但馬国(たじまのくに)/ 但州(たんしゅう) 現在の兵庫県北部。
山陰道の一国。
国力区分は
上国、
遠近区分は
近国。
『
古事記』には「多遅摩国」と記載される。但馬の歴史的仮名遣いは「たぢま」。
のちに但馬国となる地域には以下の2つの国造が置かれていた。
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但遅麻国造(たじまのくにのみやつこ、たじまこくぞう)
のちの但馬国東部にあたる地域(のちの朝来郡・養父郡周辺にあたる)を支配した。
氏族は但馬氏。
『先代旧事本紀(国造本紀)』によれば第13代成務天皇の代に竹野君同祖の彦坐王(第9代開化天皇皇子)の五世孫である船穂足尼を国造に定めたという。
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二方国造(ふたかたのくにのみやつこ、ふたかたこくぞう)
のちの但馬国西部にあたる地域を支配した。
但馬国には二方郡の名が残り、
西暦1896年(明治29年)七美郡と二方郡の地域をもって発足した美方郡の現在の郡域(香美町・新温泉町)の周辺が二方国造の支配地域である。
『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば但遅麻国造と同じ成務天皇朝に出雲国造同祖の遷狛一奴命の孫である美尼布命を国造に定めたという。
こののち、
のちの丹波国・丹後国・但馬国の3国にあたる地域は丹波国造の支配地域である丹波国となった。
但馬国は
7世紀後半に丹波国より8郡を分割して成立したとする説もあるが確証はない。
『
日本書紀(
西暦675年(
天武天皇4年)条)』に国名がみえるので、
この頃成立したと推定されている。