伊勢国(いせのくに)/ 勢州(せいしゅう) 現在の三重県の北中部、愛知県弥富市の一部、愛知県の一部、岐阜県の一部。
東海道の一国。
国力区分は
大国、
遠近区分は
近国。
語源は「伊呂勢(=弟)」であり、出雲の分派としての機能から発達したという説がある。また、海に近いことから「イソ」が転じたとする説もある。
表記例としては、「伊世国」も見られる(『
続日本紀』天平勝宝4年10月8日条)。
『
日本書紀』などの
倭姫命伝説では美し国(うましくに)と称された。
『伊勢国風土記』逸文によると、
神武東征の際に派遣された
天日別命が、
国津神(土着の勢力)の伊勢津彦(イセツヒコ)を追放して伊勢平定を復命し、
これを喜んだ
神武天皇が神の名「イセ」にちなんで命名したとされる。
大和政権の勢力がこの地域にまでおよんだことを神格化したものと考える説がある。
宝賀寿男は、伊勢津彦後裔の国造一族の動向から、
弥生時代後期に
神武天皇の勢力に追われて東国へ逃れた神狭命の史実がその実態であると主張した。
なお
天日別命は伊勢国造になったとされる。
7世紀の
孝徳天皇の時代に、
島津
国造、伊賀
国造、佐那県造、度逢県造、川俣県造、壱志県造、飯高県造、阿野県造の領域も含んだ伊勢国造の領域を中心に成立した。
西暦680年(
天武天皇9年7月)に伊賀国を分置した。
8世紀はじめまでに志摩国を分立したが、
その正確な時期は不明である。
分立当初、
熊野灘に面した沿岸部(現在の南伊勢町にあたる地域)は志摩国に属していたが、
西暦1582年(
天正10年)、
伊勢国司の北畠信雄と紀伊新宮城主の堀内氏善が荷坂峠を境として、
伊勢国度会郡と紀伊国牟婁郡に編入したため、
志摩国は現在の鳥羽市・志摩市だけの地域となった。