五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと) 生没年不詳
五十瓊敷入彦命は、『
記紀』に伝わる古代日本の皇族。
『
日本書紀』では「
五十瓊敷入彦命」「
五十瓊敷命」「
五十瓊敷皇子」、
『
古事記』では「
印色入日子命」と表記される。
垂仁天皇の皇子。母は
日葉酢媛命。
景行天皇の同母兄である。
『
日本書紀(垂仁天皇30年1月6日条)』では、
垂仁天皇が五十瓊敷命・
大足彦尊兄弟に望むものを聞いたところ、
五十瓊敷命は弓矢を、
大足彦尊は皇位を望んだ。
そこで
垂仁天皇は五十瓊敷命には弓矢を与え、
大足彦尊には皇位を継ぐように言った。
伊奈波神社(岐阜県岐阜市)の社伝によると、
五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を承けて奥州を平定したが、
同行した陸奥守豊益が五十瓊敷入彦命の成功を妬んで、
命に謀反の心ありと讒奏した。
そのため、朝敵として攻められて同地で討たれたという。
さらに、夫の死を知った妃の
渟熨斗姫命は、
都を離れてこの地で御跡を慕い、
朝夕ひたすら命の御霊を慰めつつ生涯を終えたという。