葦原中国(あしはらのなかつくに)/
葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)
豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)/
中津国/
中つ国(なかつくに)
葦原中国は、人々が住む地上のこの世界のことである。
『
記紀』の伝承において、
この地上が、
高天原と黄泉国との中間に位置しているためにつけられた神話上の名称。
中国には「中心の国」という意味もある。
「葦原」とは葦の葉がざわざわと無気味にさわぐ未開の地を示し、
荒ぶる
国津神が
蟠踞する混沌とした無秩序の世界であった。
そこはまた人間生活の中心地に対する野蛮な周辺部でもあり、
死者が住むとされた山や原始林地帯との中間の地でもあった。
だからこそ
天孫によって平定されるわけであるが、
その際にこの中国(なかつくに)を代表する舞台として「出雲」が選ばれたのは、
出雲国が聖なる中心地である大和からみて日の没する西の辺境に位置したからであり、
神話的には黄泉国に接するとされたからである。
日本神話によれば、
須佐之男命の粗暴に心を痛めた姉の
天照大御神は
天岩戸に隠れてしまい世の中が混乱してしまった。
このため、八百万の神々は協議の結果、
須佐之男命に千位置戸(通説では財物、異説では拷問道具)を納めさせ、
鬚を切り、手足の爪を抜いて高天原から追放したとされる。
(『
古事記』では
神逐、
『
日本書紀』では
逐降と称する)。
須佐之男命の子孫または息子である大国主神が、
少名毘古那神と協力して天下を経営し、
禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、
葦原中国の国作りを完成させたといわれる。
その後
天照大御神の使者達に国土を
天孫・
瓊瓊杵尊に譲渡することを要請され、
息子の事代主神と建御名方神の了承・降伏を受け、
宮殿の建築と引き換えに大国主神は杵築(きづき)の地に隠退、
後に出雲大社の祭神となっている。
また『
日本書紀』には服従しない神々を殺戮し、
最終的に事代主神と大物主神が帰順したとされる。
これを受け、
天孫が豊葦原中津国に天降りした。