宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)。
伝承地は現在の奈良県天理市田町、同市田部、橿原市石原田町の3説がある。
陵(みささぎ)の名は菅原伏見西陵。
宮内庁により奈良県奈良市宝来4丁目にある宝来城跡に治定されている。「古城1号墳」とも称されるが、古墳ではなく中世の城跡とする見方が強い。近年の調査結果でも古墳時代の遺物は発見されていない。城跡としては堀をめぐらした方形館の東側に馬出を付けた中世平城である。宮内庁上の形式は方丘。
なお、南東には垂仁天皇陵に治定されている菅原伏見東陵(宝来山古墳)が所在する。
垂仁天皇陵の飛地い号に治定されている遺跡名「兵庫山古墳」(奈良市宝来町字堂垣内:位置)は安康天皇陵に考定する説が元禄期以後に散見される。
直径約40メートルを測る大型円墳である。
宝来山古墳の北西約200メートルの平城京三条大路上に位置し、大路を歪めてでも残された古墳ということになる。
また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。