小窓
蘇我稲目(そが の いなめ)

作成日:2021/2/13

蘇我稲目
そがのいなめ
時代 古墳時代
生年 武烈天皇8年(506年)
没年 欽明天皇32年3月1日
(西暦570年3月22日)
主君 宣化天皇欽明天皇
氏族 蘇我氏
父親 蘇我高麗
母親 不詳
妻  葛城氏の出と推測される。
 
蘇我稲目は、古墳時代の豪族。
蘇我高麗の子、 蘇我馬子ら4男3女の父。
娘3人を天皇に嫁がせた。
馬子が葛城県を本居としているため、 稲目の妻は葛城氏の出と推測される。

系譜

蘇我氏系譜

経歴

稲目は財務に手腕を振るい、王辰爾を遣わして船賦を数えて記録させた。
また、天皇の命により諸国に屯倉を設置している。

仏教受容問題に権力闘争が重なり、蘇我氏物部氏は激しく争った。
決着はつかず、この争いは子の蘇我馬子物部守屋の代まで引き継がれた。

父母妻子

蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳からほど近い明日香村阪田の都塚古墳(金鶏塚古墳)は従来、 一辺が28メートルの方墳か直径30メートルの円墳であるとされてきたが、 西暦2014年、 明日香村教育委員会と関西大学の調査チームによって、 一辺が40メートルで石が積み上げられた階段状の巨大な方墳であることが確認された。
当時の大王に匹敵する規模の古墳であることから、 稲目の墓である可能性が指摘されている。