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父親:孝安天皇 母親:忍鹿比売『古事記』
『古事記』では、
大吉備諸進命が第1皇子で、
大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が第2皇子となっているが、
『日本書紀』では、
この大吉備諸進命は登場しない。
つまり、
『日本書紀』では大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が第1皇子となっている。
Wikipediaによる「押媛」の記述の「氏族」の項に「和邇氏(わにうじ)」と書いてある。
「和邇氏」を調べると、 出自は「天足彦国押人命」つまり「押媛」の夫であると書かれている。
別にもう一つ、
「和邇氏」の祖は「武振熊命(たけふるくまのみこと)」であるとなっている。
「武振熊命」は、
『日本書紀』3月5日条によると、
皇后と皇子(後の応神天皇)に対して反乱を起こした忍熊王を討つため、
武内宿禰とともに遣わされたとする。
このことから、
「武振熊命」は西暦200年ごろの人物。
「押媛」は孝安天皇皇后なので紀元前400年ごろの人物である。
ひとこと。「押媛」はなぜ「和邇氏」の人物なのか理解できない。
ただし、 最後に書いてある「駿河浅間大社の大宮司家(富士氏)は和爾部姓で和邇系図を伝え・・・」では、
「押媛」の弟は「和爾日子押人命」で大倭和邇里に居る
らしい。