伊賀国(いがのくに)/ 伊州(いしゅう)。かつて日本の地方行政区分だった
令制国の一つ。
東海道の一国。
国力区分は
下国、
遠近区分は
近国。
現在の三重県西部(伊賀市・名張市)。
別称は伊州となっているが、
一文字目が「伊」の国は他にも、
伊豆国(豆州)・伊勢国(勢州)・伊予国(予州)があり、
また二文字目が「賀」の国は加賀国(加州)がある。
- 律令制以前
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律令制以前は伊賀国造の領域であったとされる。
- 飛鳥時代
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令制国設置に伴い当国域をも含む伊勢国が成立し、その後680年(天武天皇9年)に伊勢国から分立した。当初は2郡だったが、後に阿拝郡、山田郡、伊賀郡、名張郡の4郡になった。
- 室町時代・安土桃山時代
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おおむね仁木氏が伊賀守護をつとめたが、支配力は緩く、地侍による自治が進むが、織田氏により制圧された(天正伊賀の乱)。
第二次天正伊賀の乱ののち、伊賀3郡を織田信雄が、残りの1郡を織田信包が領することになった[1]。
この頃に600を越える土塁付の屋敷が作られ、忍者の発生へとつながった。徳川家康が「神君伊賀越え」を実行したことでも知られる。
- 江戸時代
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江戸時代には藤堂家の領国の一部となり、伊賀国一帯は伊勢津藩の領土となった。