小窓
生命の進化

作成日:2020/5/1

概要

分類階級

生  物
  
ドメイン
  
界(かい)
  
門(もん)
  
綱(こう)
  
目(もく)
  
科(か)
  
属(ぞく)
  
種(しゅ)
人類の祖先に、どのような進化的変化が起きたかは、 幅広い科学的探求の主題である。 この研究は多くの分野、 特に形質人類学、言語学、遺伝学、考古学などと関連している。

なお、「人類」という用語は、 人類の進化の文脈ではヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト亜族ヒト属生物に対して用いられるが、 他の属(アウストラロピテクス属など)を含むヒト亜族生物を指す場合もある。
本記事では、 人類という用語をチンパンジー亜族と分岐し直立二足歩行していたヒト亜族生物に用い、 脳の発達したヒト属生物については学名で表記し、 特にヒト属生物のうちホモ・サピエンス・サピエンスについては現生人類と表記する。

ヒト属(ホモ属)はおよそ200万年前にアフリカでアウストラロピテクス属から別属として分化し、 ヒトの属するホモ・サピエンスは40万から25万年前に現れた。 またこれらの他にも、すでに絶滅したヒト属の種が幾つか確認されている。 その中にはアジアに生息したホモ・エレクトゥスや、 ヨーロッパに生息したホモ・ネアンデルターレンシスが含まれる。

ホモ・サピエンスの進化と拡散については、 アフリカ単一起源説と多地域進化説とが対立している(#人類進化のモデル)。 アフリカ単一起源説では、 アフリカで「最も近いアフリカの共通祖先 (RAO)」であるホモ・サピエンスが進化し、 世界中に拡散してホモ・エレクトゥスとホモ・ネアンデルターレンシスに置き換わったとしている。 多地域進化説を支持している科学者は世界中に分散した単一のヒト属、 おそらくホモ・エレクトゥスが各地でそれぞれホモ・サピエンスに進化したと考えている。

化石の証拠はこの分野における激しい議論を解決するのに十分ではない。 人類はホモ・ハビリスの頃から石器を使い始め、次第に洗練させてきた。 およそ5万年前を境に現生人類の技術と文化は変わり始め、 現代的行動がとられるようになった。 ...
最近の研究成果を紹介した諸書によって、人類進化史のあらすじを化石人類でまとめると次のようになる。(年代や分類には異なった説があることを前提として)。
700万年前
アフリカで類人猿の仲間から直立歩行したヒト類が誕生。現在、最古はチャドで発見されたサヘラントロプス・チャデンシスとされている。
450万年前
アフリカの大地溝帯周辺でラミダス猿人(アルディピテクス・ラミダス)が活動。
440万年前
このころまでに初期人類(サヘラントロプス属やアルディピテクス属)の活動終わる。
420万年前
アフリカでアウストラロピテクス属の最初のアウストラロピテクス=アナメンシスが出現。
380万年前
アフリカでアウストラロピテクスがオルドヴァイ文化を産みだす(アウストラロピテクス=アファレンシス)。
280万年前
アウストラロピテクスが華奢型と頑丈型に分かれる。このうちの華奢型が、ホモ属に進化したのではないか、と言う説が有力になっている。
250万年前
アフリカでホモ=ハビリスが打製石器製造技術を発達させる。これがホモ属の最初。
190万年前
アフリカでホモ属のホモ=エレクトゥス(かつては一般に原人といわれた)が出現、打製石器技術、火の使用などを身につけ、旧大陸に広がる。ジャワ原人、北京原人などはその地域的変種。
60万年前
アフリカでホモ=ハイデルベルゲンシスが出現。組合せ石器などの文化を持つ。
20万年前
アフリカでホモ=サピエンス(現生人類=かつて新人といわれた)が生まれる(最近では30万年前説も出ている)。 → アフリカ単一起源説
16万年前
ホモ=サピエンス、この頃から「出アフリカ」し、旧世界に広がる(人類の拡散)。
15万年前
ヨーロッパから西アジアでホモ=ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人、かつては旧人といわれた)が活動。
3万年前
インドネシアのフローレス島にホモ=フロレシエンシスが独自の進化。
2万5000年前
地球上にはホモ=サピエンスのみが生き残り、文明を形成する。

生命の誕生とは

生命はいつ、どこで、どのようにして誕生したのかということは、 古くからの謎であり、様々に考えられてきた。 古代には神話や宗教においてそれを説明した。 近代に入っても自然哲学者らが考察を行った。 さらに19世紀になり科学(自然科学)が発達を見せると、 科学者たちも同様の考察・研究を行い、 生命の起源の仕組みを何とかして科学的に説明しようとする試みが多く行われてきた。

現在、 科学の領域における仮説の多くは、 チャールズ・ダーウィンの進化論を論拠とすることによって、 おそらく最初に単純で原始的な生命が生まれ、 より複雑な生命へと変化することが繰り返されたのだろうと推察している。 また、 ヒトの誕生(人間の存在)を分子生物学的に説明するという試みも行われている。

現在、 地球上の生命の起源に関しては大別すると三つの考え方が存在する。 ...

しかし、 生物が実際に発生するところは、 今まで一度も自然界で観察されたこともなく、 また説が唱えられて以降、 実験室でそれを再現しようと、 非常に多くの科学者によって、 実験室で太古の地上や海中の環境を想定した条件をととのえて、 ほとんど無数の実験が行われたのにもかかわらず、 「無機物から生命体と呼べるものが誕生するプロセス」は再現されていない。

このように、 生命の起源に関して、 どの仮説か妥当なのか決定的な解答は得られておらず、 様々な立場、 角度から研究や議論が続いており、 新たな仮説が立てられることも続いている。

なお、 自然科学においては、 単に「生命の起源」と言っても、 そこには「生命とは何か(生命の定義)」、 「生命はどこから・どのように誕生したのか(狭義の生命の起源)」、 「既知の最初の生命体は何か?」、 「生命はどのように多様性を獲得したのか(種の起源)」、 などの問題・テーマも関連してくることになる。
超自然説
「生命の起源」というテーマに関連することは、 宗教の経典類ではいわゆる「天地創造」の記述の前後に説明されていることも多い。
『創世記』の6章から9章にはノアの箱舟の物語が描かれている。
その物語では「すべての生き物をひとつがいづつ船に乗せた」とされる。
これは「別の生物は別に造られた」という考えを暗黙のうちに示している。
ユダヤ教の聖書は、 キリスト教においても『旧約聖書』として引き継がれ、 これらの生命観・世界観は広くキリスト教圏でも信じられることになった。
アリストテレスの説
古代ギリシャにおいて、 紀元前4世紀のアリストテレスの時代には、 すでに自然の観察や解剖に基づいて大量の知識が集積されていた。
動物が基本的に親の体から産まれることも、 植物が基本的に種子から生まれることも知られていた。

生命の起源に関する最初の学説は、 紀元前4世紀頃のアリストテレスが唱えたものだとされている。
彼は、 様々な動物に関して詳細な観察や解剖をした結果、 「生物は親から生まれるものもあるが、物質から一挙に生ずるものもある」と考え、 自著『動物誌』や『動物発生論』において、ミツバチやホタルは草の露から、 ウナギ・エビなどは海底の泥から生じるなどと記述した。

なお、 アリストテレスは、 世界には生命の基となる「生命の胚種(一種の種子)」が広がっており、 この生命の胚種が物質を組織して生命を形作る、と考えた。

地球の歩み

地球の誕生

星間物質が集まって太陽が誕生した46億年前から5000万年 - 6000万年後、 他の惑星とともに、 無数の微惑星の衝突によって融合して成長し、 地球が誕生した。
地球が誕生した後しばらくは、 激しい微惑星の落下が続いていた。(「後期重爆撃期」と呼ぶ。)
地球はそれらの天体がふくんでいた水蒸気や多くの二酸化炭素を含んだ原始大気に包まれていた。
そして、 その衝突の衝撃で地球は、 1000℃以上の「マグマの海(マグマオーシャン)」に覆われていた。

地球が誕生してから6億年(あるいは8億年)の間は、 地質時代区分では「先カンブリア時代」.「冥王代」と呼ばれており、 化石はおろか岩石も発見されていない。

現在の地球のデータ

太陽系にある惑星の1つ。
太陽から3番目に近く、 表面に水、 空気中に酸素を大量に蓄え、 多様な生物が生存することを特徴とする惑星である。
太陽系の中では唯一ハビタブルゾーンに位置する惑星である。

太陽系の惑星の大きさ(順序)
木星>土星>天王星>海王星>地球>金星>火星>水星

公転半径 平 均:1億4959万7870.700km(これを「1天文単位:astronomical unit(au)」と呼ぶ)
近日点:1億4710万km
遠日点:1億5210万km
半径 赤道半径:6378.137km
極  半 径:6356.752km(赤道半径のほうが極半径よりも約 21384.686m大きい)
扁平率 「1/298.257222101」の回転楕円体である。
公転周期 恒星年:365.256363004日
太陽年:365.242190402日
自転周期 0.9973日
外周 40075.017km(赤道周長)
表面積 5.100656×108 km2
自転周期 23時間56分4.0905秒(恒星日)
24時間 + 1から2ミリ秒程度(平均太陽日 (LOD))

海の誕生

微惑星は原始惑星へ吸収されるなどして次第に数を減らし、 微惑星地球へ衝突する回数が徐々に減り始めると、 高温だった地球も温度が下がり、 溶岩も冷え固まりだす。 そして徐々に気温が下がると、 水蒸気として上空に存在していた水が雨となって、 大量に降り続ける。 この時の年間の雨量は10mをこえたと考えられている。

この雨が1000年近くもつづき、 現在の海のもととなる原始の海が生まれた。 原始の海は雨にとけた塩酸なども流れこんだので、 はじめは酸性で、 とても生物の住める環境ではなかった。 まだ「先カンブリア時代」.「冥王代」のことである。

海が出来ると大気中の二酸化炭素が急速に海水に溶解し、 温室効果が減って気温がさらに低下し(この時、同時に気圧も現在に近い所にまで下がって行った)、 地表のカルシウム、鉄、ナトリウムなどをだんだん溶かしてゆき、 現在のような中性の海水になっていった。

海の誕生時期は、閲覧したサイトにより下記のように様々である。

オゾン層の形成

約5億年前になると、 大気中の酸素濃度も現在に近い21%となり、 オゾン層が形成された。
オゾン層成層圏に存在し、 高度20-25kmくらいのところがもっとも高密度となる。

大気中に酸素が増加すると成層圏では紫外線により酸素分子が分解され酸素原子が作られる。
この酸素原子は酸素分子と結合するとオゾンとなる。

オゾンは非常に酸化力が強く、 殺菌・消毒に用いられることからもわかるように生物にとっては有害物質である。
地表ではやっかいもののオゾンだが、 成層圏にあるオゾン層は生物にとって重要なバリアとなっている。
オゾン層におけるオゾン濃度は2-8ppmであり、 垂直方向にすべてのオゾンを集めても0℃、1気圧では3mmほどにしかならない。
しかし、 このオゾン層は波長の短い紫外線を吸収するという重要な働きをもっている。

人間の眼が光として感じることができる波長は400-770nm。
これより波長の短いものを紫外線(UV : ultraviolet rays)、 波長の長いものを赤外線(IR : infrared rays)という。
太陽光に含まれる紫外線は波長によりUV-a(長波長紫外線、波長320-400nm)、 UV-b(中波長紫外線、波長290-320nm)、 UV-c( 短波長紫外線、波長 200-290nm) の三種類に分けられる。
波長の短い紫外線ほどエネルギーが大きいので生物にとっては有害である。

オゾン層はUV-c(短波長紫外線)を100%、 UV-b(中波長紫外線)を90%ほど吸収し、 生物にとっては重要なバリアとなっている。
それでも波長の長い紫外線にしばらくあたるだけで日焼けをする。
海辺のような紫外線の強いところでは強い日焼けにより皮膚が損傷を受け、 雪原でも紫外線が強いためサングラスなどで眼を守る必要がある。

生命の誕生

海が安定して存在できるようなった38億年前頃、 ついに生命が海の中で誕生した。
地球で初めての生物は、 現在の深海底で熱水を吹き出す「熱水噴出孔」のような場所で誕生したのではないかと考えられている。
その姿は1つの細胞しか持たない単純な微生物であった。
魚類のように多くの細胞を持つ生物が誕生するのは、 それよりも10億年以上後のことである。

時を経て5億4000万年前「カンブリア紀」になると、 生物は海の中で目覚ましい進化をとげ、 現在いる動物の体の基本的な構造を持つ動物も誕生した。
爆発的にさまざまな種が生まれ進化したことから、「カンブリア紀の生命大爆発(カンブリア爆発)」と呼ばれている。
多様化した三葉虫アンモナイトなどの生物は、 その後も進化し続け、 海の中で大繁栄した。
しかし、この時点で生物はまだ海の中にしかいない。

生命の誕生時期

シアノバクテリアの登場

35億年前の地層からシアノバクテリア(cyanobacteria)に似た化石が発見されている。

進化遺伝学的な研究により、 光合成能力をもつシアノバクテリアが、 他の細菌と共生的に合体することによって真核生物が生じ、 シアノバクテリア葉緑体となったと考えられている。
藍色細菌ともいう。
かつては藍藻(らんそう)と呼ばれていたが、 近年の研究により、 細菌類と同じ原核生物であることが明らかになった。

クロロフィルa、β(ベータ)‐カロテン、フィコビリンなどの色素を含み、 酸素発生型光合成(oxygenic photosynthesis)を行う。
湿地や水たまり、 あるいは水槽の縁などに発生して、 緑色のねばねばした膜状になる。

酸素発生型光合成の結果産出され海中に放出された酸素はすべて、 地球が形成された材料である隕石に含まれていた、 海中の鉄イオンと結合して酸化鉄となり、 鉄鉱石として海底に蓄積され続けていった。
しかし、 次々と酸素が放出されるに従い、 海中の鉄イオンはやがてすべて使い切られて、 とうとう約20億年前になって、 海中で飽和状態に達した酸素が大気中に放出され始めた。

その結果、 それまでの酸素を含まない嫌気的な大気に酸素を供給することとなり、 徐々に現在に近い酸素を豊富に含む好気的大気に変えていったと考えられている。
シアノバクテリアは、 進化の過程で、 形態的にも代謝的にもきわめて多彩な能力を有する原核生物の大きな一グループを形成するようになった。
また、 真核細胞の祖先との内部共生によって真核細胞に取り込まれ、 植物の葉緑体の祖先となったと考えられており、 原核生物から植物に至る光合成の進化を考える上で、非常に重要な生物である。

形態的に、 大まかには単細胞性と糸状性に分けられ、 糸状性の種には細胞分化の能力を有するものがある。
また、 窒素固定を行う能力を有する種と有さない種、 完全暗所でもグルコースなどを使って従属栄養的に生育できる能力がある種と光合成的な生育しかできない種など、 代謝能力は多様である。

真核生物の誕生

真核生物とは
生物は、 真核生物(しんかくせいぶつ、ラテン語: Eukaryota、英: Eukaryote)と、 原核生物に分けられる。
真核生物は動物、植物、カビや原生動物などであり、 DNAが核膜に包まれている高等微生物をいう。
原核生物には大腸菌や枯草菌、乳酸菌などの真正細菌と古細菌が含まれる。

原核生物が1マイクロメートル(1mmの千分の一)程度の小型の細胞で細胞内に膜系を持たないのに対して、 真核生物は10~100マイクロメートルの大型の細胞で細胞小器官(ミトコンドリア葉緑体)や膜系(小胞体、ゴルジ体等)を持っている。

好気性細菌が真核生物の細胞内に共生してミトコンドアとなり、 シアノバクテリアの場合は葉緑体となった。
これは「真核細胞の細胞共生説」とよばれ、マーグリスが本にまとめてから広く支持されている。
また、ミトコンドリアが共生することになった細胞は古細菌の祖先であることもまず間違いがない。
しかし、どのような古細菌がどのような過程で細胞内共生に至ったかという点に関して多くの説があり、まだよく分かっていない。
同様に、膜系や細胞骨格、ステロイド合成系など真核生物特有の成分の起源もよく分かっていない。
真核生物の発見
化学化石の証拠としてはオーストラリアのピルバラで、 27億年前の頁岩からステラン(ステロイド類)が検出されており、 これは真核生物の細胞膜に特有の成分であることから、 真核生物の誕生はそこまで遡る可能性も考えられる。

古細菌の発見

真核生物でも細菌(真正細菌)でもない第3の生物群のこと。
西暦1977年にイリノイ大学の研究者カール・ウーズが発見提唱した。

大きさ1マイクロメートル(1mmの千分の一)程度の大きさの球形、 棒状あるいは不定形の単細胞生物で、 細胞の形や大きさでは真正細菌(単に細菌とよばれる場合も多いがここでは古細菌とはっきり区別するために真正細菌とよぶ)との区別はつかない。

核を持たない原核生物であるにも関わらず、 生化学的性質を調べると真正細菌よりも真核生物に近い性質を持っている。

古細菌の非常に大きな特徴は、 細胞を包む細胞膜がエーテル脂質という特殊な脂質でできている事である。
古細菌には、 好熱性古細菌(温泉や海底熱水地帯にすむ)高度好塩菌(塩田や高濃度の塩湖にすむ)とメタン菌(腐った沼地やどぶ川、動物の腸にすむ)が含まれている。

古細菌の定義は16SrRNA遺伝子の塩基配列の特徴によってされている。
古細菌は全生物の共通の祖先から真正細菌と別れた後、 真核生物と別れた。
従って、 古細菌の研究から全生物の共通の祖先や真核生物の起源が明らかとなる。

3ドメイン説

3ドメイン図 塩基配列のデータから系統樹を描くには、 西暦1986年カール・ウーズによって示された3超界(3ドメイン)分類がある。(左図)

この図では、各枝の先端に、現在存在している生物がいる。 生物同士の近縁関係は、 1つの生物の枝から分岐点までたどって別の生物の枝に移動して先端までたどって、 全部の長さを合計したものによって示されている。 そういう意味で、 定量的に描かれたはじめての系統樹である。 実は、この図は最初の報告ではなく、さらに研究が進んでからの結果をまとめたものだが、 3つのドメインに分けるという基本は、最初の報告と違いはない。

ドメインとは生物の最上位の分類であり、 真正細菌古細菌真核生物の3つのドメインからなっており、 地球上の生物はすべてこの3つのドメインのいずれかに属することになる。

この系統樹の根に相当するものが共通祖先ということになる。

地球上のすべての生物が遺伝子DNAという共通の物質を継承していて、 生物間で一定の関係をもって定量的な違いが存在することを示したことである。
「すべての生き物が共通の先祖から進化し」、 「多様化したものである」という仮定が具体的に支持あるいは保証されたことは重要である。

古細菌というドメイン
古細菌は、 地球上で最初に誕生したバクテリアの性質を残しているものと考えられる。
深海だけでなく、 温泉とか、 地下深くとか、 無酸素である上に、 とんでもなく超高温、超高圧、高塩濃度、高い酸性など、 極限的環境で生息するものが多いのも特徴である。
嫌気的細菌に属すが、 酸素が要らないのではなく、 酸素があると有害である(嫌気的)という意味では、 原始の地球環境にいた生き物としてもっともらしいものである。
細菌のグループのなかでもマイナー中のマイナーに思われていた古細菌は生物界全体のなかで、 本来の生き物ではない「その他」的な扱いを受けてきたが、 真核生物と対等に、 3ドメインの一角を占めている。
古細菌を細菌といっては紛らわしい
古細菌は核をもたない原核生物で、 細胞壁をもち、 顕微鏡でなければ見えないなど、 通常のバクテリア(細菌)とよく似ている。
しかし、古細菌は細菌の仲間ということではない。
古細菌」というのは誤解を招く誤った命名でもある。
真正細菌古細菌は非常に異なる生き物で、 両者の違いは大腸菌(真正細菌)とヒト(真核生物)の違いほど大きい。
3ドメインに分けらているとはそういうことを意味している。

多細胞生物の誕生

多細胞生物とは、複数の細胞で体が構成されている生物のこと。
動物、植物、菌類に分かれており、それぞれ独立して多細胞化したと考えられる。
一つの細胞のみで体が構成されている生物は単細胞生物と呼ばれる。

真核生物が誕生したのはおよそ20億年前、多細胞生物が誕生したのは10億年ほど前と考えられている。
最近はこの起源が15億年前にさかのぼるのではという報告もある。

多細胞生物を細かく見れば、 原核生物にも簡単な多細胞構造を持つものがあり、 真核の単細胞生物が多い原生生物界にも、 ある程度発達した多細胞体制を持つものが含まれる。
最小の多細胞生物は、 最も少ない細胞数(4個)で構成されている、 シアワセモ(Tetrabaena socialis)である。

原生生物(単細胞の真核生物)は細胞分裂がそのまま固体の増加につながっている。
多細胞生物の大半は有性生殖で繁殖する。
多細胞生物は、繁殖速度に関しては原生生物に劣っており、 種の維持・繁栄という観点からは不利であると考えられる。
しかし、 多細胞生物は細胞を専門化させ、 複雑な機能を獲得することにより生存を有利にする戦略をとってきたと考えられる。
実際に地球上では数はともかく、多細胞生物が進化の頂点に君臨している。

原生生物から多細胞生物である動物、植物、菌類への進化はそれぞれが独立していたと考えられている。
そして、 少なくとも植物に関しては複数回の多細胞化への試行があったことも確認されている。
単細胞生物多細胞生物に進化するためには、 細胞同士の接着や周囲の細胞との協調が必要である。
このような機能を獲得するためおよそ10億年という時間がかかったと考えられている。

最初の動物(多細胞動物)はカイメンであると考えられている。
カイメンは複数種類の細胞から構成されており、 その中に襟細胞がある。
襟細胞は一層にならんで袋状の襟細胞室を作る。

襟細胞室はカイメンの体中に張り巡らされた水管(水の通り道)の壁とつながっている。
襟細胞室の中には1本の鞭毛(べんもう)が付属しており、 この鞭毛が動くことで水流を起こし、 その流れに乗ってくる栄養粒子を襟細胞が取り込む。
襟細胞は他の細胞に栄養素を渡しているので原始的な消化器官の役割を担っている。

エディアカラ生物群

エディアカラ生物群(Ediacara fauna)は、 オーストラリア南部フリンダー山脈のトレンズ湖北岸にあるエディアカラと呼ばれる小さな丘から産出された化石群のこと。
クラゲやウミエラの仲間、鉢虫(はちむし)類などの腔腸動物を主とし、 ゴカイの仲間の環形動物をはじめとする無脊椎(せきつい)動物の多くの印象化石(形態の印象だけが型となって残された化石)を含む。

西暦1946年に、 オーストラリアの地質学者レッグ・スプリッグにより発見された。
肉眼的に確認できる生物化石が多量に出るものとしてはもっとも古い時代のものであり、 先カンブリア時代の生物相を示すものとして数少ないものである。
エディアカラ生物群は「エディアカラ動物群」、 「エディアカラ化石群」とも呼ばれる。

エディアカラ生物群は、 約6億3500万年前 - 約5億4100万年前の「先カンブリア時代」最後の「紀」である「新原生代」.「エディアカラン」の生物の化石と推定されている。
同様の化石はカナダのニューファンドランド島やロシアの白海沿岸などでも発見されている。
多くの動物とされる生物化石が出るが、 いずれも殻や骨格がなく、柔組織だけで出来ている。
本来、 硬い骨格をもたない生物は、 化石として保存されることが稀であるが、 エディアカラ生物群ではこのような生物が数多く見られる。
これは泥流などによって、 海底に生息していた生物が一瞬にして土砂中に封じ込められたためと考えられている。
また、 柔らかなマット状になった微生物の集合体の上を大きな生物が移動した痕跡らしきものも確認されている。 この生物群には、 クラゲ状の「ネミアナ」、 楕円形をしたパンケーキ状の「ディッキンソニア」をはじめ、 直径数十cmにもおよぶ多種多様な軟体性の生物が見られ、 地球最古の多細胞生物ではないかと考えられている。

多様なものが見られるが、 一つの特徴はそれらがかなり大きいことで、 カンブリア紀の化石群であるバージェス動物群 / バージェス頁岩動物群澄江動物群の構成種の多くが数cm程度であるのに比べて、 全体に大きい。
また、 そのいずれもがごく薄い体をしていたらしい。

上記のように、 この生物群の発見はレッグ・スプリッグによるが、 それまで全く知られなかったわけではない。

この地域にはアデレード累層群といわれる先カンブリア時代からカンブリア紀にわたる地層があり、 アデレード大学を中心とする研究が行われていた。
西暦1922年には同大学のエッジウォース・デービッドがこれに類する化石を発見した。
彼は同大学のティラードと共同で調査を行い、 さらに多くの化石を発見した。
しかし彼らはそれらをカンブリア紀のものと判断していた。
これらの発見は、 当時同大学の学生であったレッグ・スプリッグの興味を呼び、 西暦1946年、 彼は友人とともにアデレードの北約300キロメートル付近、 エディアカラ丘陵(Ediacara Hill)へ化石採集に出かけ、 いくつかの化石(軟体動物とみられる生物の印象)を発見した。
このとき、 彼は自分の発見した化石の地層が、 古杯類(古生代の示準化石)の出る地層の下であると判断し、 それらの化石が先カンブリア時代後期のものであり、 「最古の化石」との信念を持った。

ただし当初は周囲や指導側の理解がなく、 彼の判断は認められなかったが、 彼の信念は変わらず、 卒業後も地質調査の仕事の傍らこの化石群の研究を続け、 西暦1947年に最初の論文を公表、 これを機にこの化石産出地は保護区に指定された。
西暦1959年にはこれを先カンブリア時代のものとする論文が国際誌で認められ、 広く注目を得ることとなった。

後に同時期の類似の化石は世界のあちこちで発見されるようになり、 現在では20カ所以上が知られている。
中にはアフリカのナミビアのように、 それ以前に発見されていたことが判明した例もある。

これらの生物が、 現在の生物の分類に対してどのような位置付けにあるのかは良く分かっていない。
最古の多細胞動物と考えられている。
発見者であるレッグ・スプリッグを含むオーストラリアの研究者は、 それらを現在見られる動物群の最も古い祖先と見なして分類した。

他方で進化の形成過程の中で途絶えてしまった側枝であり、 それ以降の生物とは全く関係が無いかもしれないという見方もある。
その極端な例では、 アドルフ・ザイラッハーは、 動物界や植物界などとは独立した「ヴェンド生物界」という分類階級をエディアカラ生物群に与えることを提唱した。
後にザイラッハー自身が「ヴェンド生物界」は取り下げた。

西暦2000年代後半にはエディアカラ生物群に属するいくつかの生物は、 従来カンブリア紀に入ってから突然出現したと考えられていた動物群の直接の祖先であるとされるようになってきている。
エディアカラ生物群は、 地球全体が氷に覆われていた時期(スノーボールアース)の直後に出現し、 その大部分がカンブリア紀の始まる前に絶滅した。

バージェス動物群 / バージェス頁岩動物群に見られるアノマロカリスやオパビニアなどの大型捕食動物の出現とともに、 カンブリア爆発の際には堅い外骨格をまとった動物が多く見られるようになった。
エディアカラ生物群は、 新たに出現した捕食動物に捕食圧を受け絶滅したとも言われている。
また環境の激変が起きた可能性への指摘もある。

バージェス頁岩

バージェス頁岩  英語:Burgess Shale

バージェス頁岩とは、 約5億1,000万-5億500万年前(古生代カンブリア紀ウリューアン期)の海棲動物化石を多産するカナダの化石地層(fossil Lagerstatte)の通称。 層序学的には、 当時の海底崖(カテドラル層、Cathedral Formation)の沖合に堆積したスティーブン層(Stephen Formation)の層崖寄りの一部分にあたる。 よって「バージェス頁岩」は正式な層序ユニットの名称ではない。

西暦1909年、 ロッキー山系のカナダ側、 ブリティッシュコロンビア州にかかる地域の一角にあたるバージェス山付近にて、 米国の古生物学者チャールズ・ウォルコットによって発見された。

それまで発見されたことのなかった動物化石が軟体組織まで鮮明に保存された状態で大量に出土したことで有名であり、 そこから発見されたアノマロカリス、オパビニア、ハルキゲニア、マーレラなどの動物群は「バージェス動物群」もしくは「バージェス頁岩動物群」と称され、 現在も発掘・研究が続けられる。

極めて古い時代の動物化石が集中して発見される数少ない場所として当初から注目を集めていたが、 発見された当時は、 節足動物と思われたかなり奇妙な化石小動物が既存の分類体系に適合しないため、 それをどのように説明するかで広汎な議論を呼んだ。 西暦1989年、 古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドの『ワンダフルライフ - バージェス頁岩と生物進化の物語』によって広く一般にも知られることとなった。

発見者名にちなんで呼ばれるウォルコット採石場は、 バージェス頁岩(スティーブン層)化石の模式地である。

バージェス動物群 / バージェス頁岩動物群

バージェス動物群  英語:Burgess fauna / バージェス頁岩動物群  英語:Burgess Shale fauna

バージェス動物群、 またはバージェス頁岩動物群は、 約5億500万年前の古生代カンブリア紀ウリューアン期に生息し、 カナダのブリティッシュコロンビア州にあるバージェス頁岩(Burgess Shale)の中から化石として発見された動物群である。
西暦1909年にアメリカのチャールズ・ドゥーリトル・ウォルコットにより発見された。

産出する三葉虫によって、 古生代カンブリア紀中期のものであることがわかるが、 この層の化石は軟体部や付属肢の細部までが保存されている。
当時の藻礁の急斜面下でおこった懸濁流の堆積物で、 海底地すべりによって運ばれた動物が、 無酸素の状況下で急速に埋積し腐敗を免れたものと思われる。

この地層からは、 海綿動物から原索動物まで多岐にわたる化石動物が発見され、 100を超す属、 150近い種が記録されている。 そのうち三葉虫の22属がもっとも多いが、 それと同じ22属の所属不明の節足動物がみつかっている。

奇妙な形態のものが多く、 現生にその類縁がみつからない。
さらに現在の動物界にはまったく近似したものがなく、 分類上の位置さえ決められないものが17属ある。

このような特異な化石動物相は、 動物界に爆発的な分化がおこった際に出現したが、 結局子孫を残せないで消滅してしまったものと考えられ、 進化の研究に貴重な化石群といわれる。

その後これに類似した動物群がバージェス頁岩以外にも中国などで発見されるようになった。

カンブリア爆発

カンブリア紀(約5億4100万年前 - 約4億8540万年前)の地層から、 それより前の時代の地層からはほぼ見つからないような、 複雑なからだや硬い殻・骨格をもつ生物の化石がたくさん発見された。
そのため、 生物の種類や数がこの時期に爆発的に増えたように見えることから、 この変化を「カンブリア爆発」と呼んでいる。

カンブリア爆発は、 現在地球上にいる動物の大グループ「」がほとんどすべて出揃った、 まさしく爆発的な進化が起きたことを示していると考えられていた。

しかし遺伝子分析などにより、 カンブリア爆発よりも前にそういった動物の大グループは出現していたことがわかってきた。
(例えば前項のエディアカラ生物群
そのため、 この時期にはむしろ、 生物が一斉に殻などの硬い体構造を手に入れたため、 化石に残りやすくなった結果、 化石記録上では急激に進化が進んだように見えているのではないかという説も唱えられている。 ...

カンブリア紀の化石の主要産地は2か所ある。

「ワンダフル・ライフ(バージェス頁岩と生物進化の物語)」
カンブリア動物群を一般の人々に知らしめたのはスティーヴン・ジェイ・グールドが、 西暦1989年に出版した
    「ワンダフル・ライフ(バージェス頁岩と生物進化の物語)」
である。
このベストセラーとなった著書の中で、 スティーヴン・ジェイ・グールドは、 カンブリア動物の驚くべき多様性とその進化に対する考え方を記している。
スティーヴン・ジェイ・グールドは、
カンブリア紀動物群の多様性が最大点であり、 その後はそれを超えることがなかった。
従来のダーウィン的な進化(小進化)とは異なるメカニズム(大進化)がある。

と主張していた。
この仮説は断続平衡説と呼ばれており、広く議論を引き起こした。
実はスティーヴン・ジェイ・グールドの主張は、 ハリー・ウィッチントンのもとで研究を進めたコンウェイ・モリスの初期の考え方に影響されたものであったが、 その後、 コンウェイ・モリスはその著書
    「カンブリア紀の怪物たち」
スティーヴン・ジェイ・グールドの考え方を批判している。
コンウェイ・モリスは一見非常に奇妙に見える動物でも、 既存のの分類に含めることができると記している。
もっとも、 カンブリア紀に多数存在していた節足動物の中には、 現在につながらない種が多数存在していたことはコンウェイ・モリスも認めている。

カンブリア紀動物群は当時の環境で行われた進化の大実験であった。
すばやく動くことのできる捕食動物の出現が淘汰圧力を強め、 進化を促進したことも多様性の一因だったと考えられている。
弱い動物は捕食動物から逃れるため、 いろいろな手段を講じた。
多くの生物のデザインが試され、 その中で周囲の環境(捕食・被捕食の関係も含みます)に適応したものが次の系統の祖先になった。

人類の定義と特徴

分類学上では、人類は「哺乳綱.霊長目.ヒト科」に属する。
大型類人猿と近い関係にあり進化の過程で分化してきた。
現在地球上に生存している人類はすべて同一の種(交配できる生物集団)であり、 人類学上はホモ・サピエンス(現生人類)と言われる。

人類の特徴は、 人類学的には「直立二足歩行」と「犬歯の消滅」が目安とされている。
他の動物の4足歩行と比較すると、ヒトの直立二足歩行には以下の長所がある。

人類は、ある時期から脳容積が大きくなり、知能を発達させ、道具や言語を使用するようになった。
そして他の動物には見られない、文化を継承・発展させるることによって「歴史」を形成してきたのが人類である。
地球上に人類が出現した年代は、 化石人類の研究が進むに従って、 どんどん遡っているが、 現在では約700万年前とされている。

人類の進化

「人類進化」の見方

人類の進化の段階には、化石人類の研究によって、 猿人、原人、旧人、新人の4つがあるとされてきた。
そして現在の我々人類(現生人類)は「新人」段階にあるといわれてきた。

かつては, この4段階は順次進化してきた過程であると説明されていたが、 現在の研究水準では、 この進化は、 4つの段階が継続的に続いたのではなく、 途中に「絶滅」や「置換」が起こったことが明らかになってきた。
この4種類は、化石人類の「種」の違いを意味しているのであり、 進化の段階を示しているのではないので注意しなければならない。

この4種類の化石人骨の関係は必ずしも明かではなく、 またネアンデルタール人とホモ・サピエンスの出現順序も全く逆であったことが判明した。

人類にはわれわれホモ・サピエンス以外に、 絶滅してしまった「種」があったことが化石の発見と研究によって判ってきた。
それらの化石人類には形態の違いから、 現在まで25ほどの種があったことが報告されているが、 ホモ・サピエンス以外はすべて絶滅してしまった。
つまり、「人類」は何種類もあったのであり、「われわれ」を除いて絶滅してしまったのである。 ...
最近の研究によれば、 化石人類から現生人類に至る人類の進化は単線的なものではなく、 それぞれ複雑に進化、分化、絶滅、置換を繰り返しているのであり、 現在の人類学では猿人、原人、旧人、新人という分類は用いられていない。
例えば化石人類ネアンデルタール人クロマニヨン人の関係は、 前者が後者に進化したのではなく、 別々に進化し、 しかも併存していたと考えられている。

しかしながら、 現在においても各種の資料において、猿人、原人、旧人、新人の言葉が現れてくる。
この項ではこの言葉の意味を一度説明しておく。
【注意】
人類進化図は今は使われていない。
教科書や参考書には今でも、 猿人→原人→旧人→新人という4段階で人類が進化したことを、 よちよち歩きから次第に立ち上がっていく姿で表している図をよく見かける。
これは現在の研究水準からすると、 間違っており、 誤解を与えるだけであるという。

原始霊長類

生物の70%が絶滅した約6550万年前、 大絶滅から生き残った小型哺乳類の一部が約6000万年前の頃、 原始霊長類(原猿類)へと進化した。
リスやネズミのような姿をしていた体長10cmほどの最古の霊長類プルガトリウス(Purgatorius)である。

再調査必要

霊長類

原猿、サル、類人猿、ヒトをすべてあわせたグループを霊長類と呼んでいる。
「霊長」とは、万物の首長たるものという意味。

分類学上の正式な和名は哺乳綱(Mammalia)に含まれる霊長目(プリマーテス、Primates)という。
原猿類、新世界ザル、旧世界ザル、類人猿、ヒトを含み、現存するものは約220種が知られている。

人間は世界各地のいろいろな環境に住んでいるが、人間以外の霊長類は主に中南米、アフリカ、南アジア、東アジアの熱帯や亜熱帯地域に生息している。
そのなかでニホンザルは雪の降る地域にも生息する北限のサルである。 そのため、スノーモンキーとも呼ばれている。

生物学的には、 ヒトはサル目の一員であり、 霊長類(=サル類)の1種にほかならないが、 一般的には、 サル目からヒトを除いた総称を「サル」とする。

猿人以前

生物学では、生物は進化すると考えられている。 進化とは、 増殖を繰り返していくうちに、 より単純で一般的な生物からより複雑で特殊化した生物に多様化し、 変化していくことである。 生物学の分類では、 人間は、霊長類(霊長目)に属している。 ヒトは、霊長類のなかから分化して現れてきた生物種だと考えられている。

およそ1億年から7千万年前、地球上に最初の霊長類が現れた。 霊長類のなかで最も原始的なサルは原猿類と呼ばれている。 ツパイなどがその例である。 原猿類の見た目は、 ヒトよりも、 むしろネズミに似ているといっていいかもしれない。 霊長目は、 目のしくみと手先の繊細さと脳の大きさにおいて他の目の生物よりも秀でているといえる。

およそ4千万年前に、霊長目の亜目として類人亜目が分かれ出てくる。 このグループは、 後足立ちができ、 爪が鉤爪から丸い平爪になり、 顔もより人間に近くなった。

およそ3千万年前には、さらに尾のないサルが現れた。 ヒト上科として区分されるサルである。 現存するヒト上科に属する種としては、たとえばテナガザルである。

およそ1700万年前になると、より大型のサルが現れてくる。 ヒト科である。 現存するヒト以外のヒト科の生物には、 ゴリラやチンパンジー、オランウータンがいる。

およそ600万年前から500万年前になると、 より人間に近い、 ヒト亜科として区分される動物が現れてくる。 これは、より大きな脳を持ち、楽々と二足歩行できるようになった霊長類である。 これらが人類の直接の祖先と考えられている。

猿人

猿人(Australopithecine)とは、 約700万年前にアフリカ大陸に出現し、 約130万年前まで生息していただろうと考えられる初期の人類である。

以下の6属がこれに含まれる。ただしこれは日本独自の用語であり、厳密な定義はない。

脳容積は類人猿と同程度(500mlほど)で現在の人間の脳容積(1,350mlほど)と比べ、非常に少ない。
化石人骨の検討より、尾がなく直立二足歩行で体重を支えていたとみられる。

自由になった手で道具を使うようになり、原始的な石器を使用していたものと考えられている。 ...
西暦2013年度から使用される山川出版社『詳説世界史B』では、猿人の出現年代、 つまり人類の出現年代が約700万年前とされている。 前年までは約500万年前となっていた。 これは2007年版からの記載なので、6年で200年ほどさかのぼったことになる。 現在の人類学の発掘調査の進展によるもので、 700万年前説が定説になったことによるのであろう。 実教出版の2013年版世界史Bでは、 「人類が独自の系統の進化のコースに入ったのは、700万~500万年前のアフリカ大陸であることがわかってきた。」と慎重な言い回しにしていて、 注で「2001年にアフリカ中央部チャド共和国で発見されたトゥーマイ(生命の希望)は約700万年前のものと推定されている」と説明している。

ヒト亜科のうち、 ピテクス(サル)という語尾の名前が付けられているものは、 猿人と呼ばれる。
なかでも有名なのはアウストラロピテクス属(「南の・サル」の意味)である。
中東アフリカで見つかった、 ルーシーという名前で有名なアウストラロピテクス属の女性の一個体は、 400万年から300万年くらい前に生きていたと考えられている。

初期の人類の祖先の化石が見つかる地域はアフリカに集中している。

猿人が他の猿と大きく違うのは、直立二足歩行である。
つまり二本足で立って歩いていたということ。
ゴリラやチンパンジーはどちらかというと二本足で歩くこともできるという感じだが、 猿人は楽々と直立二足歩行していた。
これはとても重大な事である。
なぜなら二本足(後ろ足)で立つと、 空いた前足(手)に何かを持つことができるから。
すなわち道具の使用が可能になったのである。

もうひとつ、 二本足で立つことのメリットは脳を大きくすることができるということである。
四本足で歩く場合は、首は水平方向から頭を支えることになる。
すると、あまり頭が重いと前にのめってしまい、歩きにくくなってしまう。
ところが二本足の場合は、頭の重さは垂直方向に首にかかることになる。
より重い頭を支えられるようになるのである。

とはいえ、アウストラロピテクス属の脳は400~500ccくらいで、 チンパンジーよりちょっとだけ大きいくらいであった。
現在の我々の脳は1400~1500ccである。

200万年前になると、ホモ・ハビリスが現れた。
これは、初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種だといわれている。

ホモ・ハビリスは石器を使っていた。
石器は人工の歯や牙や角として機能する。
他の動物を以前よりもはるかに容易に殺傷する力を得たのである。
猿人の出現時期 700万年前説:
2013年度から使用される山川出版社『詳説世界史B』では、 猿人の出現年代、 つまり人類の出現年代が約700万年前とされている。
前年までは約500万年前となった。
これは2007年版からの記載なので、 6年で200万年ほどさかのぼったことになる。
現在の人類学の発掘調査の進展によるもので、 700万年前説が定説になったことによるのであろう。
実教出版の2013年版世界史Bでは、 「人類が独自の系統の進化のコースに入ったのは、700万~500万年前のアフリカ大陸であることがわかってきた。」と慎重な言い回しにしていて、 注で「2001年にアフリカ中央部チャド共和国で発見されたトゥーマイ(生命の希望)は約700万年前のものと推定されている」と説明している。<同書 p.18>

原人

猿人の次の段階に来るのが原人である。

原人はホモ・エレクトスとも言い、 アウストラロピテクス属が身長140~150cmくらいだったのに対して、 160~180cmくらいあった。 大体180万年前くらいからアウストラロピテクス属から進化した。 脳の大きさは900~1100ccくらいで、猿人の2倍以上になっている。

はじめてのホモ・エレクトスの化石は、ジャワ島で発見された。 これがジャワ原人(ホモ・エレクトス・エレクトス)である。 アフリカを越えてアジアにまで広がったのは、原人が最初である。 60万年くらい前から、地球氷河期に入った。 氷河は北から南に広がり、多くの生物の適応を刺激した。 原人は、 毛皮を身につけ、 天幕を張ったシェルターに住んだり、 洞穴に暮らしたりした。

50万年くらい前には、原人による火の使用の痕跡が中国の北京で見つかっている。 これが北京原人(ホモ・エレクトス・ペキネンシス)である。 火を使えるようになると、 暖を取れるばかりでなく、 夜には明かりとなり、 猛獣を遠ざけたり、 食べ物を加熱調理したりすることもできた。

なお、 日本でも明石原人と呼ばれる原人の骨(寛骨)が発見されたが、 この明石原人は本当に原人なのか疑問が出ている。

旧人(旧人類)

旧人類が登場したのが、大体50万~30万年前くらい。 ネアンデルタール人が有名である。 脳の大きさは1300~1600ccくらいでむしろ現在の人間より大きかった。

脳が大きくなったのに伴って精神的にも進化したようで、 イラクのシャニダール洞窟と言うところで史上初の葬式跡というのが発見されている。 この洞窟からネアンデルタール人の骨が見つかったのだが、 その周りから花の花粉が見つかった。 つまり死んだ人の周りにお花を添えたということである。

新人(新人類)

新人(新人類)は現生人類とも言う。 新人類が登場したのが、20万年前くらいと考えられている。 旧人類もこの時代にまだ生き残っていたのだが、 次第に新人類に取って代わられたようである。

代表としてクロマニョン人上洞人がある。 スペインのアルタミラ、 フランスのラスコーにこのクロマニョン人によって描かれた洞窟絵画がある。

クロマニヨン人

ヨーロッパ西部地方に発見された顕生代.新生代.第四紀.更新世後期のホモ・サピエンス(かつては新人といわれた)の化石人類フランスのドルドーニュ地方クロマニヨンの岩陰で、西暦1868年に、 後期旧石器時代のオーリニャック文化の遺物、 バイソン、トナカイなどの獣骨とともに、数体の人骨が発見された。

これらは現生人類の古い型であり、 旧人 (ネアンデルタール人 ) とは明らかに異なったものである。 そのうち最も完全に近い成人男性骨は狭義のクロマニヨン人と呼ばれ、 骨は厚くがんじょうで頭は大きく (脳容積 1590立方センチメートル) 、 顔は広いが鼻骨は強く突出し、口は突出していない。 また背は高く全体的に頑強な体格をしている。 いくつかのコーカソイド的特徴をもっているためにコーカソイド人種の祖先であるともされている。 同時代のほかの同様な化石を総括してクロマニヨン型の人類と呼ぶこともある。

旧石器時代の後期旧石器文化にあたる石刃技法という高度な石器製造技術を持ち、 投げ槍・弓矢・骨角器による漁労用具などを発明して狩猟・漁労技術を飛躍的に高めた。 またクロマニヨンと同じドルトーニュ県のラスコーやスペインのアルタミラで発見された洞穴絵画や、 自然の生産力を象徴するものと思われる女性裸像などが造られ、 芸術表現や抽象化の能力を高めたことが知られる。

上洞人

北京原人が発見された中国周口店の洞窟の上方にある洞窟から、 西暦1930年に裴文中(中国の古生物学者、人類学者、考古学者)が発見した人骨群であり、 少くとも7個体ある。 一般に広義のクロマニヨン人的な長身、長頭、広顔などの特徴をもつが、 女性と思われる人骨には広鼻、軽い突顎、広い頬骨などの特徴をもつものがあり、 モンゴロイドの祖先の化石現生人類であると考える学者が多い。 シカ、ハイエナ、クマ、トラなどの動物化石を伴っており、 顕生代.新生代.第四紀.更新世後期の第4氷期に相当すると考えられている。 人骨に伴って石器、骨針、装身具が発見されている。

山頂洞人ともいう。

化石人類の分類 1408

化石人類とは、化石として知ることのできる人類のことである。

約700万年前、 類人猿から分岐して直立歩行し始めてからを人類とする。 その後、 何種類もの人類が登場したが、 いずれも絶滅し、 約20万年前に出現したホモ・サピエンス(現生人類)のみが現在も生存している。 ...
化石生物学による研究が進んだ現在では、 広い意味での人類は次のように分類されているようだ。
通常、 生物の名称は二名法で表される。 それぞれの化石が発掘される地層の年代は重なっている(つまり併存した)のであり、 単線的に進化したのではない。
また、 これらの化石人類は、 ホモ=サピエンス(現生人類)を除いて絶滅した。

化石人類

化石人類(かせきじんるい)  英語:fossil hominid / fossil man

化石として知ることのできる人類のこと。化石人骨ともいう。

厳密な言葉ではなく、 初めは現生人類とは別に、 かつて存在した人類 (先行人類ともいう) のことをさしていた。

約700万年前、 類人猿から分岐して直立歩行し始めてからを人類とする。 その後、 何種類もの人類が登場したが、 いずれも絶滅し、 約20万年前に出現したホモ・サピエンス(現生人類)のみが現在も生存している。

化石人類は「猿人」「原人」「旧人」「新人」の4つに分類される。 かつては進化の段階であるとされてきたが、 今では「種」の違いを表しているだけで進化の過程を表しているものではないとされている。 そのため、 人類学会ではこの分類は用いられなくなっている。

アフリカ単一起源説

現在人類学の主流となっている、 現生人類(われわれの直接の先祖)の起源をアフリカに求める説。
現生人類発生の地はアフリカか
現生人類である「新人(ホモ=サピエンス)」の起源については、
  • 「旧人」から連続して進化したとする見方
  • 「旧人」とは別に出現したとする見方
とが対立していた。
前者は「多地域進化説」といわれ、世界中の各地域で原人の時代から現代まで連続して人類は進化してきたと考え、北京原人の子孫が東アジア人となり、ジャワ原人の子孫が東南アジア人(やアボリジニ)となり、ネアンデルタール人がクロマニヨン人を経て現代のヨーロッパ人となったと主張していた。
現生人類へのシナリオ
ところが分子生物学の発達によって、 化石人類の研究が進み、 後者の考え方が有力となっている。
特に「現生人類アフリカ起源説」が西暦1987年に提唱され、 現在ではほぼ確実視されている。
その考えでは現生人類出現のシナリオは次のようになる。
世界中のすべての現代人の起源は、 20万~5万年ほど前のアフリカ(広いアフリカの中のどこかはまだ明らかでない)に現れたホモ=サピエンスである。
彼らはある時期にアフリカからユーラシアに進出したが、 その時旧人(ヨーロッパにはネアンデルタール人、中国では北京原人の末裔、東南アジアではジャワ原人の末裔)が残っていた。
ホモ=サピエンスの到来とともに、 これらの先行した人類はいなくなってしまった。
なぜいなくなったのか、 「戦いがあったのか」、 「混血の結果吸収されたのか」はまだ判らない。
<海部陽介『人類がたどってきた道』NHKブックス 2005 p.40 などによる>
Episode アフリカのイブ
「現生人類アフリカ単一起源説」とは、西暦1987年、 アメリカの人類学者レベッカ=チャンなどのブループが発表した。
彼らは世界各地出身の147人の現代人から、 ミトコンドリア(細胞内にある小器官で女性を通じてのみ遺伝する)のDNA(遺伝子情報)を集めて比較したところ、 その共通先祖はおよそ20万年前のアフリカにいたことがわかった。
この集団の中に世界中の現代人の共通祖先に当たるDNAをもつ母親がいたという「イブ仮説」とも言われる。
その共通祖先を旧約聖書の最初の女性、 イブの名で呼んだわけだ。
その後、 研究が進み、 ネアンデルタール人の化石からDNAを取り出すことにも成功し、 その結果彼らと現代人には遺伝子の上でのつながりがないことが判明した。
現生人類はネアンデルタール人の子孫ではなかったのだ。

原猿類の誕生

約6000万年前、原猿類が誕生した。

生物の70%が絶滅した約6550万年前、 大絶滅から生き残った小型哺乳類の一部が約6000万年前の頃、 原猿類(原始霊長類)へと進化した。 リスやネズミのような姿をしていた体長10cmほどの最古の霊長類プルガトリウス(Purgatorius)である。

原猿類とは、 哺乳(ほにゅう)綱霊長目原猿亜目に属する動物の総称である。
キツネザル、ロリス、メガネザルの3下目5科20属40余種からなる。 顕生代新生代古第三紀暁新世中期に北アメリカ大陸に姿を現し、 暁新世の次の始新世には旧大陸西部にも分布を広げ繁栄した。

現生の原猿類は、 始新世の原猿と類似の諸形質をとどめている。 その歯数は、 最少がアイアイの18本、 ついでインドリの30本であるが、 原始的な哺乳類の基本型44本よりはいずれも少ない。
体の大きさは、 ネズミほどのコビトキツネザルから、 最大は頭胴長70センチメートルのインドリまである。
一般に小形のものは夜行性、雑食、単独生活者であり、 大形のキツネザル、インドリ、シファカの3属の種は昼行性で集団生活を営む。

東南アジア、インド、アフリカ、マダガスカル島の、主として熱帯多雨林に分布し、 すべて樹上生活者である。

猿人の誕生

猿人(えんじん、Australopithecine)とは、約700万年前にアフリカ大陸に出現し、約130万年前まで生息していただろうと考えられる初期の人類である。
以下の6属がこれに含まれる。ただしこれは日本独自の用語であり、厳密な定義はない。 脳容積は類人猿と同程度(500mlほど)で現在の人間の脳容積(1,350mlほど)と比べ、非常に少ない。
化石人骨の検討より、尾がなく直立二足歩行で体重を支えていたとみられる。
自由になった手で道具を使うようになり、原始的な石器を使用していたものと考えられている。

西暦2013年度から使用される山川出版社『詳説世界史B』では、 猿人の出現年代、 つまり人類の出現年代が約700万年前とされている。
前年までは約500万年前となっていた。
これは西暦2007年版からの記載なので、 6年で200年ほどさかのぼったことになる。
現在の人類学の発掘調査の進展によるもので、 700万年前説が定説になったことによるのであろう。
実教出版の西暦2013年版世界史Bでは、 「人類が独自の系統の進化のコースに入ったのは、 700万~500万年前のアフリカ大陸であることがわかってきた。」と慎重な言い回しにしていて、 注で「西暦2001年にアフリカ中央部チャド共和国で発見されたトゥーマイ(「生命の希望」サヘラントロプス属)は約700万年前のものと推定されている」と説明している。<同書 p.18>

用語集

インテリジェント・デザイン

インテリジェント・デザイン  英語:intelligent design

インテリジェント・デザインとは、 生物や宇宙の構造の複雑さや緻密さを根拠に、 「知性ある何か」によって生命や宇宙の精妙なシステムが設計されたとする理論。 しばしばIDID論と略される。

『宇宙・自然界にみられる精巧さや複雑さは機械的・非人称的な自然的要因だけではすべての説明はできず、 そこには「デザイン」すなわち構想、意図、意志、目的といったものが働いていることを科学として認めよう』 という理論・運動である。

創造論とインテリジェント・デザインは似ているがやや異なっている。 創造論は、 クリスチャン(やムスリムなど)が聖書(やクルアーンなど)を信じ 「聖書は神ヤハウェの言葉であり、聖書の記述は全て正しい。 創世記に書かれている天地創造や生命の創造に関する記述も正しい。 よって宇宙も地球も地球上の生命もすべて神ヤハウェによって創造された」 と信じて自然を眺める考え方である。

それに対してインテリジェント・デザインは、 まず自然の領域を積極的に観察することから出発し、 生命の中に精妙さ、 高度さがあることを認め、 驚嘆し、 そこから 「こんなに精妙なことは自然に起きるはずがない。だとすると、地球上の生命は知能の高い設計者によってデザインされたはずだ。この精妙さは、知能ある何かが関与した証拠だ」 という推論を行い結論に達するという考え方である。

よって、 両者は思考のスタートが異なっているが、 生命は誰かによって設計されたという点で同じ結論に至る。

メモ

分類階級

生  物
  
ドメイン
  
界(かい)
  
門(もん)
  
綱(こう)
  
目(もく)
  
科(か)
  
属(ぞく)
  
種(しゅ)
サヘラントロプス  約700万年から約680万年前のアフリカ大陸北中部に生息していた霊長類の1属である。
オロリン  約610万年から580万年前に生息していた。
アルディピテクス属  約700万年
ケニアントロプス・プラティオプス  鮮新世の約350万年 - 約320万年前に生息していた化石人類
アウストラロピテクス・アファレンシス  約390万年前 - 約290万年前に存在した化石人類の一種である。
 約700万年
 ルーシー
 セラム
アウストラロピテクス・アフリカヌス  2-3百万年前の鮮新世にいた。
アウストラロピテクス・アナメンシス(英語版)  約380万年
アウストラロピテクス・バーレルガザリ  300万から350万年前
アウストラロピテクス・ガルヒ  約万年
アウストラロピテクス・セディバ  約180万年
パラントロプス・エチオピクス  およそ270 - 230万年前(鮮新世の終盤)
パラントロプス・ボイセイ(英語版)  約万年
パラントロプス・ロブストス  200万から250万年前に存在したと考えられる
その他参考  約700万年
ホモ=ハビリス  250万年前の化石人類
ホモ=エレクトゥス  190万年前の化石人類
ホモ=ハイデルベルゲンシス  70万年前 - 20万年前の化石人類