藤原広嗣の乱(ふじわらのひろつぐのらん)
藤原広嗣の乱は、奈良時代に起きた内乱。
藤原広嗣が政権への不満から九州の
大宰府で挙兵したが、
官軍によって鎮圧された。
事件の背景
藤原不比等政権の末期から、
日本は
新羅に
朝貢させることで安定した外交関係を築き、
それを前提とした軍事縮小を行い経済的な余裕を持った。
続く長屋王も軍縮路線を継承したが藤原四兄弟に討たれてしまう。
藤原四兄弟は唐と対立する渤海と同盟し、
唐を支援する
新羅に軍事的圧力をかける外交方針を取った。
それに伴い、西海道に節度使を置き大規模な演習を行うなど、
軍事拡張路線に転じた。