小窓
安閑天皇(あんかんてんのう)

作成日:2019/10/15

  《紀》:日本書紀による記述  《記》:古事記による記述
日本の第27代天皇 安閑天皇(あんかんてんのう)

[在位] 西暦531年3月10日?(継体天皇25年2月7日) - 西暦536年1月25日?(安閑天皇2年12月17日)《紀》
[生没] 西暦466年?(雄略天皇10年?) - 西暦536年1月25日?(安閑天皇2年12月17日) 70歳?没《紀》
[時代] 古墳時代
[先代] 継体天皇   [次代] 宣化天皇
[和風諡号] 広国押武金日天皇(ひろくにおしたけかなひのすめらみこと)
[] 勾大兄皇子
[父親] 継体天皇(第1子)   [母親] 尾張目子媛
[皇后] 春日山田皇女
[皇居] 勾金橋宮
[陵所] 古市高屋丘陵

年表

天皇の系譜(第26代から第37代)
西暦466年雄略天皇10年)
勾大兄皇子(のちの安閑天皇)誕生。
西暦513年継体天皇7年)
勾大兄皇子(のちの安閑天皇)48歳で立太子。
(9月)春日山田皇女は、勾大兄皇子(後の安閑天皇)の妃となった。
西暦531年継体天皇25年)
3月10日(2月7日)安閑天皇66歳で即位
西暦534年安閑天皇元年)
4月4日(3月6日)春日山田皇女は、安閑天皇の皇后に立后された。
西暦536年安閑天皇2年) 70歳
1月25日(12月17日)安閑天皇70歳で崩御
西暦539年宣化天皇5年)
12月30日(12月5日)春日山田皇女は、欽明天皇即位と同時に皇太后に立てられた。

親族

祖父:彦主人王   祖母:振媛
父親:継体天皇   母親:尾張目子媛
兄弟:
皇后:春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ。仁賢天皇の皇女)
妃:紗手媛(さてひめ。許勢男人大臣の女)
妃:香香有媛(かかりひめ。紗手媛の妹)
妃:宅媛(やかひめ。物部木蓮子大連の女)

記紀』に皇子女の記述はない。
『本朝皇胤紹運録』によれば子に豊彦王(とよひこのみこ、秦河勝)がいるという。
河勝は通常は秦の始皇帝の子孫とされるが、 この記載に従えば安閑天皇の落胤となる。
しかしこの豊彦王については他に史料が見当たっておらず所拠不明である。

事績

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したが、わずか4年で崩御した。『古事記』では乙卯年(535年)3月13日に崩じたとされる。

安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。

なお、『日本書紀』に引く「百済本記」(「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞?城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」)によれば、531年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去したという所伝があるという。このことから、継体天皇の死後、安閑天皇・宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立し、二朝間で内乱があったのではないかとする説もある(「辛亥の変」説)。

後世、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑天皇を祭神とし直したところが多い。

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、宮内庁により大阪府羽曳野市古市5丁目にある古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)に治定されている。宮内庁上の形式は前方後円。遺跡名は「高屋築山古墳」で、墳丘長122メートルの前方後円墳である。

また皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。


継体天皇 [← 先代天皇]  [次代天皇 →] 宣化天皇

勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ/まがりのおいねのみこ)

安閑天皇の諱(いみな)