小窓
ウガヤフキアエズ

作成日:2020/2/25

鵜葺草葺不合命/鸕鶿草葺不合尊
うがやふきあえずのみこと
地神五代(第五代)
日向三代(第三代)
     
神祇  天津神
陵所  吾平山上陵
父親  火折尊山幸彦
母親  豊玉姫
配偶者 玉依姫
子   彦五瀬命
      稲飯命
      三毛入野命、
      彦火火出見尊神武天皇
宮   西洲の宮
神社  鵜戸神宮など
 
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)は日本神話の神。 地神五代の五代目、日向三代の三代目。
神武天皇の父親である。

彦火火出見尊(火折尊、山幸彦の子。 母は豊玉姫
先代旧事本紀』によれば異母弟に武位起命がいる。
玉依姫との間に彦五瀬命稲飯命、 三毛入野命、彦火火出見尊神武天皇)を得た。
父の山幸彦(火折尊)と末子(神武天皇)は同名の「彦火火出見尊」である。
久しくして崩じ吾平山上陵に葬られた。

なお、鵜戸神宮(宮崎県日南市⇒地図)はこの時の産屋の跡と伝えられる。

神話での記述

日本書紀』によれば、 鸕鶿草葺不合尊が誕生した産屋は全て鸕鶿(う)の羽を草(かや)としてふいたが、 屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ、 草(かや)につつまれ波瀲(なぎさ)にすてられた。

これにより、 母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)」と名付けたという。

事績は『日本書紀』『古事記』ともになく、系譜上のみの存在である。

親族

『日本書紀』は、鸕鶿草葺不合尊が崩御した地を「西洲の宮(にしのくにのみや)」と記す。

陵・霊廟

陵(みささぎ)は、 宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されている。
宮内庁上の形式は洞穴。

埋葬地は、 日本書紀に「日向の吾平山上陵」と記載があるが、 その伝承の地は南九州各地にある。
明治7年に明治政府は、 それらの中から旧薩摩藩の学者の意見を参考に鹿児島県鹿屋市(旧 肝属郡吾平町)鵜戸山を流れる姶良川に開いた岩窟「鵜戸窟」内の2つの塚を吾平山上陵に治定した。
現在は宮内庁書陵部が管轄している(他の日向三代の神陵も鹿児島県内に治定)。

しかし日向国の人々からの反論が強く、 国学者や宮内庁の調査によって、 明治29年に鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。
他に宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もある。

古史古伝

『ウエツフミ』「竹内文献」『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝をウガヤフキアエズ王朝という。
一般的には古史古伝全般が偽書とみなされており、 実在したとは考えられていない。