幡媛が物部尾輿の首飾りを盗んだ事件
『
日本書紀(巻第十八)』によると、
西暦535年(安閑天皇元年閏12月)。
廬城部枳莒喩の娘・幡媛(はたひめ)が
物部尾輿の
瓔珞(ようらく/くびたま=玉を連ねて作った首飾り)を偸み取って、
安閑天皇皇后の
春日山田皇后に献上したという事件があった。
事が発覚したため、
廬城部枳莒喩は幡媛を采女丁(うねめのよほろ=采女の召使い)として献上し(春日部采女とのちに呼ばれるようになった)、
安芸国の過戸(あまるべ)(広島県安芸郡府中町の多家神社あたりに当たる)の廬城部屯倉(いおきべのみやけ)を
安閑天皇にさしだして、娘の贖罪をした。
もっともこのことで恐れを抱いたのは、
物部尾輿側もであって、
事が自分に原因があることでもあったため、不安に感じた。
そこで用心して、
大和国の十市部(といちべ)、
伊勢国の来狭狭(くささ)村・登伊(とい)村の贄土師部(にえのはしべ)、
筑紫国の胆狭山部を献上したという。