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物部麁鹿火/物部麤鹿火(もののべのあらかい)
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作成日:2023/5/8
物部麁鹿火/物部麤鹿火
もののべのあらかひ
もののべのあらかい
時代
:
古墳時代
生年
:
不詳
没年
:
西暦536年
宣化天皇
元年7月
別名
:
麤鹿火
、荒甲
氏族
:
物部
大連
主君
:
武烈天皇
→
継体天皇
→
安閑天皇
→
宣化天皇
父親
:
物部麻佐良
母親
:
妹古
妻
:
不詳
子
:
物部磐弓
物部毛等
物部影媛
麁鹿火の
大連
初任の時期は不明だが、 『
日本書紀
』の武烈即位前紀に
大連
として初めて名が現れる。
武烈天皇
の崩御後、
継体天皇
の擁立を働きかけ、 その即位後に
大伴金村
と共に再び
大連
に任ぜられる。
西暦512年
(
継体天皇
6年12月)、
百済
へ
任那
四県の割譲の際、 麁鹿火は
百済
の使者に割譲の容認を伝える宣勅使となるが、 妻からの諫めにより考えを改め、 病と称してその役を辞退する。
西暦527年
(
継体天皇
21年6月)、 九州北部で反乱を起こした筑紫国造磐井の征討将軍に就任、 天皇から筑紫以西の統治を委任された。
翌
西暦528年
(
継体天皇
22年11月)に筑紫三井郡にて磐井を破って処刑し、 「
磐井の乱
」を平定した。
その後の
安閑天皇
・
宣化天皇
の代にも
大連
を務め、
西暦536年
(
宣化天皇
元年7月)に没する。
『
古事記
』にも物部荒甲の表記で記述され、
金村
と共に竺紫君石井(磐井)討伐の任に当たったことが見える。
『
新撰姓氏録
』によると後裔に高岳首らの氏族がいる。
物部麻佐良(もののべのまさら) 生没年不詳
『先代旧事本紀』「天孫本紀」に登場する人物。
同書によると武烈天皇元年三月二日に大連となる。
「天孫本紀」では、須羽直の女の妹古を妻とし、 長子で今木連、屋形連、高岳首の祖・麁鹿火大連公、 次子で葛野連の祖・押甲連公、 末子で神野入州連の祖・老古連公の三子を伝える。
妹古
須羽直の娘。