小窓
安康天皇(あんこうてんのう)

作成日:2019/10/12

  《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第20代天皇 安康天皇(あんこうてんのう)  暗殺されたと明確に記された最初の天皇である。

[在位] 西暦454年允恭天皇42年12月14日) - 西暦456年安康天皇3年8月9日)《紀》
[生没] 西暦401年履中天皇2年?) - 西暦456年安康天皇3年8月9日) 56歳没《紀》
[時代] 伝承の時代(古墳時代
[先代] 允恭天皇   [次代] 雄略天皇
[和風諡号] 穴穂天皇
[] 穴穂皇子
[父親] 允恭天皇(第3皇子)   [母親] 忍坂大中姫
[皇后] 中磯皇女
[子女] 皇子女なし。
[皇居] 石上穴穂宮
[陵所] 菅原伏見西陵

年表

天皇の系譜(第10代から第26代)日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。
西暦401年履中天皇2年)
穴穂皇子(のちの安康天皇)誕生
西暦453年允恭天皇42年)
(1月14日)允恭天皇78歳で崩御
西暦454年允恭天皇42年)
木梨軽皇子が廃太子され自害、伊予に流されたとも言われる
1月28日(12月14日)安康天皇 即位石上穴穂宮。に遷都
西暦454年安康天皇元年)
(2月)根使主の讒言を信じ伯父(仁徳天皇の皇子)の大草香皇子を誅殺。
西暦455年安康天皇2年)
(2月)安康天皇は、誅殺した大草香皇子の妻であった中蒂姫を皇后に立てた。
西暦456年安康天皇3年)
(8月9日)安康天皇中蒂姫皇后と大草香皇子の子である眉輪王に殺害される。56歳であった。
西暦457年安康天皇3年)
(11月13日)雄略天皇 即位
西暦459年雄略天皇3年)
安康天皇菅原伏見西陵に葬られる。
西暦470年雄略天皇14年)
(4月)根使主の讒言が発覚。

漢風諡号である「安康天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。

親族

祖父:   祖母:
父親:允恭天皇(第3皇子)   母親:忍坂大中姫
皇后:中磯皇女(中蒂姫命。履中天皇の皇女。もと大草香皇子の妃)
皇子女なし

皇居

宮(皇居)の名称は、『日本書紀』では石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)。
伝承地は現在の奈良県天理市田町、同市田部、橿原市石原田町の3説がある。

陵・霊廟

陵(みささぎ)の名は菅原伏見西陵
宮内庁により奈良県奈良市宝来4丁目にある宝来城跡に治定されている。「古城1号墳」とも称されるが、古墳ではなく中世の城跡とする見方が強い。近年の調査結果でも古墳時代の遺物は発見されていない。城跡としては堀をめぐらした方形館の東側に馬出を付けた中世平城である。宮内庁上の形式は方丘。

なお、南東には垂仁天皇陵に治定されている菅原伏見東陵(宝来山古墳)が所在する。
垂仁天皇陵の飛地い号に治定されている遺跡名「兵庫山古墳」(奈良市宝来町字堂垣内:位置)は安康天皇陵に考定する説が元禄期以後に散見される。
直径約40メートルを測る大型円墳である。
宝来山古墳の北西約200メートルの平城京三条大路上に位置し、大路を歪めてでも残された古墳ということになる。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。

考証

倭の五王
中国の『宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王興に比定されている。
近親相姦説
兄である木梨軽皇子には近親相姦疑惑があったとされているが、安康天皇も近親相姦をしていたのではないかという説がある。
これは、 『古事記』では大草香皇子を殺した後に妻にした皇后が、 同母姉であるはずの長田大娘皇女とされており、 木梨軽皇子と軽大娘皇女の逸話からして禁止されていると推測されている同母の兄弟姉妹婚に当たるためである。
『日本書紀』の雄略紀では安康天皇の妻は履中天皇の皇女である中磯皇女とし、 亦の名は長田大娘皇女と註を付けている。
ただし、本件が『記紀』の誤述から生じた謬説あることは次のように、少なくとも徳川時代にはすでに知られていた。

長田ノ大郎女は、書紀雄畧ノ巻に、去來穂別ノ天皇(履中天皇)ノ女(みむすめ)中蒂姫ノ皇女更名ハ長田ノ大娘皇女ト曰也。
大鷦鷯ノ天皇ノ子ノ大草香ノ皇子長田ノ皇女ニ娶テ眉輪ノ王ヲ生也。
云〻とある女王にて、履中ノ巻に、次ノ妃幡梭ノ皇女中磯ノ皇女ヲ生とある是なり(中蒂と中磯は同じ)。
然るを此記(古事記)に履中天皇の御子には此ノ中磯ノ皇女は無くて、允恭天皇の御子に長田ノ大郎女あるは、履中天皇の御子の允恭天皇の御子に紛れたる傳ヘの誤なり。
(又書記に、允恭天皇の御子にも名形ノ大娘皇女あるは、かの同じ誤リの傳へを取り記されたるものにして、長田と名形と字を異て書れたれども、実はかの履中天皇の御子の長田ノ大娘皇女と一ツにぞありける)。
允恭天皇の御子とするときは、天皇(安康)の御同母妹に坐スものを、いかでか后とは為賜はむ。
古事記傳 四十 ○十二 


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穴穂皇子(あなほのみこ)

安康天皇の諱(いみな)