小窓
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)

作成日:2023/7/21

五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)  生没年不詳

五十瓊敷入彦命は、『記紀』に伝わる古代日本の皇族。
日本書紀』では「五十瓊敷入彦命」「五十瓊敷命」「五十瓊敷皇子」、 『古事記』では「印色入日子命」と表記される。

垂仁天皇の皇子。母は日葉酢媛命
景行天皇の同母兄である。

日本書紀(垂仁天皇30年1月6日条)』では、 垂仁天皇が五十瓊敷命・大足彦尊兄弟に望むものを聞いたところ、 五十瓊敷命は弓矢を、大足彦尊は皇位を望んだ。 そこで垂仁天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、 大足彦尊には皇位を継ぐように言った。

伊奈波神社(岐阜県岐阜市)の社伝によると、 五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を承けて奥州を平定したが、 同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、 命に謀反の心ありと讒奏した。 そのため、朝敵として攻められて同地で討たれたという。 さらに、夫の死を知った妃の渟熨斗姫命は、 都を離れてこの地で御跡を慕い、 朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。