駿河国(するがのくに)/ 駿州(すんしゅう) 現在の静岡県中部。
東海道の一国。上国。
国力区分は
上国、
遠近区分は
中国。
もと珠流河国造(するがのくにのみやつこ)、
廬原国造(いほはらのくにのみやつこ)の二つの国造(くにのみやつこ)があった。
珠流河国造は『旧事本紀』にみえ、
のちの駿河郡を中心にした地方であったと思われる。
廬原国造も『旧事本紀』にみえ、
『
新撰姓氏録』には廬原国があり、
のちの廬原郡を中心とした地方であった。
古代この地における豪族廬原君(公)について天平9年(西暦737年)の『駿河国正税帳』『日本書紀』『
続日本紀』『
新撰姓氏録』が記している。
大化改新以降に成立した駿河国にはのちの伊豆国も含まれていたとみられ、
その分離は『扶桑略記』に天武9年(西暦680年)とある。
国府、国分寺は現在の静岡市に置かれた。
『
延喜式』には志太郡、
益頭郡(ましつぐん)、
有度郡(うどぐん)、
安倍郡、
廬原郡、
富士郡、
駿河郡の 7郡を載せている。