『
古事記』には石比売命(いしひめのみこと)とある。
同母妹の小石姫皇女(記のみ)・倉稚綾姫皇女・日影皇女(以上紀のみ)と共に
欽明天皇の妃となった。
西暦540年2月8日(
欽明天皇元年1月15日)に
欽明天皇の皇后に立てられた。
西暦572年4月30日(
敏達天皇元年4月3日)、
息子
敏達天皇の即位と同日に皇太后に立てられた。
同母兄弟:小石姫皇女・倉稚綾姫皇女・日影皇女・上殖葉皇子・某(夭逝、男女不明)
陵(みささぎ)は、
宮内庁により大阪府南河内郡太子町大字太子にある
磯長中尾陵に治定されている。
子の
敏達天皇との合葬陵で、
宮内庁上の形式は前方後円。
遺跡名は「
太子西山古墳」で、墳丘長113メートルの前方後円墳である。
石姫皇女の崩御年は不明であるが、
『
日本書紀』では
西暦591年(
崇峻天皇4年4月)に石姫皇女の墓に
敏達天皇が追葬されたとし、
その陵号を「
磯長中尾陵」とする。
『
延喜式』諸陵寮では石姫皇女墓は
遠墓の「磯長原墓」として記載され、
河内国石川郡敏達天皇陵内の所在で、
守戸3烟を毎年あてるとする。