸となる。 ライク海の消滅と歩調をあわせるかのように生物の陸上進出も進んだ。

この他にもシベリア大陸、 カザフ大陸(カザフスタニア)などの小さな大陸が存在していた。

ペルム紀

ペルム紀(Permian period)は、 顕生代古生代の六つの紀、 カンブリア紀オルドビス紀シルル紀デボン紀石炭紀ペルム紀の内、 石炭紀に続く6番目の「紀」であり、 古生代最後の「紀」である。
約2億9890万年前 - 約2億5217万年前の、 約4673万年の期間をいう。

以前はドイツの地層が上下に二分されることから二畳紀(にじょうき)と呼ばれることが多かったが、 近年はペルム紀と呼ばれることが多い。 ペルム紀という名前は、 ロシアのペルミという都市から名付けられた。
ペルム紀は約2億7300万年前までを前期(Cisuralian)、 約2億5900万年前までを中期(Guadalupian)、 それ以降を後期(Lopingian)として区分される。

ペルム紀の終わりに、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こった。
このとき絶滅した種の割合は、 海洋生物のうちの96%、全ての生物種の90%から95%に達すると言われる。

原因はまだよくわかっていないが、 スーパープルームにより地球史上もっとも激しい火山活動が起き、 気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、 大量絶滅に繋がったとする説がある。
(この火山活動が現在のシベリア・トラップを形成したとされる。 噴出した溶岩の量は、富士山が過去一万年間で噴出した溶岩の量の10万倍である)

それによる気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、 大量絶滅に繋がったとする説がある。
ペルム紀に生息していた生物
ペルム紀には、様々な植物、 巨大な両生類や爬虫類が生息していた。 その中には、 恐竜や鳥類、 現生爬虫類の祖先となる双弓類もいた。 哺乳類の祖先に当たる単弓類(哺乳類型爬虫類)も繁栄し、 陸上には豊かな生態系が築かれていた。 昆虫では完全変態の種族が進化したのも、 この頃であった。 ペルム紀の浅い海の堆積物からは、 豊富な軟体動物、棘皮動物、腕足動物の化石が産出する。 三葉虫なども繁栄していた。

植物では、シダ植物に加え、 イチョウ類やソテツ類といった裸子植物も繁栄を始めた。

既に節足動物と植物との間には密接な関係が構築されていた[3]。

また、特異な例であるが、この時代の微生物の培養が報告されている。 約2億5000万年前に形成された岩塩層から、 結晶内部に封じ込められていた古細菌と真正細菌の培養に成功し[注釈 1]、 古細菌の方はハロバクテリウム科の新属新種 Halosimplex carlsbadense として記載された。

大陸配置
ペルム紀の初期には、赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と、 南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突し、 パンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されていた。 北半球にはシベリア大陸が存在していたが、 やがてシベリア大陸もパンゲア大陸と衝突し、 ウラル山脈が形成され、 ほぼ全ての陸地が1つの超大陸としてまとまることとなった。 パンゲア大陸は赤道を挟み三日月状(Cの字)の形をとった。 大陸の周囲はパンサラッサと呼ばれる大洋が囲んでおり、 大陸の東側(三日月形の内側)には古テチス海と呼ばれる海が広がり、 シベリア大陸からゴンドワナ大陸に、 小大陸や島が点々と連なっていた。
ペルム紀の大陸配置

ペルム紀の初期には、 赤道付近に存在していたユーラメリカ大陸と、 南半球から北上してきたゴンドワナ大陸が衝突し、 パンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されていた。

北半球にはシベリア大陸が存在していたが、 やがてシベリア大陸もパンゲア大陸と衝突し、 ウラル山脈が形成され、 ほぼ全ての陸地が1つの超大陸としてまとまることとなった。

パンゲア大陸は赤道を挟み三日月状(Cの字)の形をとった。

大陸の周囲はパンサラッサと呼ばれる大洋が囲んでおり、 大陸の東側(三日月形の内側)には古テチス海と呼ばれる海が広がり、 シベリア大陸からゴンドワナ大陸に、 小大陸や島が点々と連なっていた。
ペルム紀の気候

ペルム紀の初期には、 ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、 大規模な氷床が発達していたため、 気候は寒冷だった。

しかしゴンドワナ大陸が北上して南極地域を脱したことから、 氷床は融解しはじめ、 気温は上昇に転じた。

ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こり、 地球の平均気温は23℃にも達した。 これは、6億年前から現在まででもっとも高い気温である。

こうした気候の中で、パンゲアの内陸部には砂漠化が進行していた。
ペルム紀末の大量絶滅

古生代後期のペルム紀末、 地球の歴史上最大の大量絶滅が起こった。
海生生物のうち最大96%、全ての生物種で見ても90%から95%が絶滅した。
既に絶滅に近い状態まで数を減らしていた三葉虫はこの時に、 とどめをさされる形で絶滅した。

これは、 約2億5100万年前のことで、 地質年代区分の用語でP-T境界(Permian-Triassic boundary)と呼ばれている。

原因はまだよくわかっていないが、 スーパープルームにより地球史上もっとも激しい火山活動が起き(この火山活動が現在のシベリア・トラップを形成したとされる。噴出した溶岩の量は、富士山が過去一万年間で噴出した溶岩の量の10万倍である)、 それによる気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、 大量絶滅に繋がったとする説がある。

また、 ペルム紀は前期と中期の終わりにも、 何らかの原因で環境激変が起き、 それぞれ中小規模の大量絶滅が起きていたようである。
前期末はオルソン絶滅事変(en:Olson's Extinction)、 中期末はキャピタニアン絶滅事変(en:Capitanian mass extinction event)と呼称される。
ペルム紀にこれらの大量絶滅が相次いだことで羊膜類(爬虫類と単弓類)及び両生類といった四肢動物も又、 その多くが絶滅していった。

この時期の環境の変化として、 寒冷化と海洋無酸素事変の発生が知られている。
酸素及び炭素同位体比のデータは、 2度の寒冷化及び有機物の堆積及び大気中の二酸化炭素の減少を示しており、 これは、 海水準の上昇及び大量絶滅と同時に起こっている。
また、 海水中のストロンチウム同位体比の変動は、 大陸風化の増加(気温の上昇)を示している。
ベルギー及び中国南部のF-F境界層から、 小天体衝突の証拠となるスフェルールが報告されているものの、 大量絶滅との関連はわかっていない。

一方で、 大量絶滅と生き残ったものによる適応放散が比較的短期間に繰り返されたことで、 より派生的な形質への進化が多くの生物において促されることになった。
哺乳類及び主竜類(ワニ、鳥類を含む恐竜)の直系の祖先も、 この時代に出現している。

中生代 4297

中生代」は、 最後の累代「顕生代」を細分化した3つの「代」、 「古生代」、 「中生代」、 「新生代」の、 「古生代」に続く2番目の「代」である。
約2億5217万年前から始まり、6600万年前まで続く。
イギリスの地質学者ジョン・フィリップス西暦1841年に命名した。

中生代は の3つの「紀」に細分される。

中生代の始まりと終わりは、 動物界におこった大きな変革で定義されるが、 これらは広範な陸化がおこった時期とも一致している。
古生代末には三葉虫、四放サンゴ、紡錘虫など多くの動物群が絶滅し、 腕足類、ウミユリなども大きく衰退した。
中生代にはアンモナイト、ベレムナイト(矢石、箭石(やいし))、 巨大な爬虫類(はちゅうるい)(恐竜など)が大発展を遂げるが、 これらも中生代末には絶滅して、 現在に近い新生代の動物と交代する。

この白亜紀と次の古第三紀の境界「K-Pg境界」 の大量絶滅の原因については、 現在ではメキシコのユカタン半島への大隕石の衝突による全球的地球表層環境の激変に帰せられている。
【疑問点】
最後の累代「顕生代」を細分化した「古生代」、「中生代」、「新生代」のうち、 「中生代」と「新生代」の境界、 言い換えると「中生代・白亜紀」と「新生代・古第三紀」の境界について。

恐竜の絶滅時期は、 多くの記事で「白亜期末の6550万年前」と記されている。 つまり、「6550万年前は白亜期である」と書かれているのである。

一方で、 「中生代・白亜紀」と「新生代・古第三紀」の境界は「約6600万年前がその境になる」との記述が比較的多いようだ。(「日本地質学会」が公開している「国際年代層序表」でも約6600万年前となっている)
次の「中生代・新第三紀」との境界は約2303万年前となっているので、 「中生代・古第三紀」は約6600万年前から約2303万年前までの期間をいう。
つまり、 「6550万年前は古第三紀である」ということになる。

この記述に従うと、 恐竜の絶滅は「古第三紀」の事となる。
白亜紀末の6550万年前」ではないはずである。。

なぜ、単に「約6550万年前」ではなく「白亜期末の」と修飾されているのか。

恐竜の絶滅時期が、 「白亜期末の6550万年前」と記載されている記事。
一般的には下記のように記載されている。
大部分の資料では「6600万年前」からとなっている。
「コトバンク」・「世界大百科事典」の「暁新世」の説明では「6500万年前」となっている。

殆どの資料では「恐竜の絶滅」は「6550万年前」となっている。

「ダニアン」の始期が「6600万年前」であるのなら、 「恐竜の絶滅」は、 「新生代」・「古第三紀」・「暁新世」・「ダニアン」の出来事である。

しかしながらどの資料も「恐竜の絶滅」は「白亜紀末」のできごとと記載されている。
「暁新世初期」、「ダニアン初期」と書かれた資料はないのである。

「コトバンク」のように「ダニアン」の始期が「6500万年前」なら「白亜紀末」は納得できる。

三畳紀 4387

三畳紀(Triassic period)は、 顕生代中生代を細分化した三つの紀、 三畳紀ジュラ紀白亜紀の内、 最初の(最も古い)「紀」である。 約2億5217万年前 - 約2億130万年前の、 約3917万年間の期間をいう。 トリアス紀と訳すこともある。 ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ西暦1834年に命名した。

三畳紀の名は、 南ドイツで発見されたこの紀の地層において、 堆積条件が異なる3色の地層が重畳していたことに由来する。

古生代最後のペルム紀中生代最初の三畳紀の境目には世界的な海退があり、 地球史上最大の大量絶滅があったとされる。

三葉虫や方解石サンゴ、 紡錘虫類などは絶滅し、 それまで繁栄していた単弓類などが種や属のレベルではほとんどが絶滅して、 大きく衰退した。 軟体動物では、 さまざまな二枚貝が死滅し、 ゴニアタイトが絶滅するなどアンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受け、 腕足類もまたスピリファをのぞくすべてが滅んだ。
棘皮動物においても同様の傾向がみられ、 海生生物の多様性は著しく損なわれた。 ...
時期区分
三畳紀は以下のように古い方から3つの世、7の期に分けられている。
始期期間
下部/前期(Lower) インドゥアン(Induan) 2億5190万年前 70万年
オレネキアン(Olenekian) 2億5120万年前 400万年
中部/中期(Middle) アニシアン(Anisian) 2億4720万年前 520万年
ラディニアン(Ladinian) 2億4200万年前 500万年
上部/後期(Upper) カーニアン(Carnian) 2億3700万年前 1000万年
ノーリアン(Norian) 2億2700万年前 1850万年
レーティアン(Rhaetian) 2億0850万年前 720万年
2億0130万年前
顕生代・中生代・三畳紀・下部/前期・インドゥアン(Induan)は、 国際層序委員会によって定められた地質時代名。
2億5190万2000年前(誤差2万4000年)から約2億5120万年前の約70万年間の時期である。

前の期は顕生代古生代・ペルム紀・チャンシンジアン、 続く期は顕生代・中生代・三畳紀・オレネキアン。
模式地はインダス川盆地に位置する。

インドゥアン(英: Induan)は、 インドュアンという表記もあるほか、 インダス期とも呼ばれる。 インダス階やインドゥアン階という表記もあるが、 「階」とは時代を示すものではなく地層に対して当てられる単位(層序名)であり、 層序名「 - 階」と地質時代名「 - 期」は対を成す関係である。
三畳紀の編年と時期区分
三畳紀」の名称は冒頭に掲げた通り、二畳紀(ペルム紀)の上層に、上位より、 の3層が重畳していることにより、 ドイツの地質学者フリードリヒ・フォン・アルベルティ西暦1834年に命名したことに由来する。

しかし、 実際にはドイツ周辺の海成層は三畳紀中期に属する年代のものに限られるため、 三畳紀全体を通しての編年にはアルプス山脈、 ヒマラヤ山脈、 および北アメリカ大陸北部における海生動物の化石に富む地層も併用され、 これらを標準として国際的な時期区分が設定されている。
以下、一般的な3期6階の国際的時期区分を示す。
なお、括弧内にはドイツ周辺の地層との関係を示している。
前期
スキティアン階(ブンテル)
中期
アニシアン階(ブンテル/ムッシェルカルク)
ラディニアン階(ムッシェルカルク/コイパー)
後期
カーニアン階(コイパー)
ノリアン階(コイパー)
レーティアン階(コイパー/レエティク)
ヨーロッパにおいて、 ブンテルは浅い凹地に堆積した色鮮やかな堆積物を含有する系列、 ムッシェルカルクは貝類化石をともなう石灰岩系列で、 コイパーは、 厳しい乾燥を示す岩塩と石膏の層をともなう大陸の堆積物の系列として知られてきたが、 こんにちでは第4の系列としてレエティクが含まれ、 三畳紀最新の地層に位置づけられている。
ペルム紀末の大量絶滅
古生代最後のペルム紀中生代最初の三畳紀の境目(P-T境界)には世界的な海退があり、 地球史上最大の大量絶滅があったとされる(ペルム紀末の大量絶滅)。 地球内部からのスーパープルームによる火山活動(シベリア台地玄武岩の形成)などにより、地球上の生物種の90パーセントないし95パーセントが絶滅したともいわれている[5]。また、古生代末には現在の南半球に相当するゴンドワナ地域に広い範囲に氷河が広がっていたことが、氷成礫層(ティライト)や氷河擦痕、氷稿粘土などの多くの痕跡によって確認されている[3]。 三葉虫や方解石サンゴ、紡錘虫類などは絶滅し、それまで繁栄していた単弓類などが種や属のレベルではほとんどが絶滅して、大きく衰退した[6]。軟体動物では、さまざまな二枚貝が死滅し、ゴニアタイトが絶滅するなどアンモナイト類を含む巻貝も大きな打撃を受け、腕足類もまたスピリファをのぞくすべてが滅んだ[4][6]。棘皮動物においても同様の傾向がみられ、海生生物の多様性は著しく損なわれた[2][6]。

三畳紀の自然環境

古生代末、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成された[2]。また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象がおおいに進行した。内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行がいちじるしく、赤色の砂が堆積していった[7]。砂漠のところどころにはオアシスが点在した[7]。

パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていた。

古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定される。ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いた。

三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられている[4]。この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられている[4]。

三畳紀の生物

ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現した。六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり[2]、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えた[6]。また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れた[4]。棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じた[3][注釈 3]。このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復した[2]。

三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物の放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミス[注釈 4]があり、歯状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要である[2][3]。なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視される[3]。 三畳紀後期に生息していた原竜脚類、テコドントサウルス 最古のカメ、オドントケリスの化石実測図

これに対し陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていない[2][3]。ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄した[3]。主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れた[8]。爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚をウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していった[7]。

この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定される[8]。中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていた。三畳紀恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカ・ヨーロッパなどでも確認されている[8]。湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測される[3]。カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスやプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されている[4]。また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられている[8]。三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかった[8]。

非哺乳類の単弓類が最後に繁栄したのも三畳紀だった。初頭には大型ディキノドン類リストロサウルスや最後の大型テロケファルス類モスコリヌスに加え、小型のトリナクソドンのようなキノドン類が多種多様な爬虫類と共存した。前期にはカンネメイエリアやキノグナトゥスがさらなる大型化と多様化を達成し、中期?後期にかけても大型種では植物食のプラケリアス、雑食のエクサエレトドンやディアデモドン、肉食のトルシキノドンが変わらぬ繁栄を見せ、小型種ではトラベルソドン類やイクチドサウルス類が生態系の隙間を埋めた[9]。

こうした三畳紀特有の生物相は、南米ロス・コロラドス層を見るに、三畳紀中盤から末期にかけて概ね維持されていた[10]。ただし竜脚形類や新獣脚類の台頭など、留意すべき点もある。

なお最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であった[4]。哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコか小型犬ほどの大きさであり多くの種はドブネズミかハツカネズミの大きさほどしかなかった[8]。

これらの内、一部の系統では歩行/走行と呼吸を並行して行うことが出来るようになっていた。これにより、後代の生物には真の恒温性を獲得することになる[11]。

三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったが、三畳紀に入ってその一部が海に進出した[8]。イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などがそれである[4][8]。

魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的であったが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖した[12]。両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられている。両生類には、分椎目のアファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえあったが、三畳紀を通じてその多くは衰退していった[13]。

陸上の植物ではシダ植物や裸子植物が著しく分布域を広げ[2]、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツやスギの遠祖となる針葉樹が現れた[7]。種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類やソテツ類、ベネティティス類も多かった。湿地帯には、現在のシダ植物のヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダやトクサも密に分布した[4]。また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていた[2]。

三畳紀末の大量絶滅

約1億9960万年前の中生代三畳紀末(T-J境界)に大量絶滅が発生し、 アンモナイトの多くの種が絶滅してしまった。
また、 爬虫類や単弓類も大型動物を中心に多くの系統が絶え、 当時はまだ比較的小型だった恐竜が以降、 急速に発展していく。
全ての生物種の76%が絶滅したと考えられている。

パンゲア大陸を分裂させ大西洋を形成する地殻変動と連動した、 中央大西洋マグマ分布域における火山活動が絶滅の原因として有力視されている。

また、絶滅の原因をカナダにあるマニクアガン・クレーターを作り出した隕石の衝突と見る説もある。岐阜県坂祝町にある木曽川の河床と大分県津久見市でこのクレーターが作られた時期である約2億1500万年前の地層から、白金族元素であるオスミウムが通常の20倍から5000倍の濃度で見つかった。白金族元素は地殻にはほとんどないが隕石には豊富に含まれており、隕石の衝突で広範囲にばらまかれたと考えられている。この考え方は、後述する白亜紀末の大量絶滅と共通した考え方である

海洋ではアンモナイトの多くの種が姿を消し、魚竜などの海洋棲爬虫類も打撃を受けた。陸上ではキノドン類、ディキノドン類の大半の種といった大量の単弓類(哺乳類型爬虫類)が絶滅した[8]。三畳紀の終末を生き延びた恐竜など陸生脊椎動物は、繁殖様式(卵など)や生活様式から乾燥にとくに強いタイプのものと考えられる[8]。また、爬虫類も単弓類同様に大型動物を中心に多くの種が絶滅した。まだ比較的小型だった恐竜は、三畳紀末期には竜脚類のような大型種も出現し、そののち急速に発展していく。絶滅の原因としては、直径3.3 - 7.8km程度の隕石の落下[14]あるいは、中央大西洋マグマ分布域(Central Atlantic Magmatic Province)における火山活動との関連が指摘されている[15] [16] [17]。こうした環境の変化を経る中で、獣弓類は生態系の脇役へと姿を変え、かつて覇権を誇ったクルロタルシ類は姿を消していった。そして敏捷で呼吸効率の良い恐竜が生態系の主役を担うようになる[18]。なお恐竜の先駆けとして登場したシレサウルス類もまた、子孫筋にニッチを明け渡していた。

三畳紀の地層

三畳紀の地層を三畳系という。 三畳紀には大規模な海進はなかったとみられており、そのため、安定陸塊においては陸成層や台地玄武岩が卓越し、海成層の分布はほとんどみられない[2]。一方、テチス海域だった地域および大洋周囲の変動帯ないし準安定地域だった地域には、しばしば珊瑚礁由来の石灰岩や層状チャートをふくんだ三畳系海成層もみられる[2]。

三畳紀の日本

日本の三畳系は、ふるくは分布範囲はきわめて狭小であるとみなされてきたが、一時期古生代に属すと考えられてきた外帯(太平洋側)のチャート層や石炭岩からコノドント化石が見つかり、これによって三畳紀の地史が大きく解明された。すなわち、従来古生代後期の地層とされてきた海洋性の石灰岩やチャート、また、海底火山岩のうちのかなりの部分が三畳紀に形成された地層であるとみなされるようになった[2]。一方、内帯(日本海側)および外帯一部には、三畳紀にすでに付加された古生代の地層と三畳紀前後に形成された花崗岩および広域変成岩が分布して、これらを基盤として三畳紀後期における陸棚性・瀕海性の厚い堆積物が比較的小範囲に点在する。その多くは炭層をふくみ、産出化石はシベリア方面の種との共通性を示している[2]。

皿貝動物群

北上山地南部の太平洋沿岸にある宮城県南三陸町皿海集落には三畳系後期ノリアン階の貝化石産地があり、集落名を採って「皿貝動物群」あるいは「皿貝化石群」と称される。ここでは、モノティスと称される翼形二枚貝の検出が特徴的である[3]。

ジュラ紀 4683

ジュラ紀(Jurassic period)は、 3つに細分された、 顕生代・新生代の2番目(真ん中)の「紀」である。
約2億130万年前 - 約1億4500万年前の約6800万年間の期間をいう。
恐竜が繁栄し、そして絶滅した恐竜の時代ともいえる。

ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まった。
絶滅は地上と海洋の両方でおき、 地上の方が数百万年早かったと言われている。
海洋生物の20%と恐竜・翼竜・ワニ以外の祖竜(主竜類)、 獣弓類が死滅し(最近日本で白亜紀の地層から化石が見つかっているのでこの説は疑問視されているが、少なくとも衰退したのは間違いない)、 最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消した。
この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されているが、 現在は中央大西洋マグマ分布域における火山活動との関連が有力視されている。

三畳紀末期の絶滅を生き残った恐竜が栄えた。
三畳紀から相次いだ火山活動の結果、 大気中の二酸化炭素濃度は高く、 ジュラ紀は現在よりも暖かく、 降水量も多く、 湿度も高かった。
そのため動物、 植物はともに種類が増え、 大型化していった。
植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、 それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。

またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。
海洋ではアンモナイトや、 プランクトンが繁栄し、 地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。
小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、 始祖鳥が現れたのもこの時代である。

ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、 海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。3 また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。

名前

ジュラ紀の名前は、 フランス東部からスイス西部に広がるジュラ山脈において広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、 西暦1829年にアレクサンドル・ブロンニャールにより提唱された。
その後、 西暦1962年と西暦1967年に開かれた国際ジュラ系層序小委員会により、 11の階(期)の区分が確立された。

漢字表記の「侏羅紀」は、 現代の日本ではほとんど使われていないが、 中国語では正式名称として使われている。

気候と生物

ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まった。
絶滅は地上と海洋の両方でおき、 地上の方が数百万年早かったと言われている。
海洋生物の20%と恐竜・翼竜・ワニ以外の祖竜(主竜類)、 大型獣弓類が衰退し(最近日本で白亜紀の地層からトリティロドン類が見つかっているが、これも小型種だった)、 最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消した(例外はクーラスクス)。
この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されているが、 現在は中央大西洋マグマ分布域(英語版)における火山活動との関連が有力視されている。

三畳紀末期の絶滅を生き残った恐竜が栄えた。
三畳紀から相次いだ火山活動の結果、 大気中の二酸化炭素濃度は高く、 ジュラ紀は現在よりも暖かく、 降水量も多く、 湿度も高かった。
そのため動物、 植物はともに種類が増え、 大型化していった。
植物ではイチョウ、 ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、 それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていった。
またジュラ紀の後半には被子植物も現れた。
海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し、 地上では恐竜が多種多様な進化を遂げた。
小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、 始祖鳥が現れたのもこの時代である。
三畳紀に登場した哺乳類(哺乳形類や、その母体であるキノドン類の生き残り含む)は、 小動物としてのニッチを確立していた。
例として彼らが掘り上げた巣穴が見つかっている。

ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)である。また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れた。

古地形とテクトニクス

前期ジュラ紀を通じてパンゲア大陸が、 北のローラシア大陸と南のゴンドワナ大陸に分裂した。
とはいえ、 両者の距離は近く、 隔絶は未だ完全ではなかった。
温暖であったため海水準が高く、 ローラシアはしばしば浅海により東西の陸塊に分かれていた。
ジュラ紀の北大西洋は現在に比べて狭く、 南大西洋はゴンドワナ大陸の分裂が始まる白亜紀まで開かなかった。
テチス海は閉じ、新テチス海盆を形成した。
大規模な火山活動がみられ、 太平洋海底のシャツキー海台はその一つであり、 ジュラ紀後期から次の白亜紀前期にかけて形成された。

気候は温暖であり、氷河があった痕跡は認められない。
三畳紀と同様に、極付近に陸地はなく氷冠の成長もなかった。

ジュラ紀の地質学的記録は、 西ヨーロッパでよく保存されており、 有名なジュラシック・コーストや、 上部ジュラ系のゾルンホーフェン石灰岩層を含む熱帯の浅海における堆積過程が観察できる。
それとは対照的に、 北アメリカでは中生界ジュラ系はほとんど分布せず、 露頭も極めて少ない。

白亜紀 4821

白亜紀/白堊紀(Cretaceous [period])は、 3つに細分された、 顕生代・新生代の3番目(最後)の「紀」である。
約1億4500万年前 - 約6600万年前の約7900万年間の期間をいう。

この時代は、 前のジュラ紀から続く中生代の最後の時代である。
次の時代は、新生代古第三紀の暁新世である。

「白堊」の「堊(アク; アと読むのは慣習)」の字は粘土質な土、 すなわち石灰岩を意味し、 石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついた。
また「白亜」の「亜」は、「堊」の同音の漢字による書きかえである。

約1億4,500万年前-約6,600万年前[1] 花を咲かせる被子植物の出現。 魚竜と首長竜などが海洋無酸素事変で絶滅。 恐竜の繁栄が継続。 モササウルス類が出現し繁栄。 白亜紀末(K-T境界,K-Pg境界)に地球規模の大絶滅が起こり、恐竜類は鳥類を除いて絶滅した。(ただし、アラモサウルスなどのごく一部の属はこれを生き延びた可能性がある)

概要

温暖な気候と高海水準とで特徴付けられる時代である。他の地質時代と同様に、開始と終了との地層には際立った特徴があるものの、正確な年代については、数百万年程度の誤差が見受けられる。白亜紀の終わりを示すK-Pg境界においては、イリジウムが大量に含まれた粘土層が世界中に見つかっている。これは、6,568万年前にユカタン半島及びメキシコ湾にある巨大なチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の衝突によってその破片が地上に降り積もったものと考えられている。この隕石の落下が引き起こした気候変動が、白亜紀末の大量絶滅に関係しているという学説は、現在では地質学者、古生物学者等の間で広く支持されている。 次の12の時代に分けられている。 うち、アルビアンまでを前期、セノマニアン以降を後期とする。

時代区分

白亜紀は以下のように古い方から12の時代に分けられている。

始期期間
下部(Lower) ベリアシアン(Berriasian) 1億4500万年前 520万年
バランギニアン(Valanginian) 1億3980万年前 720万年
オーテリビアン(Hauterivian) 1億3260万年前 720万年
バレミアン(Berremian) 1億2940万年前 320万年
アプチアン(Aptian) 1億2500万年前 1370万年
アルビアン(Albian) 1億1130万年前 1370万年
上部(Upper) セノマニアン(Cenomanian) 1億0050万年前 1080万年
チューロニアン(Turonian) 9390万年前 660万年
コニアシアン(Coniacian) 8980万年前 350万年
サントニアン(Santonian) 8630万年前 270万年
カンパニアン(Companian) 8360万年前 1150万年
マーストリヒチアン(Maastrichtian) 7210万年前 610万年
6600万年前

(白亜紀)気候と生物
(白亜紀)気候

ジュラ紀から白亜紀の境目に大きな絶滅などはなく、 長期にわたり温暖で湿潤な気候が続いた。
前期白亜紀において、 一時的な寒冷化が見られるものの、 同時期の表層海水温に関する研究では、 低緯度地域で32 ℃、中緯度地域で26 ℃と現在より高い海水温で安定していたことがわかっている。
末期には気候帯が現われ、植物相にも変化が見られた。

(白亜紀)植物

植物は、 主流であった原始的な裸子植物やシダなどが減少し、 被子植物が主流となって進化、 繁栄を遂げた。
スギなどの針葉樹は現代と同じ形まで進化し、 イチジク、スズカケノキ、モクレンなどが現在とほぼ同じ形となった。

(白亜紀)地上動物

超大陸パンゲアの分裂が一層進んだが、 これによって地理的な隔離が起きたため、 陸上の生物の多様性を更に高めることとなった。
地上の動物は、 恐竜やワニなどの爬虫類が支配的地位を占め、 ジュラ紀に続いて全盛期であった。
地上、海洋及び空を含め多種多様な進化を遂げている。
白亜紀前期まではジュラ紀に栄えた恐竜の系統も依然健在であったが、 白亜紀後期においては、 その多くは姿を消した(アロサウルス上科、ディプロドクス上科、ステゴサウルス類など)。
代わってジュラ紀にはあまり目立たなかった系統の恐竜が新たな進化を遂げ、 放散することになる。
白亜紀後期の恐竜及び翼竜の代表的な種は、 ティラノサウルス、トリケラトプス、プテラノドンなどが知られる。
しかし白亜紀末期に他の多くの生物と共に恐竜は衰退し、 最終的に現生鳥類を除いて絶滅する(後述)。
また、 翼竜類においては特に翼指竜亜目が白亜紀前期に多様化のピークを迎えていたが(翼竜の中でも嘴口竜亜目は前期を最後に姿を消した)、 白亜紀後期には鳥類の発展と対照的に中・小型の翼竜類が衰え、 プテラノドンやケツァルコアトルスなど大型種だけが残る状況となっていた。
有鱗目 においてヘビ類が地中性又は水中性のトカゲ類から進化したのも、 白亜紀であるとされる。

哺乳類は、 この時代に形態を大きく進化させ、 胎生を持つようになり、 また、 有袋類及び有胎盤類への分化を遂げた。
中には恐竜の幼体を襲っていた種もある。
ただし、それらの形態は、小さな形の種にとどまっていたものが多い。
有胎盤類は、白亜紀後期には既に多くの系統へと分岐していたようである。

前時代に恐竜から分岐した鳥類では、 この時代に真鳥類が出現している。
しかし、 大勢を占めたのは、 古鳥類(英語版)であり、 陸上性では孔子鳥、 エナンティオルニス類などが繁栄した。
なお、 海鳥では、 真鳥類のヘスペロルニス、イクチオルニスなどが栄えた。
しかし、 白亜紀に全盛を迎えたこれらの鳥類の集団は、 白亜紀末期にほとんどが絶滅した。
この時期に現生鳥類の直系の祖先も出現している。
多くの目は、白亜紀後期には分化していたようだ。

(白亜紀)海洋動物

海洋では1億2000万年前に現在のオントンジャワ海台を形成した大規模な海底火山噴火が南太平洋で発生した(その2000-4000万年後には更に二次的な噴火が起きた)。
更にカリブ海、 インド洋のケルゲレンなどでも大規模な火山活動が度々発生し、 これらの火山噴火に前後して海洋無酸素事変も発生している。
白亜紀後期序盤に魚竜、 海生ワニ類、 大型のプリオサウルス類(首長竜の一群)が絶滅したのは、 この影響ともされる。
代わって後期白亜紀全体の生態的支配的地位を占めた頂点捕食者のモササウルス類、 エラスモサウルス類をはじめとする首長竜などが繁栄した。
軟骨魚類では現在見られる型のエイ及びサメ、硬骨魚類ではニシン類が現れ、 軟体動物では狭義のアンモナイトなどが進化を遂げた。

ジュラ紀中期に誕生した浮遊性有孔虫、 及びココリスなどのナンノプランクトンは、 この時期に生息域を大きく拡大させ、 その遺骸は白亜紀の名称の元となった石灰岩層を形成した。

白亜紀末の大量絶滅

K-Pg境界の大量絶滅
詳細は「K-Pg境界」を参照

地上・空・海で繁栄していた爬虫類であったが、 白亜紀の末には急減した。
大量絶滅の影響を受けたためである。

白亜紀末には、 地球史の上で5回目の、 規模としては古生代ペルム紀末期の大絶滅(P-T境界)に次ぐ大規模な絶滅が起きた(K-Pg境界)。
この大量絶滅では、 陸上生物の約50%、海洋生物の約75%、 生物全体で約70%が絶滅したと考えられている。
哺乳類・爬虫類・鳥類の多くが絶滅し、 特に恐竜は(現生種につながる真鳥類を除いて)全てが絶滅した。
また、 海洋においても、カメ、カンプソサウルス(チャンプソサウルス)類以外の全ての海棲爬虫類、 全てのアンモナイト類が絶滅している。
しかし、 アメリカで、 この大量絶滅から70万年後とされる地層からアラモサウルスの化石が発見され、 議論を呼んでいる。
この発見は、 カナダのアルバータ大学などの研究により確認され、 論文がアメリカ地質学協会の専門誌に掲載された。

現在では絶滅の直接の原因は隕石(小惑星)の衝突によるものであるという説が広く知られており、 西暦2010年3月5日には12ヶ国の研究機関による研究チームが同説が絶滅の直接の原因であると結論づけた。
ただし、それ以外の説も依然として存在する。

(白亜紀)地質

白亜紀の終わりにかけて、 パンゲア大陸は完全に分裂し、 配置は異なるものの現在ある大陸と同じ構成になった。
ローラシア大陸は北アメリカヨーロッパとに分かれて大西洋が広がり、 ゴンドワナ大陸南極大陸、 オーストラリア大陸、アフリカ大陸、南アメリカ大陸に分割された。
インド及びマダガスカルは、 まだアフリカと陸続きであったが末期には分裂し島大陸となっていた。
北アメリカ大陸に食い込むようにして形成されていた浅い海は石炭層に挟まれて陸地となり、 海の堆積物を多く残した。
この他で重要な白亜紀の地層の露出は、中国とヨーロッパとで見られる。
また、 インドのデカントラップにある大量の溶岩の地層は、 白亜紀から暁新世にかけて形成されたものであることがわかっている。

新生代

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」は、 「冥王代」、「太古代」、「原生代」、「顕生代」がある。
新生代(Cenozoic [era])は、 最後の「顕生代」を細分化した「古生代」、「中生代」、「新生代」の3つの「代」の内、 3番めの(最後の、最新の)「代」である。
約6600万年前から始まり、現在まで続く。

陸上では恐竜が絶滅し、 海中ではアンモナイトと海生爬虫類が絶滅した後、 哺乳類が繁栄したことで特徴づけられる。

新生代は

の3つの「紀」に細分される。

また、新第三紀と古第三紀を合わせた地質時代を、非公式な用語として第三紀と呼ぶことが許されている。

地球環境

中生代の初めに超大陸パンゲアが分裂して大西洋やインド洋が生まれ、 現在の大陸分布になった。

古生代に存在した超大陸パンゲアは中生代に分裂し、 各大陸は移動し始める。 新生代が始まったときには、 オーストラリアと南極大陸はひとつになって南半球にあり、 ユーラシア、アフリカ、 南アメリカ、 北アメリカ、 インドの各大陸は海を隔てていた。 南アフリカから分かれて北上していたインド大陸は約4000万年前にアジア大陸に衝突、 ヒマラヤ山脈やチベット高原の上昇が始まる。 約3800万年前にオーストラリア大陸と南極大陸が完全に分離し、 約2000万年前には南アメリカ大陸と南極大陸も離れて、 南極大陸が完全に海で囲まれる。 インド大陸はアジア大陸に衝突したあとも北上を続けアジア大陸の内部に約2000kmも突入したため、 衝突地点のヒマラヤ山地や背後のチベット高原は、 その下にもぐりこまれたインド大陸に押し上げられ隆起した。 隆起しつつあるヒマラヤ山脈では高山に対する激しい浸食による岩石の風化が継続している。 約350万年前に南北アメリカ大陸の間にパナマ地峡ができて、 大西洋と太平洋が分離された。

気候と生物の進化

中生代の地球環境は温暖であったが、 新生代に入ると地球は徐々に寒冷化してゆき古第三紀の漸新世以後は南極大陸氷床が発達し第四紀氷河時代に入る。
動物は、 新生代の始まりであるK-T境界を境に中生代に栄えた大型爬虫類の多くが絶滅し、 地上は哺乳類と鳥類の適応分散が始まった。
植物では中生代白亜紀に生まれた被子植物が全世界に広がっていった。

時代区分
新生代の時代区分
始期期間
古第三紀 暁新世 ダニアン 約6600万年前 約440万年
セランディアン 約6160万年前 約240万年
サネティアン 約5920万年前 約320万年
始新世 ヤプレシアン 約5600万年前 約820万年
ルテシアン 約4780万年前 約650万年
バートニアン 約4120万年前 約349万年
プリアポニアン 約3771万年前 約381万年
漸新世 ルペリアン 約3390万年前 約608万年
チャッティアン 約2782万年前 約479万年
新第三紀 中新生 アキタニアン 約2303万年前 約259万年
バーディガリアン 約2044万年前 約447万年
ランギアン 約1597万年前 約215万年
サーラバリアン 約1382万年前 約219万年
トートニアン 約1163万年前 約439万年
メッシニアン 約724万年前 約190.8万年
鮮新世 ザンクリアン 約533.2万年前 約173.2万年
鮮新世 約360万年前 約101.2万年
第四紀 更新世 ジェラシアン 約258.8万年前 約78.2万年
カラブリアン 約180.6万年前 約102.5万年
中期更新世 約78.1万年前 約65.5万年
後期更新世 約12.6万年前 約11.43万年
完新世 グリーンランディアン 約1.17万年前 約10,880年
ノースグリッピアン 約820年前 約400年
メーガーラヤン 約420年前 ---

古第三紀

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀(Paleogene [period])は新生代を細分化した3つの「紀」の「古第三紀」、「新第三紀」、「第四紀」の最初の(最も古い時期の)「紀」である。
約6600万年前から始まり、約2303万年前までの約4297万年の期間である。

古第三紀はさらに、暁新世始新世漸新世の3つの「世」に時代区分される。 この時代の暖かい海では大型有孔虫のカヘイ石が繁栄した

気候は比較的温暖で、 堆積(たいせき)物は石灰岩質に富み、 ヒマラヤ-アルプスなど世界の大山脈が造山期へと転化した時期にあたる。
生物地理区の分化はまだなく、 生物は汎(はん)世界的に分布するものが多い。

現生の生物と共通する種はきわめて少ない。
植物界では、 中生代白亜紀に繁栄し始めた被子植物の発展が目だつ。

海生の底生大形有孔虫のヌムリテスNummulitesが繁栄した時代で、 ヌムライト紀ともいう。

気候と生物

古第三紀の気候は温暖であった白亜紀半ば以後徐々に低温化していったが、 約3400万年前の始新世と漸新世の境界時代に南極大陸に巨大な氷床が形成された。
これ以後が現在も続いている新生代後期氷河時代である。

K-T境界の事件で、 中生代に地上・海中・空中に繁栄していた恐竜などの大型爬虫類は、 ワニ類を除いてほとんどいなくなった。
新生代は哺乳類と鳥類の適応放散が起こった。
小型恐竜の一部から派生・進化した鳥類は既に白亜紀において空中でも陸上でも翼竜や恐竜と伍して生活していたため当初は哺乳類より有利であり、 古第三紀最初(暁新世)の最大の捕食者は鳥類のディアトリマであった。
古第三紀が始まったときの哺乳類は、 ほとんどが草食や昆虫食で大きさもネズミほどのものが多く最大のものでもネコ程度であったが、 爬虫類がいなくなった地上に適応し体も大きくなってゆく。
哺乳類は暁新世から始新世にかけて第一次適応放散の後、 漸新世で2度目の適応放散を行う。
現在見られる哺乳類の多様性は漸新世から始まった。
すなわち現代型のクジラ、 齧歯類のリス・ネズミ、 長鼻類のゾウ、 霊長類の真猿類(いわゆるサル)、 奇蹄類のウマやサイ、 偶蹄類のイノシシやラクダ、 食肉類のサーベルタイガーやクマなどが漸新世に現れた。
なお、 新生代初め、 オーストラリア大陸は南極大陸南極大陸が南米とも繋がっていたが)とのみ繋がっており、 他の大陸とは海を隔てていたため、 これらの哺乳類(真獣類)とは系統が異なる単孔類や有袋類が適応放散していた。
オーストラリア大陸の生物の特殊性は人類がオーストラリアに渡るまで継続した。
同じように他の大陸と離れていた南アメリカには北米と繋がるまで一部の真獣類と有袋類が繁栄した。

暁新世末の約5500万年前に突発的な温暖化が起こり、 海洋の中層から低層に生息していた有孔虫の35-50%が絶滅した。
この時海洋深層水の温度は5-7℃、 気温は6-8℃上昇し5万年から10万年かけて元に戻った。
原因として当時の海底に大量に存在していたメタンハイドレートが融解し、 数千年の間に炭素量換算1500ギガトンのメタンガスが大気中に放出され、 メタンによる温室効果と、 その後メタンが酸化されてできる二酸化炭素による温室効果が想定されている。
またこの時メタンが放出されたとされる地形が北大西洋のノルウェー沖で見つかって西暦2004年に発表されている。
1500ギガトンという温室効果ガスの量は、 産業革命以来人類が発生させてきた二酸化炭素量と今後発生させると予想される二酸化炭素量の合計に匹敵するとされている。

暁新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・暁新世(Paleocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約6600万年前から約5600万年前までの約1000万年の期間を指す。
古第三紀を細分化した暁新世、始新世、斬新性の3つの「世」の1つ目の(最も古い時期の)「世」である。

暁新世はさらに「ダニアン」、 「セランディアン」、 「サネティアン」の3つの「期」に細分化される。

前時代である、 顕生代中生代白亜紀には主役であった恐竜のグループは、 鳥類を唯一の例外として、 そのほかはK-Pg境界においてことごとく絶滅している。
(ただし、アラモサウルスなどのごく一部の属は境界における絶滅を免れ、この時代のダニアン期まで生き延びていた可能性が化石から示唆されている)。

海中におけるアンモナイトや首長竜類、モササウルス類も全て滅びた。

ダニアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・暁新世・ダニアン(Danian)は地質時代の時代区分の一つで、 約6600万年前から約6160万年前までの約440万年の期間を指す。

暁新世を細分化したダニアン、セランディアン、サネティアンの3つの「期」の1つ目の(最も古い時期の)「期」である。

模式地は、 デンマークのステウンス・クリントとFaxoe。
名称はデンマークのラテン語名に由来する。

層序学上の定義

ダニアンは、 スイスの地質学者Pierre Jean Edouard Desor (1811 - 1882)が西暦1847年に発表した論文によって紹介された。
Danianの名はデンマークのラテン名に由来している。
曉新統最下部として定義されたモンティアンという名称は、 ダニアンと同義と見なされており、 現在その名は使用されていない。

ダニアン階の基底は、 世界中のK-T境界を特徴づけたイリジウム濃集層によって定義される。
チュニジアのEl Kef近くで観察されるK-T境界粘土層が、 ダニアン階基底の模式地として指定されている。

概説

ダニアン期の最初期の数十年間に相当な気候的変化があった。
その期間を除くとダニアン期の気候は白亜紀と同様に温暖であったと見られる。

鳥類を除く恐竜は絶滅し、 哺乳類やその他の陸上動物(爬虫類・両生類等)は小型のものしか存在していなかった。
ダニアン期では、 最も大きな陸上動物でも現代の大きな猫を上回らなかった。
恐竜絶滅後の空白を埋める哺乳類の進出はまだ目立っていない。
しかし、この時期、哺乳類の大部分の目は既に現れていた。
一方、オーストラリアの周りの地域で、現代の鳥の多数の血統が生き残った。

ダニアン期の化石は海中の有孔虫を除いて発見されることは稀である。
特に陸上動物の化石は歯以外はほとんど発見されていない。

海は白亜紀末期と同じ状態であったが、 海洋爬虫類が絶滅したため白亜紀より遥かに少ない種類と数の生物が存在し、 それらは小さかった。

ただし、最初の7万年間は海洋無酸素事変があった。

恐竜が白亜紀末期を乗り越え新生代に生き延びた可能性が示唆される化石が幾つか見つかっている。
K-T境界の70万年後とされる北米の地層からアラモサウルスの化石が見つかっている。
また、 ヨーロッパフランス)ではこれより更に新しい約6300万年前とされる地層から、 ヒプセロサウルスの卵とされる化石が発見されている。
恐竜がいつまで生きていたかは、 現時点では明らかになっていないが、 恐竜が白亜紀末期を生き延びていたことを示唆する化石証拠とされるものも精々ダニアン期に留まり、 以降、 その痕跡は途絶えている。

セランディアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・暁新世・セランディアン(Selandian)は地質時代の時代区分の一つで、 約6160万年前から約5920万年前までの約240万年の期間を指す。

暁新世を細分化したダニアン、セランディアン、サネティアンの3つの「期」の2つ目の「期」である。

名称はデンマークのシェラン島に由来する。

サネティアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・暁新世・サネティアン(Thanetian)は地質時代の時代区分の一つで、 約5920万年前から約5600万年前までの約320万年の期間を指す。

暁新世を細分化したダニアン、セランディアン、サネティアンの3つの「期」の最後の(最も新しい時期の)「期」である。

名称はイングランド南東部のケント州にあるサネットに由来する。

始新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・始新世(Eocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約5600万年前から約3390万年前までの約2210万年の期間を指す。
古第三紀を細分化した暁新世、始新世、斬新性の3つの「世」の2つ目の「世」である。

始新世はさらに 「ヤプレシアン」、 「ルテシアン」、 「バートニアン」、 「プリアポニアン」の4つの「期」に細分化される。

始新世に形成された地層を始新統という。
気候は現在よりも著しく温暖で、 高海面期にあたる。

動物界の哺乳(ほにゅう)類ではウマやゾウの祖先型が出現し、 大形のものも現れた。
しかし、 現在と共通する動物の種はまだきわめて少ない。

植物界ではカエデ、ブナ、ヤシなどが増加した。

気候
約5500万年前に暁新世-始新世温暖化極大が発生し、 暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、 新生代では最も高温の時代になった。
湿度も高かった。

その原因として北大西洋での海底火山活動やそれに伴う1500Gtのメタンハイドレートの融解などの温暖化ガスの大量放出があり、 地表5-7℃の気温上昇の温暖化が起こり、 元の二酸化炭素濃度に戻るのに3万年を要したとされる。
極地付近にも氷床はなく、 ワニや有袋類の化石が出土している。

始新世末或いは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下したが(始新世終末事件)、 この頃彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説がある。
また当時大規模な海退が起こり、 海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われる。

インド大陸がユーラシア大陸に接近し始めてテチス海が狭まっていき、 南極大陸が南米大陸やオーストラリア大陸から分離するなど、 始新世は海洋と大陸の配置が大きく変わりつつあった時代だが、 それに伴って地球規模で循環する海流の動きも大きく変動していたと思われ、 これも又、 海退と寒冷化の一因とされる。
海陸の分布
ヨーロッパ北アメリカは更に大きく離れて大西洋が拡大し、 両大陸の連絡は始新世中期には絶たれたが、 北アメリカとユーラシアはベーリング海方面で次第に接近し、 陸橋となっていた。
既に南アメリカと分離していた南極大陸・オーストラリア大陸塊は始新世半ば以降分裂した。
インドはアジア大陸に接近しつつあった。
生物
高等有孔虫類・二枚貝類が繁栄した。
現存哺乳類のほとんどの目(もく)は始新世の初期には現れている。
鯨偶蹄目・奇蹄目(ウマ目)などが発展し始めた(クジラ類が鯨偶蹄目から現れたのもこの頃)。
新しい目の種の多くはまだ小さく、 10kg以下であるが、 ウインタテリウム(恐角目)のような巨獣も出現するなど、 哺乳類の放散が始まっている。
恐角目、汎歯目、紐歯目といったような原始的な哺乳類の多くはこの時代を乗り切れず、 後期から末期には姿を消していた。
その空白を埋めるように新たな哺乳類の出現が促され、 第二次の適応放散が始まったと言える。
その中でコウモリ類のように空にも哺乳類が進出していく。
霊長類では真猿亜目が出現したのがこの頃とされる。
鳥類の現存目もこの時代に完全に現れる。

北米とヨーロッパの生物相は類似しており、 この時代まで両者に陸橋があった名残である。
温暖湿潤な気候のため森林が優勢で、草本類の分布はまだ限られていた。
ヤプレシアン

顕生代・新生代・古第三紀・始新世・ヤプレシアン(Ypresian)/ イーペル期は、 4つに細分された始新世の最初の(最も古い時期の)「期」である。
約5600万年前から約4780万年前までの約820万年間の期間を指す。

"Ypresian"の語頭のYは英語読みでもフランス語読み(名称の語源はフランス語の地名イーペルである。)でも「イ」である。
古典語風に読むならば「ユ」とも読みうる。
しかし日本語では、 どういうわけか「ヤ」という奇妙な音訳を行いヤプレシアンと称している。

ルテシアン

顕生代・新生代・古第三紀・始新世・テシアン(Lutetian)/ ルテティア期期は、 4つに細分された始新世の古い方から2番めの「期」である。
約4780万年前から約4130万年前までの約650万年間の期間を指す。

その名称はパリの旧称ルテティアに由来する。

バートニアン

顕生代・新生代・古第三紀・始新世・バートニアン(Bartonian)は、 4つに細分された始新世の古い方から3番めの「期」である。
約4120万年前から約3771万年前までの約349万年間の期間を指す。

名称はイングランド南部、 ハンプシャー州南西にある村であるバートン(Barton)に由来する。

西暦2020年3月までバートニアンは3780万年前までを指していたが、 プリアボニアンの基底が3771万年前に改められたため、 バートニアンも3771万年前までの時代区分に変更された。

プリアボニアン

顕生代・新生代・古第三紀・始新世・プリアボニアン()は、 4つに細分された始新世の最後の(最も新しい時期の)「期」である。
約3771万年前から約3390万年前までの約381万年間の期間を指す。

名称は北イタリアの基礎自治体・モンテ・ディ・マーロにある集落「プリアボナ(Priabona)」に由来する。

西暦2020年3月に国際標準模式層断面及び地点(GSSP)が定められ、 基底がそれまでの3780万年前から3771万年前に改められた。

漸新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・古第三紀・漸新世(Oligocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約3390万年前から約2303万年前までの約1087万年の期間を指す。
古第三紀を細分化した暁新世、始新世、斬新性の3つの「世」の最後の(最も新しい時期の)「世」である。

漸新世(ぜんしんせい)はさらに 「ルペリアン」、 「チャッティアン」の2つの「期」に細分化される。

気候
初期には一時気温が低下し気候が不安定になった。
この気候変動は、 後に述べる同時期の大海退や動物の大量絶滅と関連し、 地球外に原因がある(例えば巨大隕石や彗星の衝突)とする説もあるが、 確実ではない。
中期以降は温暖で安定した気候になった。
しかし、 従来は中新世になってからと考えられていた北極の海氷と南極大陸氷床は、 既にこの時代に形成されたとする意見もある。
海陸の分布
初期には大規模な海退が起こったようである。
北アメリカヨーロッパは大西洋の拡大により完全に分断されたが、 逆に北アメリカとアジア(シベリア)はベーリング海峡付近でしばしば接続し、 動物の行き来があった。
北アメリカと南アメリカは白亜紀よりこの世まで大アンチル諸島が陸橋となってつながっていたが、 やがて北東に移動していった。
インドがアジアに衝突し、 テチス海は急速に消滅しつつあった(これも海退や気候変動、ひいては多くの動物の絶滅の一因とされる)。
アフリカ・南アメリカ・オーストラリア・南極の各大陸は海で隔てられ、 孤立している。
アルプス山脈とヒマラヤ山脈の造山運動が開始された。
北アメリカ西部の造山運動は続いている。
生物相
大陸の分離によって、 動物相には地域ごとの違いが見られるようになった。
また、 前の始新世に栄えた動物の多くが、 始新世と漸新世の境界付近で絶滅し、 それに変わる新しい種の発展が見られる。
哺乳類の進化、特に大型化が進んだ。
史上最大級の陸生哺乳類とされるアジア産奇蹄目(サイ類)のパラケラテリウム(インドリコテリウム)はその極致と言える。
ゾウの仲間(長鼻目)はアフリカで進化し、 大きな体躯を持ったが、 まだ他の大陸には進出していない。
霊長目ではオナガザル上科と分かれる形で類人猿(ヒト上科)が出現し大きな発展を遂げていった。
現在のテナガザルに似た小型の類人猿の仲間が繁栄し、 続く中新世にかけてはアフリカからヨーロッパ・アジアにかけて勢力を広げた。
肉食性哺乳類では、 これまで栄えた原始的な肉歯目が衰え、 現在のトラ・ライオン・オオカミなどにつながる食肉目が取って代わっている。
植物食性の哺乳類では中生代から存続していた小型植物食性哺乳類の多丘歯目が姿を消し、 大型植物食性哺乳類でも多くの種が、 この時代を乗り越えられず、 絶滅している。
ゾウと遠縁でありアフリカを中心に生息していた重脚目、 ウマと遠縁であり北米やアジアに生息していた奇蹄目のブロントテリウム科(雷獣)、 前述のパラケラテリウムなどのアジアの大型のサイ類がその代表である。
海洋では前の始新世にテチス海を中心に発展していた原クジラ亜目の多くが前述の気候変動やそれに伴う海退によって滅んだが、 一部の生き残ったものが現鯨類として発展した。
絶滅した原クジラ類に代わって、 食肉目のクマに近いグループがこの時代に海洋への進出を開始し、 鰭脚類(アシカやアザラシの仲間)の祖先となった。
オーストラリアでは漸新世になっても有袋類の化石は見つかっていないが、 既に有袋類の一部が入っていた可能性はある。
南アメリカ大陸は他の大陸と孤立して独自の生物進化を始め、 午蹄中目と呼ばれる有蹄類が分布した。
また、 この時代に、 いまだに比較的近い位置にあったアフリカ大陸から南米大陸に幾らかの小型動物(広鼻下目の祖先となる霊長類や齧歯類)が流入したようである。
ルペリアン

顕生代・新生代・古第三紀・漸新世・ルペリアン(Rupelian)/ リュプル期は、 2つに細分された始新世の最初の(最も古い時期の)「期」である。
約3390万年前から約2782万年前までの約608万年間の期間を指す。

名称はベルギーの小河川であるルペル(Rupel)川に由来する。

チャッティアン

顕生代・新生代・古第三紀・漸新世・チャッティアン(Chattian)/ カッティ期は、 2つに細分された始新世の最後の(最も新しい時期の)「期」である。
約2782万年前から約2303万年前までの約479万年間の期間を指す。

名称はドイツ中部のカッセル周辺を指す古いラテン語名の「Chatti」に由来する。

新第三紀

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀( [period])は新生代を細分化した3つの「紀」の「古第三紀」、「新第三紀」、「第四紀」の2番目の「紀」である。
約2303万年前から始まり、約258.8万年前までの約2044.2万年の期間である。

新第三紀はさらに、中新世鮮新世の2つの「世」に時代区分される。

中新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世(Miocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約2303万年前から約533.2万年前までの約1769.8万年の期間を指す。
新第三紀を細分化した中新世、鮮新世の2つの「世」の最初の(最も古い時期の)「世」である。

中新世はさらに「アキタニアン」、 「バーディガリアン」、 「ランギアン」、 「サーラバリアン」、 「トートニアン」、 「メッシニアン」の6つの「期」に細分化される。

背景
大陸はほぼ現在の様相だが、 北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は離れている。
ヨーロッパのアルプス山脈と北アメリカのロッキー山脈で造山運動が始まった。
日本がユーラシア大陸から分離し、 日本海が形成され、 これに伴う海底火山活動で日本各地にグリーンタフと呼ばれる凝灰岩層が発達した。
この紀に海面が低くなったことでジブラルタル海峡が閉じ、 海水の蒸発により地中海は非常に塩分の濃い海となった。
この状態は鮮新世の初め頃(およそ500万年前)まで続いた。
気候
中新世は新第三紀以降から現在に至るまでの期間では最も気温が高い時代であり、 一般的に温暖であったが、 寒冷化は徐々に進行し、 南極大陸には氷床が発達・拡大していた。
中新世の終わりには氷床は大陸のほとんどを覆うようになっていた。
これが更に地球を冷し、以降、氷河期が訪れることになる。
生物
海と陸の生物相はより現代に近づいた。
オオカミ類、ネコ科類、ウマ類、ビーバー類、鯨偶蹄類(シカ類、ラクダ類等)、カラス類、カモ類、フクロウ類、メガロドンなどは、 中新世にすでに存在していた。
ヒト科もこの時代に現れた。
アフリカ大陸がユーラシア大陸と繋がったことで両大陸の生物が行き来するようになった。
北アメリカ大陸とユーラシア大陸もベーリング陸橋でしばしば繋がったため生物が往来していた。
一部の大型哺乳類の系統(肉歯目、束柱目など)が姿を消し、 奇蹄類も次第に衰えていく一方、 アフリカから他の大陸に生息域を広げた長鼻目(ゾウ類)が大いに繁栄し、 偶蹄類も勢力を拡大していった。
植物ではC4型光合成を行うものが増加した。
孤立している南アメリカ大陸とオーストラリア大陸のみ、異なった動物相である。
アキタニアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・アキタニアン(Aquitanian)/ アクィタニア期は地質時代の時代区分の一つで、 約2303万年前から約2044万年前までの約259万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の1つ目(最も古い時期)の「期」である。

バーディガリアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・バーディガリアン(Burdigalian)/ ブルディガラ期は地質時代の時代区分の一つで、 約2044万年前から約1597万年前までの約447万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の古い方から2つ目の「期」である。

名称はフランス南西部にあるワインで有名なボルドーのラテン語名に由来する。

ランギアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・ランギアン(Langhian)/ ランゲ期は地質時代の時代区分の一つで、 約1597万年前から約1382万年前までの約215万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の古い方から3つ目の「期」である。

付近は世界遺産のピエモンテのブドウ畑の景観:ランゲ=ロエーロとモンフェッラートにも指定されている。

サーラバリアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・サーラバリアン(Serravallian)/ セラヴァッレ期は地質時代の時代区分の一つで、 約1382万年前から約1163万年前までの約219万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の古い方から4つ目の「期」である。

名称は北イタリアのセッラヴァッレ・スクリーヴィアを構成するセッラヴァッレに由来する。

トートニアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・トートニアン (Tortonian)/ トルトーナ期は地質時代の時代区分の一つで、 約1163万年前から約724万年前までの約439万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の古い方から5つ目の「期」である。

名称は北イタリアのトルトーナに由来する。

メッシニアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・メッシニアン (Messinian)/ メッシーナ期は地質時代の時代区分の一つで、 約724万年前から約533.2万年前までの約190.8万年の期間を指す。

中新世を細分化したアキタニアン、バーディガリアン、ランギアン、サーラバリアン、トートニアン、メッシニアンの6つの「期」の最後(最も新しい時期)の「期」である。

メッシニアン塩分危機
地中海が一部あるいは完全に干上がった596万年前の地質学上の事象である。
19世紀にチューリッヒのチャールズ・マイヤーアイマー(西暦1826年 - 西暦1907年)が石膏層の間の化石を調べ、 中新世末期のものと同定。
その時期をシシリー島メッシーナからメッシニアンと命名した。
地中海諸国で認められる岩塩と石膏を含む地層がすべて同時期のものとされた。
西暦1970年には、 大西洋の深海掘削計画で活躍したグローマー・チャレンジャーが地中海一帯の海底を調査。
その結果、 海水の蒸発によって形成された苦灰岩や石膏が広域にわたって堆積していることを確認。
海洋地質学の視点からも、 大西洋から地中海への海水流入が止まり、 一時的に干上がったり塩湖を形成していたことが裏付けられた。
鮮新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・鮮新世(Pliocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約約533.2万年前万年前から約258.8万年前までの約274.4万年の期間を指す。
新第三紀を細分化した中新世、鮮新世の2つの「世」の最後の(最も新しい時期の)「世」である。

パナマ地峡が形成され、ヒマラヤ山脈の上昇が激しくなった。

鮮新世はさらに 「ザンクリアン」、 「ピアセンジアン」の2つの「期」に細分化される。

かつては、 ジェラシアンも鮮新世に含まれていたが、 西暦2009年6月30日のIUGS勧告により、 更新世に含まれることとなった。

気候
気候は寒冷化しており、 南極大陸は中新世よりもさらに氷床を拡大していた。
北半球での氷床の発達もこの時代に既に始まっていた。
ヒマラヤ山脈などの大山脈の形成、 上昇が同時に激しい岩石の浸食を招き、 これによって大量のカルシウム塩が海に流入していった。
このカルシウム塩が二酸化炭素を吸収し石灰岩化していったため大気中の二酸化炭素量は激減していき、 寒冷化の進行を促した。
生物
現代の動物相につながるものがほぼ出現している。
寒冷化に伴い、 長鼻目(ゾウ類)などの中新世の温暖な環境で繁栄した生物は多様性を減少させていった。
類人猿をはじめとする霊長目(サル類)も全体的に生息域や多様性を減少させるも、 その中から中新世末期にチンパンジーの祖先と分かれていたヒトの祖先(ヒト亜族)がこの時代に発展した(いわゆる猿人)。
長期間孤立した島大陸だった南米大陸が北米大陸に繋がったことで、 多くの生物の両大陸間の行き来が可能になった。
これによって北米の生物との生存競争にさらされた南米原産の生物は衰退し、 絶滅したものも多かった。
ザンクリアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・ザンクリアン(Zanclean)/ ザンクラ期は地質時代の時代区分の一つで、 約533.2万年前から約360万年前までの約173.2万年の期間を指す。

中新世を細分化したザンクリアン、ピアセンジアンの2つの「期」の1つ目(最も古い時期)の「期」である。

名前の由来は、 イタリアにあった古代の植民都市、「ザンクル(Zancle)」から。

ピアセンジアン

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・新第三紀・中新世・ピアセンジアン(Piacenzian)/ ピアチェンツァ期は地質時代の時代区分の一つで、 約360万年前から約258.8万年前までの約101.2万年の期間を指す。

中新世を細分化したザンクリアン、ピアセンジアンの2つの「期」の最後(最も古い時期)の「期」である。

かつては、 鮮新世中期に位置づけられていたが、 西暦2009年6月の国際地質科学連合(IUGS)による勧告により、 ジェラシアンが第四紀更新世前期に移動したため、 鮮新世後期に定義された。
名称は北イタリアのピアチェンツァに由来する。

第四紀

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代・新生代・第四紀(Quaternary [period])は新生代を細分化した3つの「紀」の「古第三紀」、「新第三紀」、「第四紀」の最後の(最も新しい)「紀」である。
約258.8万年前から始まり、現在までの約258.8万年の期間である。

第四紀はさらに、更新世完新世の2つの「世」に時代区分される。

他の地質時代が生物相の大幅な変化(特に大量絶滅)を境界として定られたのに対し、 第四紀は人類の時代という意味で決められた。
したがって、 古人類学の進展に伴い次々に古い原人が発見されるとともに第四紀の始まる年代も変化していった。
現在ではヒト属の出現を基準とし、 地質層序や気候変動を併用して決定している。

第四紀より古い地層を、 かつては三紀層と呼んでいたが、 今では古第三紀・新第三紀に分かれている。

第四紀の読みについて
文部省『学術用語集 地学編』(日本学術振興会、西暦1984年、ISBN 4-8181-8401-2、オンライン学術用語集)の表記は「Daiyonki」である。
なお、 日本第四紀学会公式サイトにおいて、
「『だいよんき』と『だいしき』のどちらが正しいのか」との質問に対し、
「『だいよんき』と『だいしき』のどちらが正しいということはありませんが、
一般に広く用いられているのは前者です。
日本第四紀学会の読み方としても「だいよんき」が使われます。」

と回答している。

語源
かつて、 地質時代を大きく第一紀 (Primary)、 第二紀 (Secondary)、 第三紀、 第四紀に分けたことに由来している。
これらのうち第四紀のみが、 現在も公式の名称となっている(第三紀は古第三紀と新第三紀に分割された)。
範囲
国際地質科学連合 (IUGS) は西暦2009年に地質年代の区分方法を改めた。
日本地質学会や日本第四紀学会や日本学術会議地球惑星科学委員会などはこれに準じて西暦2010年に定義を改定している。
従前は「第三紀」と言って古第三紀と新第三紀の総称としてきたが、 これを廃し、 正式な用語としては「第三紀」「第三系」の術語を用いないことになった。
また従前は新第三紀鮮新世に属していたジェラシアン(約258.8万年前-約180.6万年前)が第四紀更新世に属することになった。
これによりかつては181万年前以降を「第四紀」としていたが、 約80万年さかのぼり、 「第四紀」は258.8万年前から始まることになった。
地球史46億年のうちでは短期間であるが、 地球史の現代にあたり、 近未来に続いてゆく時期である。
特徴
生物
人類の進化と繁栄の時代。
更新世末に、大規模な絶滅が起こった。
  • マンモスなど。
  • その他北米ではウマ、ラクダ、チーターなども絶滅している。
気候
北半球高緯度の地域に、大陸並の規模の氷河が分布している。
氷期間氷期を繰り返している。
4万年周期での気候変動が卓越している。
新第三紀との併合問題
西暦2004年の国際地質科学連合 (IUGS) において、 第四紀を新第三紀に併合し新生代をPaleogeneとNeogene(新第三紀+第四紀)の2つに区分する提案がなされたが、 同年の万国地質学会 (IGC) では批准されず、 国際第四紀学連合 (INQUA) もこの提案に反対した。
これを受けてIUGS内の国際層序委員会 (ICS) とINQUAのタスクフォースが設置され、 結論として、
  • 第四紀の存続
  • 第四紀の始まりを260万年前とする
ことが提案された。これは西暦2008年のIUGS大会で投票され、西暦2009年6月に新しい定義が批准された。
これにより、ジェラシアン階の基底の年代である2.588 Maが第四紀と新第三紀の境界と定められた。
更新世
更新世
更新世(こうしんせい)英語:Pleistocene  / 洪積世(こうせきせい)英語:Diluvium
  258万8000年前から1万1700年前までの期間

地質学における時代は、「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
「累代」は、 「冥王代」、「太古代」、「原生代」、「顕生代」がある。

地質時代の区分の一つである顕生代.新生代.第四紀の最初の「世」である更新世は、 258万8000年前から1万1700年前までの期間。 かつては洪積世ともいい、 そのほとんどは氷河時代であった。

この前の鮮新世と合わせて鮮新・更新世(Plio-Pleistocene)として扱われることもある。

大陸の形は現在とほとんど変わらないが、 氷期間氷期氷床の拡大・縮小による海水準変動に伴って、 海岸線の位置が移動した。
更新世の後期では海水準にして百数十メートルの変動があった。
海水準が低下した時期は、 現在浅い海である海域の多くが陸地となっている。

更新世はさらに 「ジェラシアン」、 「カラブリアン」、 「チバニアン」、 「後期更新世」の4つの「期」に細分化される。
洪積世(こうせきせい)英語:Diluvium

洪積世の名は地質学に時期区分が導入された17世紀にこの時代の地層がノアの洪水の反映と信じられたことによる。

現在では神話に結びつけることは望ましくないため、 この区分名は使われなくなった。
ジェラシアン

ジェラシアン(Gelasian) 約258.8万年前 - 約180.6万年前 期間:約78万年

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代新生代第四紀更新世ジェラシアン地質時代の時代区分の一つで、 約258.8万年前から約180.6万年前までの約78万年の期間を指す。

以前はピアセンジアン。 かつては、鮮新世後期に位置づけられていたが、西暦2009年6月の国際地質科学連合(IUGS)による勧告により、 第四紀更新世前期として定義された。 名称はイタリア・シチリア島のジェーラに由来する。

カラブリアン

カラブリアン(Calabrian) 約180万年前 - 約78.1万年前 期間:約114.5万年

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代新生代第四紀更新世カラブリアン地質時代の区分の一つで、 180万年前から78.1万年前までの期間である。
命名の由来となった国際標準模式層断面及び地点は、イタリア・カラブリア州地中海沿岸のヴリカ(Vrica)にある。

チバニアン

チバニアン(Chibanian) 77.4万年前 - 約12.9万年前 期間:64.5万年

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代新生代第四紀更新世チバニアンは、 地質時代の区分の一つで、77.4万年前から12.9万年前までの期間である。
西暦2020年1月15日に国際地質科学連合により「チバニアン」(Chibanian、千葉時代)と命名され、 翌々日の1月17日に国立極地研究所で命名決定の記者会見が開かれた。 西暦2022年5月21日に現地の地層に時代境界となるゴールデンスパイクが設置された。

チバニアン(期/階)もしくはイオニアン(期/階)と命名することが国際地質科学連合国際層序委員会で検討され、 西暦2020年1月、チバニアン(Chibanian、千葉時代)に決定した。...

カラブリアンとチバニアンとの境界は、地球史上最後の地磁気逆転である松山‐ブリュンヌ逆転の起きた時期である。 これを示す国際標準模式層断面及び地点の候補として、以下の3か所の地層が挙がっていた。

国際層序委員会に提出された提案申請書に用いられた論文の中には古地磁気データの削除(改ざん)等の疑義が出ているが、 告発を受けた茨城大学と国立極地研究所は「査読付き学術誌に掲載済みの論文であり、結論には影響しないため研究不正ではない」として調査を実施しない方針を固めている。
朝日新聞によれば、 チバニアンの決定を受けて西暦2021年度から西暦2026年度にわたり総事業費約15億円をかけて現地のガイダンス施設等を整備する計画であるとされている。

チバニアン時代の気候

後期更新世

後期更新世(Late Pleistocene) 12.6万年前 - 1万1700年前 期間:11.73万年

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。
顕生代新生代第四紀更新世後期更新世は、地質時代の区分の一つで、12万6000年前から1万1700年前までの期間である。 対応する層序は上部更新統である。
タランティアン(期/階)と命名することが国際地質科学連合国際層序委員会で検討されている。

完新世

地質学における時代は、 「累代」、「代」、「紀」、「世」、「期」と呼ばれる階層で区分する。

顕生代・ 新生代・ 第四紀・ 完新世(Holocene)は地質時代の時代区分の一つで、 約万年前万年前から約万年前までの約万年の期間を指す。
第四紀を細分化した更新世、完新世の2つの「世」の最後の(最も新しい時期の)「世」である。

完新世は地質時代区分(世)のうちで最も新しい時代である。
第四紀の第二の世であると同時に、 現代を含む。
かつての沖積世(Alluvium)と、ほぼ同義である。

最終氷期が終わる約1万年前から現在まで(近未来も含む)を指し、 その境界は、 大陸ヨーロッパにおける氷床の消滅をもって定義された。
現在は、 ヤンガードリアス期の終了と定義されており、 グリーンランド中央部から採取された氷床コアの研究に基づき、 GSSPによってその下限が定義され、 0.0117Ma (2000年から1万1,700年前)以降の時代を指すとされている[1]。

完新世はさらに 「グリーンランディアン」、 「ノースグリッピアン」、 「メーガーラヤン」の3つの「期」に細分化される。

地質学用語

地質学用語の目次

F-F境界

F-F境界(Frasnian-Famennian boundary)とは地質年代区分の用語で、 約3億7220万年前(誤差160万年)の、 後期デボン紀フラニアン期ファメニアン期の境界に相当する。

古生物学上では古生物学上では五大大量絶滅に数えられる顕生代二度目の大量絶滅であるデボン紀末の大量絶滅が発生し、 全海洋生物種のうち約80%、 属では50%代、 科では19%が絶滅した。
この出来事はケルワッサー事変とも呼ばれ、 F-F境界とケルワッサー海洋無酸素事変層は一致する。

O-S境界

O-S境界(Ordovician-Silurian boundary)とは地質年代区分の用語で、 約4億8540万年前の オルドビス紀 と続く シルル紀の境目に相当する。

古生物学上では五大大量絶滅に数えられる顕生代最初の大量絶滅であるオルドビス紀末の大量絶滅が発生し、動物をベースとした群に大きな打撃を与えた。

K-Pg境界

K-Pg境界(Cretaceous-Paleogene boundary)/ K-T境界(英: Cretaceous-Tertiary boundary)

K-Pg境界とは、 地質年代区分の用語で、 約6550万年前の中生代白亜紀新生代古第三紀の境目を指す。 この時、 顕生代に発生した5回の大量絶滅(ビッグファイブ)のうち、 最後の大量絶滅が発生した。

かつては白亜紀と第三紀(6430万年前から260万年前までである。国際地質科学連合(IUGS)は「非公式用語」に位置づけている)の境と見なされK-T境界と呼ばれていた。

恐竜などの大型爬虫類やアンモナイトが絶滅したことで有名であるが、 海洋のプランクトンや植物類にも多数の絶滅種があった。 種のレベルで最大約75%の生物が絶滅した。 また個体の数では99%以上が死滅した。

K-Pg境界では、 メキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石(チクシュルーブ衝突体)が落下したことが知られている。 この隕石落下が、 大量絶滅の引き金になったと推定されている。

鍵層(けんそう、かぎそう)

鍵層(けんそう)  一般的には(かぎそう)という

地質調査において、 互いに離れたふたつの地域に認められる地層の新旧を決める作業を「地層の対比」といい、 この地層の対比や区分をする際に一つの基準となるのが「鍵層」。

鍵層には通常、 火山灰(テフラ)の層・石灰岩の層・石炭の層・化石を含んだ層などが用いられます。 しかしながら、 どのような地層が鍵層として有効であるかについては、 問題とする地域の広さや地質によって異なるため、 一概にいうことはできません。

大量絶滅(たいりょうぜつめつ)/ビッグファイブ

大量絶滅とは、 ある時期に多種類の生物が同時に絶滅すること。 大絶滅(だいぜつめつ)ともよばれる。 顕生代に起こった大量絶滅の内、 特に規模の大きな5回の絶滅イベントをまとめてビッグファイブと呼ぶことがある。 大量絶滅は、 地質時代において幾度か見られる現象である。

地質時代の「代」や「紀」の区分は、 化石として発見される動物相の相違によるものである。
  • 「代」や「紀」の境界で大量絶滅が発生した。
などの表現があるが、 これは意味としては逆であって、
  • 大量絶滅が発生したために「代」や「紀」を別けた。
のである。 大量絶滅などにより従来の動物の多くが絶滅し、 新たな動物が発生した。 つまり、 動物相が変わってしまったことにより、 結果として「代」や「紀」を変えてきたのである。

どの大量絶滅かを表現するために、 例えば、 オルドビス紀シルル紀の境目で発生した大量絶滅を、 その頭文字を採って 「O-S境界」の大量絶滅と表現する。
一方で、 古い方の「代」や「紀」を示して 「オルドビス紀末の大量絶滅」などと表現する場合もある。

5回の大量絶滅(ビッグファイブ五大大量絶滅
1オルドビス紀末 約4億8540万年前 - 約4億4380万年前
2デボン紀末 約4億1920万年前 - 約3億5890万年前
3ペルム紀末 約2億9890万年前 - 約2億5217万年前
4三畳紀末 約2億5217万年前 - 約2億130万年前
5白亜紀末 約2億130万年前 - 6600万年前

T-J境界

T-J境界(Triassic-Jurassic boundary)とは地質年代区分の用語で、 約2億130万年前(誤差20万年)の三畳紀/トリアス紀(Triassic period)とジュラ紀(Jurassic period)の境目に相当する。
古生物学上では顕生代四度目の大量絶滅である三畳紀末の大量絶滅が発生し、 陸と海の生物に深く影響を及ぼしたことが知られる。

海ではコノドントが絶滅し、 陸上ではワニ形上目(スフェノスクス亜目とCrocodyliformes)とアヴェメタターサリア(翼竜と恐竜)を除く全ての主竜類、 生き残りの獣弓類、数多くの大型両生類が絶滅した。 この時代における海洋生命の消失の統計的解析によると、 多様性の消失は絶滅の増加よりも種分化の減少によるところが大きいことが示唆されている。

P-T境界

P-T境界(Permian-Triassic boundary)とは、 地質年代区分の用語で、 約2億5100万年前の、 古生代最後のペルム紀中生代最初の三畳紀の境目に相当する。
古生物学上では顕生代三度目の史上最大級のペルム紀末の大量絶滅が発生したことで知られている。

海生生物のうち最大96%、全ての生物種で見ても90%から95%が絶滅した。




関連項目
歴史(トップ)
地質時代区分
先カンブリア時代