小窓
伊賀国(いがのくに)

作成日:2023/3/20

伊賀国(いがのくに)/ 伊州(いしゅう)。かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。

東海道の一国。 国力区分は下国、 遠近区分は近国。 現在の三重県西部(伊賀市・名張市)。
別称は伊州となっているが、 一文字目が「伊」の国は他にも、 伊豆国(豆州)・伊勢国(勢州)・伊予国(予州)があり、
また二文字目が「賀」の国は加賀国(加州)がある。

律令制以前
律令制以前は伊賀国造の領域であったとされる。
飛鳥時代
令制国設置に伴い当国域をも含む伊勢国が成立し、その後680年(天武天皇9年)に伊勢国から分立した。当初は2郡だったが、後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の4郡になった。
室町時代・安土桃山時代
おおむね仁木氏が伊賀守護をつとめたが、支配力は緩く、地侍による自治が進むが、織田氏により制圧された(天正伊賀の乱)。 第二次天正伊賀の乱ののち、伊賀3郡を織田信雄が、残りの1郡を織田信包が領することになった[1]。 この頃に600を越える土塁付の屋敷が作られ、忍者の発生へとつながった。徳川家康が「神君伊賀越え」を実行したことでも知られる。
江戸時代
江戸時代には藤堂家の領国の一部となり、伊賀国一帯は伊勢津藩の領土となった。

赤:伊賀国 緑:東海道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)