小窓
眉輪王(まよわのおおきみ)

作成日:2023/5/8

眉輪王(まよわのおおきみ) 西暦450年允恭天皇39年) - 西暦456年安康天皇3年8月)

眉輪王は、『記紀』に伝えられる5世紀頃の皇族(王族)。
目弱王とも。
父は大草香皇子(おおくさかのみこ。仁徳天皇の皇子)、 母は中蒂姫命(なかしひめのみこと。履中天皇の皇女)。

記紀』によれば、 父の大草香皇子が罪無くして安康天皇に誅殺された後、 母の中蒂姫命は安康天皇の皇后に立てられ、 眉輪王は連れ子として育てられた。
西暦456年安康天皇3年8月)、 年幼くして(記に7歳とする)楼(たかどの)の下で遊んでいた王は、 天皇と母の会話を残らず盗み聞いて、 亡父が天皇によって殺されたことを悟り、 熟睡中の天皇を刺殺する(眉輪王の変)。
その後、 坂合黒彦皇子と共に円大臣の宅に逃げ込んだが、 大泊瀬皇子(後の雄略天皇)の兵に攻められ、 大臣の助命嘆願も空しく、 諸共に焼き殺されたという。