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歴代天皇の陵墓

作成日:2023/5/23

歴代天皇の陵墓の一覧である。

初代・神武天皇

畝傍山東北陵
畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)

神武天皇 陵墓
所在地:奈良県橿原市大久保町
古墳名:山本ミサンザイ古墳
墳形 :円丘

2代・綏靖天皇

桃花鳥田丘上陵
桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)

綏靖天皇陵墓
陵形:円丘
住所:奈良県橿原市四条町
古墳名:塚山古墳

3代・安寧天皇

畝傍山西南御陰井上陵
畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)

安寧天皇陵墓
陵形:山形
住所:奈良県橿原市吉田町
古墳名:

4代・懿徳天皇

畝傍山南纖沙溪上陵
畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)

/懿徳天皇陵墓
陵形:山形
住所:奈良県橿原市西池尻町
古墳名:

5代・孝昭天皇

掖上博多山上陵
掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのえのみささぎ)

孝昭天皇陵墓
日本書紀(孝安天皇三八年八月の条)』に孝昭天皇を掖上博多山上陵に葬るとあり、 『延喜式(諸陵寮)』には「掖上博多山陵、掖上池心宮御宇孝昭天皇、在大和国葛上郡、兆域東西六町、南北六町、守戸五烟」と記す。
『大和志』は室の宮山古墳にあてたが、 「諸陵周垣成就記」には「三室村の内に、字ハタヽ山の天皇山と申、陵有之候」とある。

陵形:山形
住所:奈良県御所市大字三室小字博多山
古墳名:

俗称「博多山」
葛城川の西側の小山、自然の丘陵であり古墳ではない。

6代・孝安天皇

玉手丘上陵
玉手丘上陵(たまてのおかのえのみささぎ)

孝安天皇陵墓

陵形:円丘
住所:奈良県御所市大字玉手
古墳名:

近くには第五代孝昭天皇の掖上池心宮跡(民家の中に石碑があり見つけにくい)がある。

7代・孝霊天皇

片丘馬坂陵
片丘馬坂陵(かたおかのうまさかのみささぎ)

孝霊天皇陵墓
日本書紀(孝元天皇六年九月六日条)』に、 「大日本根子彦太瓊天皇を片丘馬坂陵に葬りまつる」、 『古事記(孝霊天皇段)』に「天皇の御年、壱佰陸歳。御陵は片岡の馬坂の上に在り」、 『延喜式(諸陵寮)』に「片丘馬坂陵」とある孝霊天皇陵を「大和志」は「在王寺村馬背坂東山中陵畔有冢二」とし、 現在本町三丁目にある小丘が孝霊天皇陵とされている。

陵形:自然丘
住所:奈良県北葛城郡王子町本町3町目
古墳名:

王寺町では唯一の天皇陵。

8代・孝元天皇

劔池嶋上陵
劔池嶋上陵(つるぎのいけのしまのえのみささぎ)

孝元天皇陵墓

陵形:前方後円
住所:奈良県橿原市石川町
古墳名:

石川池の南に突出した小丘にある。孝元天皇陵に治定。
日本書紀(開化天皇五年二月六日条)』に「大日本根子彦国牽天皇を剣池嶋上陵に葬りまつる」とあり、 『古事記(孝元天皇段)』には、「御陵は剣池の中の岡の上に在り」と記す。

9代・開化天皇

春日率川坂上陵
春日率川坂上陵(かすがのいざかわのさかのえのみささぎ)

開化天皇陵墓

陵形:前方後円
住所:奈良県奈良市油阪町
古墳名:念仏寺山古墳

10代・崇神天皇

山邊道勾岡上陵
山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)

崇神天皇の陵墓

陵形:前方後円
住所:奈良県天理市柳本町
古墳名:行燈山古墳

11代・垂仁天皇

菅原伏見東陵
菅原伏見東陵(すがわらのふしみのひがしのみささぎ)

垂仁天皇陵墓
所在地:奈良県奈良市尼辻西町
陵形 :前方後円

12代・景行天皇

山辺道上陵
山辺道上陵(やまのべのみちのえのみささぎ)

景行天皇陵墓。
陵形:前方後円墳
所在地:奈良県天理市渋谷町

天理市には大和古墳群と呼ばれる古墳の密集地があるが、 なかでも景行天皇陵は最大の前方後円墳でその全長は300m。
全国でも第7位の規模を誇る。
周囲には1㎞にも及ぶ濠がめぐり、 付近には陪塚がある。
宮都の纏向珠城宮は、桜井市穴師付近にあったとみられる。日本武尊の父に当たる第12代景行天皇の墓。天理市には大和古墳群と呼ばれる古墳の密集地があるが、なかでも景行天皇陵は最大の前方後円墳でその全長は300m。全国でも第7位の規模を誇る。周囲には1㎞にも及ぶ濠がめぐり、付近には陪塚がある。宮都の纏向珠城宮は、桜井市穴師付近にあったとみられる。

14代・仲哀天皇

恵我長野西陵
恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)

仲哀天皇陵
陵形:前方後円
所在地:大阪府藤井寺市藤井寺4丁目
古墳名:岡ミサンザイ古墳

宮内庁により治定されている。
ただし、築造時期が5世紀末葉と推定されていることから、 仲哀天皇陵とすることに否定的な見解も少なくない。

摂政・神功皇后

狹城盾列池上陵
狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)

神功皇后の陵墓
陵形:前方後円
所在地:奈良県奈良市山陵町
古墳名:五社神古墳(ごさしこふん)

16代・仁徳天皇

百舌鳥耳原中陵
百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)

仁徳天皇の陵墓
古墳:大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)または大山古墳(だいせんこふん)
陵形:前方後円
住所:大阪府堺市堺区大仙町
名称:仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)や仁徳陵古墳とも言う。

北側の田出井山古墳(反正天皇陵)、南側のミサンザイ古墳(履中天皇陵)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれ、 現在はその三陵の中陵として宮内庁が管理している。
また、これらを中心に大小46基の古墳からなる百舌鳥古墳群が約4km四方に広がっている。

17代・履中天皇

百舌鳥耳原南陵
百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)

履中天皇陵墓
住所:大阪府堺市西区石津ヶ丘
古墳名:上石津ミサンザイ古墳
墳形:前方後円

石津ヶ丘にある全長約365mの日本で3番目に大きい巨大前方後円墳。 仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られ、 百舌鳥耳原南陵、 ミサンザイ古墳とも呼ばれる百舌鳥耳原三陵の一つ。

百舌鳥古墳群では仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)に次ぐ巨大前方後円墳で、 10基ほどの陪塚を従えていたことがわかっている。 そのなかの七観山古墳は出土資料などから、 仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたことがわかっている。
墳丘の全長約365m、後円部径205 m、高さ約27.6m、前方部幅約235m、高さ約25.3mの規模の日本で3番目に大きい、 石津ヶ丘にある前方部を南に向けた巨大前方後円墳。
墳丘は3段築成で西側のくびれ部には造出しがあり、 主体部の構造や副葬品などはわかっていないが葺石と埴輪がありる。 一重の盾形周濠と堤がめぐっているが、 平成6年(1994年)に外側に幅10m程の2重目の周濠が見つかっている。
江戸時代の記録では、 後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、 すでに盗掘を受けている可能性がある。

現在は百舌鳥耳原三陵の南陵・履中天皇陵として宮内庁が管理している。

18代・反正天皇

百舌鳥耳原北陵
百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)

反正天皇の陵墓
陵形:前方後円
古墳名:田出井山古墳
所在地:大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁

百舌鳥古墳群の北端にある前方部を南に向けた前方後円墳で、 現在は百舌鳥耳原三陵の北陵・反正天皇陵として宮内庁が管理している。
墳丘の規模は全長約148m、後円部径約76m、高さ約13m、前方部幅約110m、高さ約15mで百舌鳥古墳群では7番目の大きさ。 仁徳天皇陵古墳の1/3ほどの大きさで、天皇陵では小さいほうである。 墳丘は3段に築かれその形や出土した埴輪から、 5世紀中頃に造られたと考えられてる。 現在一重の盾型周濠がめぐっているが、 周囲で行われた発掘調査で、かつて二重濠があったことが確認されている。

19代・允恭天皇

恵我長野北陵
恵我長野北陵(えがのながののきたのみささぎ)

允恭天皇の墳墓。
所在地:大阪府藤井寺市国府一丁目
墳形:前方後円

20代・安康天皇

菅原伏見西陵
菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)

安康天皇陵墓

陵形:方丘
住所:奈良県奈良市宝来四丁目(御陵は菅原の伏見岡)

古墳ではなく中世の山城(宝来城)跡である可能性が高い。

21代・雄略天皇

丹比高鷲原陵
丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)

雄略天皇陵墓
住所:大阪府羽曳野市島泉8丁目
陵形:円丘
古墳:島泉丸山古墳(後円部)、島泉平塚古墳(前方部)
   二基を合わせて前方後円とみなしている。
   (ただし、ふたつの古墳は濠でさえぎられており、つながっていない)

22代・清寧天皇

河内坂門原陵
河内坂門原陵(こうちのさかどのはらのみささぎ)

清寧天皇陵墓

住所:大阪府羽曳野市西浦6丁目
墳形:前方後円
古墳名:白髪山古墳

23代・顕宗天皇

傍丘磐坏丘南陵
傍丘磐坏丘南陵(かたおかのいわつきのおかのみなみのみささぎ)

顕宗天皇陵墓。 所在地:奈良県香芝市北今市
墳形:自然丘

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の陵墓
陵形:前方後円
所在地:奈良県奈良市山陵町
古墳名:五社神古墳(ごさしこふん)