小窓
宣化天皇(せんかてんのう/せんくゎてんのう)

作成日:2019/10/16

《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第28代天皇 宣化天皇(せんかてんのう/せんくゎてんのう)

[在位] 西暦536年1月?(宣化天皇元年12月) - 西暦539年3月15日?(宣化天皇4年2月10日)《紀》
[生没] 西暦467年?(雄略天皇11年)- 西暦539年3月15日?(宣化天皇4年2月10日) 73歳?没《紀》
[時代] 古墳時代
[先代] 安閑天皇。   [次代] 欽明天皇
[和風諡号] 武小広国押盾天皇- 《紀》
[] 檜隈高田皇子
[父親] 継体天皇(第2子)   [母親] 尾張目子媛
[皇后] 橘仲皇女
[皇居] 檜隈廬入野宮
[陵所] 身狭桃花鳥坂上陵

年表

天皇の系譜(第26代から第37代)
西暦467年?(雄略天皇11年)
檜隈高田皇子(のちの宣化天皇)誕生。
西暦536年1月(宣化天皇元年12月)
檜隈高田皇子 宣化天皇)として69歳で即位
4月25日(3月8日)橘仲皇女宣化天皇皇后として立后
大伴金村物部麁鹿火(物部麤鹿火)大連蘇我稲目大臣とした。
西暦539年宣化天皇4年)
3月15日(2月10日)宣化天皇73歳で崩御
西暦539年宣化天皇5年)
12月30日(12月5日)橘仲皇女は皇太后に立てられた。
???春日山田皇女と同日に皇太后に立てられた。つまり欽明天皇即位の日)

漢風諡号「宣化天皇」は代々の天皇とともに淡海三船により名付けられたとされる。

親族

祖父:彦主人王   祖母:振媛
父親:継体天皇   母親:尾張目子媛
兄弟:
皇后:橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ、仁賢天皇の皇女)
妃:大河内稚子媛(おおしこうちのわくごひめ)
母不詳

事績・人柄

先の安閑天皇が崩御したとき、その子供がなかったために同母弟の宣化天皇が満69歳にして即位した。 筑紫の官家(屯倉)の整備を行い、 大伴金村に命じて新羅に攻められている任那に援軍を送った。 即位元年(536年?)に蘇我稲目が大臣となり、子の蘇我馬子以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれることとなる。

高齢での即位と、在位が3年余りと短いため、あまり主立った事績は無い。 また、安閑宣化朝は父継体天皇死後直ぐに即位した弟の欽明天皇と並立していたとの説(辛亥の変仮説)もあるが、 いずれにせよ、宣化天皇の血統も石姫皇女を通して現在まで受け継がれることとなる。

人柄は清らかで、君子らしい顔立ちをしていたと言われている。

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、 宮内庁により奈良県橿原市鳥屋町にある身狭桃花鳥坂上陵治定されている。 皇后橘仲皇女との合葬陵で、 宮内庁上の形式は前方後円。
遺跡名は「鳥屋ミサンザイ古墳」で、墳丘長138メートルの前方後円墳である。

『古事記』には記載なし。
『日本書紀』『延喜式』には「身狭桃花鳥坂上陵」とある。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


安閑天皇 [← 先代天皇]  [次代天皇 →] 欽明天皇

武小広国押盾天皇(たけをひろくにおしたてのすめらみこと)

『日本書紀』による宣化天皇の和風諡号

檜隈高田皇子(ひのくまのたかたのみこ)

宣化天皇の諱(いみな)