小窓
懿徳天皇/懿德天皇(いとくてんのう)

作成日:2019/9/29

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第4代天皇 懿徳天皇/懿德天皇(いとくてんのう)  欠史八代の一人で実在性に乏しい。

[在位] 紀元前510年懿徳天皇元年2月4日) - 紀元前477年懿徳天皇34年9月8日)《紀》
[生没] 紀元前553年綏靖天皇29年) - 紀元前477年懿徳天皇34年9月8日)77歳没《紀》
[時代] 伝承の時代(弥生時代
[先代] 安寧天皇   [次代] 孝昭天皇
[和風諡号] 大日本彦耜友天皇《紀》、 大倭日子耜友命《紀》
[] 大日本彦耜友尊
[父親] 安寧天皇   [母親] 渟名底仲媛命《紀》、 阿久斗比売《記》
[皇后] 天豊津媛命《紀》、 賦登麻和訶比売命《記》
[皇居] 軽曲峡宮
[陵所] 畝傍山南纖沙溪上陵

年表

天皇の系譜(初代から第9代)
紀元前553年綏靖天皇29年)
大日本彦耜友尊(のちの懿徳天皇)誕生
紀元前538年安寧天皇11年)
(1月)大日本彦耜友尊(のちの懿徳天皇)16才で立太子
紀元前510年懿徳天皇元年)
(2月)懿徳天皇 即位
紀元前509年懿徳天皇2年)
(1月)軽曲峡宮遷都
(2月)天豊津媛命立后
紀元前489年懿徳天皇22年)
(2月)観松彦香殖稲尊を立太子
紀元前477年懿徳天皇34年)
(9月)懿徳天皇崩御。享年77歳。『古事記』では45歳という
紀元前476年(懿徳天皇34年の翌年。天皇位空位のため年号を表記できず)
(10月)畝傍山南纖沙溪上陵に葬られた

略歴

安寧天皇の第二皇子。
母は鴨王(事代主神の孫)の娘の渟名底仲媛命(『日本書紀』)。
兄弟として同母兄に息石耳命(または常津彦某兄)、同母弟に磯城津彦命がいる。
父帝が崩御した翌々年の1月に即位。
即位2年1月、軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)に都を移す。
同年2月、息石耳命の娘の天豊津媛命を皇后として観松彦香殖稲尊(後の孝昭天皇)を得た。
即位34年、崩御

大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと) - 『日本書紀』
大倭日子耜友命(おおやまとひこすきとものみこと) - 『古事記』

漢風諡号である「懿徳」は、8世紀後半に淡海三船によって撰進された名称とされる。

事績

『日本書紀』『古事記』とも系譜の記載のみに限られ、 欠史八代の1人に数えられる。
食国政申大夫の出雲色命を大臣とした。

親族

祖父:綏靖天皇   祖母:五十鈴依媛命日本書紀』、 河俣毘売古事記
父親:安寧天皇   母親:渟名底仲媛命日本書紀』、 阿久斗比売『古事記
皇后:天豊津媛命
日本書紀』本文による。
息石耳命の娘で、懿徳天皇の姪にあたる。
ただし、 同書第1の一書では猪手(磯城県主葉江の弟)の娘の泉媛、 第2の一書では磯城県主太真稚彦の娘の飯日媛とする。
古事記』では師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ、亦名を飯日比売命)とする。

宮(皇居)の名称は、 『日本書紀』では軽曲峡宮(かるのまがりおのみや)、 『古事記』では軽之境岡宮(かるのさかいおかのみや)。
宮の伝説地は、 現在の奈良県橿原市大軽町周辺と伝承される。
同地付近の白橿町では、 「軽曲峡宮跡伝承地」碑が建てられている。

陵・霊廟

陵(みささぎ)の名は畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)。
宮内庁により奈良県橿原市西池尻町にある俗称「マナゴ山」に治定されている。
宮内庁上の形式は山形。

陵について『日本書紀』では前述のように「畝傍山南纖沙溪上陵」、 『古事記』では「畝火山の真名子谷の上」の所在とあるほか、 『延喜式(諸陵寮)』では「畝傍山南繊沙渓上陵」として兆域は東西1町・南北1町、 守戸5烟で遠陵としている。
しかし後世に所伝は失われ、 幕末修陵に際して現陵に治定された。
なお、 橿原市畝傍町の「イトクの森古墳」はその名から懿徳陵とされることもあったが、 一説に皇后陵だともいわれる。

また皇居では、 宮中三殿の1つの皇霊殿において他の歴代天皇・皇族とともに懿徳天皇の霊が祀られている。

考証

実在性
懿徳天皇を含む綏靖天皇(第2代)から開化天皇(第9代)までの8代の天皇は、 『日本書紀』『古事記』に事績の記載が極めて少ないため「欠史八代」と称される。
これらの天皇は、 治世の長さが不自然であること、 7世紀以後に一般的になるはずの父子間の直系相続であること、 宮・陵の所在地が前期古墳の分布と一致しないこと等から、 極めて創作性が強いとされる。
一方で宮号に関する原典の存在、 年数の嵩上げに天皇代数の尊重が見られること、 磯城県主や十市県主との関わりが系譜に見られること等から、 全てを虚構とすることには否定する見解もある。
名称
和風諡号である「おおやまとひこ-すきとも」のうち、 「おおやまとひこ」は後世に付加された美称、 「すきとも」は「すきつみ」からの転訛で、 その末尾の「み」は神名の末尾に付く「み」と同義と見て、 懿徳天皇の原像は「すきつみ(耜友/鉏友)」という名の鋤の神であって、 これが天皇に作り変えられたと推測する説がある。

伝承

中世の『古今和歌集序聞書三流抄』には、天皇が出雲に行幸して、素戔嗚尊に出会うという逸話が見える。


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大日本彦耜友尊(おおやまとひこすきとものみこと)

懿徳天皇の諱(いみな)

安寧天皇の第2皇子。母は渟名底仲媛命。