小窓
武内宿禰(たけしうちのすくね/たけうちのすくね/たけのうちのすくね)

作成日:2023/4/25

武内宿禰
たけのうちのすくね
時代  上古
生年  西暦84年
      景行天皇14年)
没年  不詳
主君  景行天皇成務天皇
      仲哀天皇応神天皇
      仁徳天皇
父親  屋主忍男武雄心命または
      比古布都押之信命
母親  影媛(山下影日売)
兄弟  甘美内宿禰
配偶者 葛比売
墓所  不詳
 
武内宿禰(たけしうちのすくね/たけうちのすくね/たけのうちのすくね) 

武内宿禰(景行天皇14年 - 没年不詳)は、記紀に伝わる古代日本の人物。
生年の景行天皇14年は、『日本書紀』成務天皇3年正月己卯(7日)条に成務天皇と同日の生まれと記載されることによる。

日本書紀』では「武内宿禰」、 『古事記』では「建内宿禰」、 他文献では「建内足尼」とも表記される。
「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意とされる。

景行成務仲哀応神仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。 紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。

子には、
羽田矢代、許勢小柄、蘇我石川、平群木菟、紀角、久米能摩伊刀比売、怒能伊呂比売、葛城襲津彦、若子宿禰
がいる。

系譜

『日本書紀』景行天皇紀[原 1]では、屋主忍男武雄心命と、菟道彦(紀直遠祖)の女の影媛との間に生まれたとする[2]。孝元天皇紀[原 2]では、孝元天皇(第8代)皇子の彦太忍信命を武内宿禰の祖父とすることから、武内宿禰は孝元天皇三世孫にあたる。なお、応神天皇紀[原 3]では弟(母は不明)として甘美内宿禰の名が見える。

『古事記』[原 4]では、孝元天皇皇子の比古布都押之信命(彦太忍信命)と、宇豆比古(木国造)の妹の山下影日売との間に生まれたのが建内宿禰(武内宿禰)であるとし、孝元天皇皇孫にあてる[2]。同書においては、異母兄弟(長幼不詳)として味師内宿禰(甘美内宿禰)の名が見える。

子に関して、『日本書紀』[原 5]では平群木菟宿禰のみ親子関係が明示されている。一方『古事記』では、次の7男2女と後裔27氏を掲載する[2](括弧内は日本書紀の名称で、日本書紀にて記述がない場合はなしと表示)。

なお武内宿禰の系譜に関しては、 武内宿禰が後世(7世紀後半頃か)に創出された人物と見られることや、 稲荷山古墳出土鉄剣によれば人物称号は「ヒコ → スクネ → ワケ」と変遷するべきで襲津彦の位置が不自然であることから、 原系譜では武内宿禰の位置には葛城襲津彦があったとする説がある。