メソポタミアは、「川のあいだ」(メソ=間、ポタモス=川)を意味し、
チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野である。現在のイラクの一部にあたる。
特に南部(ティグリス・ユーフラテス両河の下流)は「
肥沃な三日月地帯」の一部となっている洪積平野が広がり、
メソポタミア文明が形成された。
古代メソポタミア文明は、
メソポタミアに生まれた複数の文明を総称する呼び名で、
世界最古の文明であるとされてきた。
最初の農耕・牧畜が始まり、
その中から青銅器を持ち、
楔形文字を用い、
多神教に基づく神殿(ジッグラト)を中心とした都市文明が生まれ、
六十進法や太陰暦などの文化が形成された。
このメソポタミア文明はエジプト文明とともに、ひろくオリエント文明を構成してる。
文明初期の中心となったのは民族系統が不明のシュメール人である。
地域的に、
北部がアッシリア、
南部がバビロニアで、
バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、
下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。
南部の下流域であるシュメールから、
上流の北部に向かって文明が広がっていった。
土地が非常に肥沃で、
数々の勢力の基盤となったが、
森林伐採の過多などで、
上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、
農地として使えない砂漠化が起きた。
古代メソポタミアは、多くの民族の興亡の歴史である。
例えば、シュメール、バビロニア(首都バビロン)、アッシリア、アッカド(ムロデ王国の四つの都市のひとつ)、
ヒッタイト、ミタンニ、エラム、古代ペルシャ人の国々があった。
古代メソポタミア文明は、紀元前4世紀、
アレクサンドロス3世(大王)の遠征によってその終息をむかえヘレニズムの世界の一部となる。