小窓
石姫皇女(いしひめのひめみこ/いしひめのおうじょ)

作成日:2023/5/17

石姫皇女
いしひめのひめみこ
いしひめのおうじょ
欽明天皇皇后
皇后  西暦540年2月8日
      欽明天皇元年1月15日)
皇太后 西暦572年4月30日
      敏達天皇元年4月3日)
生没年 不詳
諱   石姫/石比売命
父親  宣化天皇
母親  橘仲皇女
子女  箭田珠勝大兄皇子
      敏達天皇
      笠縫皇女
 

古事記』には石比売命(いしひめのみこと)とある。
同母妹の小石姫皇女(記のみ)・倉稚綾姫皇女・日影皇女(以上紀のみ)と共に欽明天皇の妃となった。 西暦540年2月8日(欽明天皇元年1月15日)に欽明天皇の皇后に立てられた。
西暦572年4月30日(敏達天皇元年4月3日)、 息子敏達天皇の即位と同日に皇太后に立てられた。

同母兄弟:小石姫皇女・倉稚綾姫皇女・日影皇女・上殖葉皇子・某(夭逝、男女不明)

陵(みささぎ)は、 宮内庁により大阪府南河内郡太子町大字太子にある磯長中尾陵に治定されている。 子の敏達天皇との合葬陵で、 宮内庁上の形式は前方後円。 遺跡名は「太子西山古墳」で、墳丘長113メートルの前方後円墳である。

石姫皇女の崩御年は不明であるが、 『日本書紀』では西暦591年崇峻天皇4年4月)に石姫皇女の墓に敏達天皇が追葬されたとし、 その陵号を「磯長中尾陵」とする。 『延喜式』諸陵寮では石姫皇女墓は遠墓の「磯長原墓」として記載され、 河内国石川郡敏達天皇陵内の所在で、 守戸3烟を毎年あてるとする。