小窓
稲飯命(いないのみこと)

作成日:2023/4/7

稲飯命(いないのみこと)。  鸕鶿草葺不合尊の第2子、神武天皇鸕鶿草葺不合尊の第4子)の次兄。

日本書紀』では「稲飯命」や「彦稲飯命」、 『古事記』では「稲氷命」と表記される。

日本書紀』・『古事記』によれば、 鸕鶿草葺不合尊と、 海神の娘の玉依姫との間に生まれた第二子(第三子とも)である。 兄に彦五瀬命、 弟に三毛入野命・神日本磐余彦尊(神武天皇)がいる。 『日本書紀』では、 稲飯命神武東征に従うが、 熊野に進んで行くときに暴風に遭い、 「我が先祖は天神、母は海神であるのに、どうして我を陸に苦しめ、また海に苦しめるのか」と言って剣を抜いて海に入って行き、 「鋤持(さいもち)の神」になったとする。
古事記』では事績の記載はなく、 稲氷命は妣国(母の国)である海原へ入り坐(ま)したとのみ記されている。

稲飯命について『日本書紀』には「鋤持神(さいもちのかみ)」と見えるが、 関連して『古事記』の神話「山幸彦と海幸彦」でも「佐比持神(さいもちのかみ)」とあり、 これらは鰐(わに)の別称とされる。 『古事記』の神話では、 山幸彦(火折尊/火遠理命)は海神宮から葦原中国に送ってくれた一尋和邇(一尋鰐)に小刀をつけて帰したという。 また以上から、 「さい」とは刀剣を指すとも考えられ、 鰐の歯の鋭い様に由来するとされる。 特に『日本書紀』神代上では「韓鋤(からさい)」、 推古天皇20年条では「句禮能摩差比(クレイノウマサヒ)」などと見えることから、 朝鮮半島と大陸から伝来した利剣を表すともいわれる。

また『新撰姓氏録』に見えるように、 稲飯命には新羅王の祖とする異伝がある。
これに関連する朝鮮側の記述として、 12世紀の『三国史記』「新羅本紀」において、 脱解尼師今(第4代新羅王;昔氏王統の初代)の出自について倭国東北千里の「多婆那国」とする記事があり、 これを丹波国と関連づける説がある。
ただし高麗時代に一然が書いた歴史書『三国遺事』では、 その出身地は「龍城国」であるとする。