小窓
宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)

作成日:2023/5/28

宇摩志麻遅命
うましまぢのみこと
次代  弥生時代
生没年 不詳
別名  可美麻手命、味間見命、
      味嶋乳命
官位  足尼、申食国大夫
主君  神武天皇
氏族  穂積臣、物部連等の祖
父親  邇芸速日命
母親  登美夜毘売
配偶者 師長姫
子   味饒田命彦湯支命
 

『古事記』:宇摩志麻遅命(うましまぢのみこと)
『日本書紀』:可美眞手命(うましまでのみこと)
『先代旧事本紀』:味間見命(うましまみのみこと)

宇摩志麻遅命は、物部氏、穂積氏、采女氏らの祖とされる人物。 邇芸速日命が那賀須泥毘古の妹である登美夜毘売を娶って生んだ子で、 『先代旧事本紀』では天香山命(あめのかぐやまのみこと。尾張氏の祖)が異母兄であり、 彦湯支命の父であると伝える。

先代旧事本紀』によれば、 始め那賀須泥毘古に従っていたが、 神武天皇の東征に際して那賀須泥毘古を殺し天皇に帰服し、 以後自らの部族である物部を率いて皇城守護の任に当たったという。 神武天皇即位の後、 饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝を献上し、 それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、 これを後世の鎮魂祭の初めとしている。

物部神社の社伝によれば、 美濃国・越国を平定した後に石見国で没し、 現在の社殿の裏に埋葬されたという。 越国の平定は、 異母兄の天香山命の事績として知られる(彌彦神社を参照)。 これら物部神社や彌彦神社では、 宮中でも行われる鎮魂祭が行われていることでも知られる(石上神宮も同様)。
鈴木眞年の『史略名称訓義』では、ウマシマジは大和国十市郡に居て天皇に天瑞宝を献じ、 この正統は同郡穂積里に居て穂積の姓を負いそれより物部氏などが分かれたとし、 ウマシマジの正統は穂積氏としている。

年表

784年允恭天皇10年)