小窓
反正天皇(はんぜいてんのう)

作成日:2019/10/11

  《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第18代天皇 反正天皇(はんぜいてんのう)

[在位] 西暦406年反正天皇元年1月2日) - 西暦410年反正天皇5年1月23日)《紀》
[生没] 西暦351年仁徳天皇39年)? - 西暦410年反正天皇5年1月23日) 75歳?没《紀》
[時代] 伝承の時代(古墳時代
[先代] 履中天皇   [次代] 允恭天皇
[和風諡号] 多遅比瑞歯別天皇
[] 水歯別命
[父親] 仁徳天皇(第3子)   [母親] 葛城磐之媛
[夫人] 津野媛弟媛
[皇居] 丹比柴籬宮
[陵所] 百舌鳥耳原北陵

年表

天皇の系譜(第10代から第26代)
日本書紀』の伝えるところによれば、以下のとおりである。
西暦351年仁徳天皇39年)
水歯別命(のちの反正天皇)誕生
西暦399年仁徳天皇87年)
父・仁徳天皇143歳で崩御
住吉仲皇子の反乱
西暦401年履中天皇2年)
(1月4日)水歯別命(のちの反正天皇)立太子
西暦405年履中天皇6年)
(3月15日)履中天皇70歳で崩御
西暦406年反正天皇元年)
(1月2日)反正天皇 即位。
(8月6日)津野媛を皇夫人に、 和珥弟媛を妃に立てる
(10月)丹比柴籬宮遷都
西暦410年反正天皇5年)
(1月23日)皇太子を立てないまま反正天皇75歳で崩御
西暦412年允恭天皇元年12月)
弟の雄朝津間稚子宿禰尊が後を継いで即位した。(允恭天皇)。
西暦416年允恭天皇5年)
(11月)百舌鳥耳原北陵に葬られる

略歴

仁徳天皇の第三皇子。母は葛城襲津彦の女・皇后葛城磐之媛命
履中天皇住吉仲皇子の同母弟、允恭天皇の同母兄に当たる。

仁徳天皇87年、 父仁徳天皇の崩後、 叛乱を起こした同母兄の住吉仲皇子を、 そのきんじゅう近習である曾婆訶理隼人)を利用して誅殺した。

履中天皇2年1月4日に立太子(皇太弟)。
同6年3月15日に履中天皇が崩御し、 翌反正天皇元年1月に即位。
兄弟継承はここに始まる。

同年8月6日、 共に和珥木事の娘である和珥津野媛を皇夫人に、 和珥弟媛を妃に立てる。
同母兄弟の2天皇と異なり皇族の妻を娶ることはなく、 子孫が即位することもなかった。

10月に河内丹比を都とする。
天下太平であり、 何事もなく在位5年。

反正天皇5年1月に皇太子を立てないまま崩御
後を弟の雄朝津間稚子宿禰尊が継いだ(允恭天皇)。

漢風諡号である「反正天皇」は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進された。

事績

後に反正天皇となる瑞歯別皇子が史書で具体的に登場するのは、 父の大鷦鷯天皇仁徳天皇)が崩御した直後である。
このとき次兄の住吉仲皇子が自分を長兄の太子・去来穂別尊(のちの履中天皇)だと偽ってその婚約者である葛城黒媛とまぐわう事件が起きた。

これを知られた住吉仲皇子は反乱を企てて太子の宮殿に火を放ち、 太子は命からがら石上神宮に逃げ延びた。
それを知った瑞歯別皇子は太子を助けるためにかけつけた。
しかし太子は命を狙われ疑心暗鬼となっており、 住吉仲皇子を誅殺してくるまでは会わないと言われてしまった。

そこで瑞歯別皇子住吉仲皇子のいる難波へと向かい、 住吉仲皇子の側近で隼人の刺領巾(『古事記』では曽婆訶理)へ大臣の位を餌として暗殺を唆した。
これを真に受けた刺領巾は厠に入っている住吉仲皇子を矛で刺し殺した(従って本人は直接手は下していない)。
任務を成功させたとはいえ、 刺領巾の行為は義にもとるものだった。
そこでねぎらいの酒を酌み交わし刺領巾の頭が大きな杯で覆われた隙に剣で首を切り落としてしまった。

こうして去来穂別尊履中天皇)の即位が確定し、 瑞歯別皇子自身は太子となった。
兄の履中天皇が在位6年で西暦405年履中天皇6年3月15日)に70歳で崩御したのち、 瑞歯別皇子反正天皇として即位した。
在位5年で崩御
事績はなく後継者も指名しないままだった。
古事記』『水鏡』に60歳。 『古事記』に従えば、 崩御した「丁丑年七月」は西暦437年に相当。
生年は逆算して、兄履中天皇より9歳年下の西暦378年に相当するが、定かではない。

親族

祖父:応神天皇        祖母:仲姫命
父親:仁徳天皇(第3子)   母親:葛城磐之媛
皇夫人:津野媛(つのひめ。大宅臣の祖和珥木事の女)
妃:弟媛(おとひめ。津野媛の妹)
なお、「皇夫人」と称されたのは史上津野媛ただ一人である(「皇太夫人」とは異なる)。
皇后を立てなかったのは、成務天皇に次いで史上2人目。

陵・霊廟

陵(みささぎ)の名は百舌鳥耳原北陵
宮内庁により大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁にある遺跡名「田出井山古墳」に治定されている。
宮内庁上の形式は前方後円。
墳丘長148メートルの前方後円墳である。
上記とは別に宮内庁から大阪府堺市北区百舌鳥西之町にある遺跡名「土師ニサンザイ古墳」が東百舌鳥陵墓参考地(ひがしもずりょうぼさんこうち)として反正天皇の空墓に想定されている。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


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水歯別命/瑞歯別皇子(みずはけのみこと)

反正天皇の諱(いみな)