稲飯命(いないのみこと)。
鸕鶿草葺不合尊の第2子、
神武天皇(
鸕鶿草葺不合尊の第4子)の次兄。
『
日本書紀』では「
稲飯命」や「
彦稲飯命」、
『
古事記』では「
稲氷命」と表記される。
『
日本書紀』・『
古事記』によれば、
鸕鶿草葺不合尊と、
海神の娘の
玉依姫との間に生まれた第二子(第三子とも)である。
兄に
彦五瀬命、
弟に三毛入野命・神日本磐余彦尊(
神武天皇)がいる。
『
日本書紀』では、
稲飯命は
神武東征に従うが、
熊野に進んで行くときに暴風に遭い、
「我が先祖は天神、母は
海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、
「鋤持(さいもち)の神」になったとする。
『
古事記』では事績の記載はなく、
稲氷命は妣国(母の国)である海原へ入り坐(ま)したとのみ記されている。
稲飯命について『
日本書紀』には「鋤持神(さいもちのかみ)」と見えるが、
関連して『
古事記』の神話「山幸彦と海幸彦」でも「佐比持神(さいもちのかみ)」とあり、
これらは鰐(わに)の別称とされる。
『
古事記』の神話では、
山幸彦(火折尊/火遠理命)は
海神宮から
葦原中国に送ってくれた一尋和邇(一尋鰐)に小刀をつけて帰したという。
また以上から、
「さい」とは刀剣を指すとも考えられ、
鰐の歯の鋭い様に由来するとされる。
特に『
日本書紀』神代上では「韓鋤(からさい)」、
推古天皇20年条では「句禮能摩差比(クレイノウマサヒ)」などと見えることから、
朝鮮半島と大陸から伝来した利剣を表すともいわれる。
また『
新撰姓氏録』に見えるように、
稲飯命には
新羅王の祖とする異伝がある。
これに関連する朝鮮側の記述として、
12世紀の『三国史記』「
新羅本紀」において、
脱解尼師今(第4代
新羅王;昔氏王統の初代)の出自について倭国東北千里の「多婆那国」とする記事があり、
これを
丹波国と関連づける説がある。
ただし高麗時代に一然が書いた歴史書『三国遺事』では、
その出身地は「龍城国」であるとする。