日本列島における東西の政権にとって最前線と位置付けられることが多い。
考古学的には4世紀後半に甲府盆地南縁に東海地方経由で畿内色の影響を受けた甲斐国造墓と見られる甲斐銚子塚古墳を代表とする大型古墳が立地しており、
中央のヤマト王権の東国における進出拠点になっている。
古代には支配の中心地が盆地東部の東郡地域へ移る。
???以降の記述と甲斐国との関連がわからない。???
西暦762年???たぶん西暦がまちがっている???(神護景雲2年)に、
全国から9人の善行の人が選ばれ孝養を受賞理由にして税を免ぜられた者の中に、
八代郡(肥後国の郡)の小谷直五百依の名が見られる。