小窓
物部尾輿(もののべのおこし)

作成日:2023/3/21

物部尾輿
もののべのおこし
時代  古墳時代
生年  不詳
没年  不詳
主君  安閑天皇
      宣化天皇
      欽明天皇
氏族  物部大連
父親  物部荒山
母親  不詳
妻   弓削倭古娘
      阿佐姫
      加波流姫
 
西暦534年安閑天皇元年)、 廬城部枳莒喩の娘が尾輿の首飾りを盗み、 皇后・春日山田皇女に献上した事件が発覚し、 この事件とのかかわりを恐れた尾輿は、 皇后に配下の部民を献上した(「幡媛が物部尾輿の首飾りを盗んだ事件」)。
欽明天皇が即位した際に、大連に再任されている。 西暦539年欽明天皇元年)、 大伴金村が任那4郡を百済に割譲したことを非難し、 金村を失脚させて、 政界から引退させた。 西暦552年欽明天皇13年)の聖王(聖明王)から仏像や経典などが献上された時(仏教公伝)には、 中臣鎌子と共に廃仏を主張し、 崇仏派の蘇我稲目と対立した。

幡媛が物部尾輿の首飾りを盗んだ事件

幡媛が物部尾輿の首飾りを盗んだ事件

日本書紀(巻第十八)』によると、 西暦535年(安閑天皇元年閏12月)。
廬城部枳莒喩の娘・幡媛(はたひめ)が物部尾輿瓔珞(ようらく/くびたま=玉を連ねて作った首飾り)を偸み取って、 安閑天皇皇后の春日山田皇后に献上したという事件があった。

事が発覚したため、廬城部枳莒喩は幡媛を采女丁(うねめのよほろ=采女の召使い)として献上し(春日部采女とのちに呼ばれるようになった)、 安芸国の過戸(あまるべ)(広島県安芸郡府中町の多家神社あたりに当たる)の廬城部屯倉(いおきべのみやけ)を安閑天皇にさしだして、娘の贖罪をした。

もっともこのことで恐れを抱いたのは、物部尾輿側もであって、 事が自分に原因があることでもあったため、不安に感じた。 そこで用心して、大和国の十市部(といちべ)、 伊勢国の来狭狭(くささ)村・登伊(とい)村の贄土師部(にえのはしべ)、 筑紫国の胆狭山部を献上したという。