石見国(いわみのくに / いはみのくに)/ 石州(せきしゅう) 現在の島根県西半部。
山陰道の一国。
国力区分は
中国、
遠近区分は
遠国。
もと石見国造が支配。国府、国分寺ともに現在の浜田市にあった。
万葉の歌人柿本人麻呂は和銅、
神亀の頃、
この国の鴨山で没したといわれている。
『
延喜式』には安濃 (あの) 、
邇摩 (にま) 、
邑知 (おおち) 、
那賀 (なか) 、
美濃 (みの) 、
鹿足 (かのあし) の6郡がみえ、
『和名抄』には郷 36、田 4884町余があげられている。
鎌倉時代、
初め佐々木定綱が守護となり、
次いで建仁2年(1202年)、
藤原兼高が任じた。
兼高は美濃郡益田に住して益田氏を称し、
その子孫は周布氏、
三隅氏となり、
この地方に割拠した。
南北朝時代には正平年間 (西暦1346年~西暦1370年) 大内氏が守護、
次いで石見銀山が発見されると足利直冬が領有。
やがて大内、
尼子、
毛利がこれを争い、
豊臣秀吉はこれを直轄領とした。
弘治1年(西暦1555年)以降、毛利氏領。
徳川家康は慶長6年(西暦1601年)、
大久保長安を奉行として銀山の事にあたらせ、
産銀は激増した。
江戸時代にはこのほか亀井氏の津和野藩と浜田氏の浜田藩とがあった。
明治4年(1871年)、
廃藩置県により浜田県となったが、西暦1876年に島根県に合併。