元謀原人(げんぼうげんじん) 中国簡体字:元谋人、中国繁体字:元謀人
ホモ・エレクトスyuanmouensis
元謀原人は、
約170万年前に、
中華人民共和国・
雲南省・元謀県の元謀盆地に生息していたホモ.エレクトスの
亜種である。
これは
中国で最初の人間の化石である。
西暦1965年雲南省北部の険しい山の中にある元謀県上那蚌村の西北にある小高い丘の上で2本の人の上顎門歯が発見された。
西暦1973年、
歯が見つかった近くの地層で7つの石英の石器と動物化石と炭化した火の使用の痕跡が発見された。
西暦1976年7月25日、
これらの化石は古磁気測定によりおよそ170万年前とされた。
しかしながら、この化石が今からおよそ50から60万年前とする学者もいる。
ジャワ原人とは、
ウジェーヌ・デュボワが
西暦1891年にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニールで発見した化石人類に対する通称である。
年代は 170 - 180万年前ごろと推定されていたが、
最新の研究では130万年前ごろとされている。
かつては Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名で呼ばれていたが、
西暦2012年現在はヒト属に分類され、
Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種の一つ Homo erectus erectus(ホモ・エレクトス・エレクトス)と位置付けられている。
オーストラリア先住民などに進化したとする研究者もいたが、
現生人類の直接の祖先はアフリカに生息していたホモ・エレクトスの別の亜種(または独立種ホモ・エルガステル)であって、
アジアにいた北京原人やジャワ原人は直接の祖先ではないとする意見が支配的である。
脳頭骨は小さく、
脳容量も900 cc程度と推定された。
対照的に眼窩上隆起は大きく、
額は現代人のように丸く膨らまないで低く倒れたように傾斜するなど、
原始的な特徴が多いが、
大腿骨はまっすぐで長く、
現代人によく似ていた。
そのため、
両者は別の時代に由来するのではないかと疑われたこともあった。
顔面は幅広く平坦で、
ヨーロッパの同時期の原人(ホモ・ハイデルベルゲンシス)は顔幅が小さいなど、
はっきりとした違いが見られる。
ピテカントロプス・エレクトスはピテクス(サル)+アントロプス(ヒト)であり、
直立する猿人を意味するので、
かつては「直立猿人」と呼ばれたこともある。
また、ホモ・エレクトスは直立するヒトを意味する。
...
19世紀後半、
ドイツの生物学者ヘッケルは、
東南アジア方面で人類の進化が起こったことを主張し、
ピテカントロプスという学名も用意していた。
ほとんどの学者は無視したが、
アムステルダム大学解剖学講師だったデュボアはこの説を信じ、
ピテカントロプスを見付けるため軍医に転職しインドネシアに渡って発掘を行なった。
その結果、
西暦1891年に脳頭骨と大腿骨を発見し、
Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名を与えた。
しかし保守的な学者の多くは否定的であった。
西暦1920年代になって北京原人が発見されるに及び、
当時わかっていた最古の人類の一員として認められた。
その後も、
第二次世界大戦をはさんで何体分かの化石が発見されたが、
多くは脳頭骨で、
下顎などがわずかに出土したに過ぎない。
だが、
西暦1971年に顔面(上顔部)の大部分が残った頭骨が見つかり、
ジャワ原人の特徴解明に大きな成果があった。
インドネシアのフローレス島で発見されたホモ・フローレシエンシス(約1万2000年前まで生息していたと推定され、小型のヒト属の新種とする説もある)については論争が続いている。
ホモ・フローレシエンシスをホモ・エレクトスの子孫とする説もある。
化石はオランダのライデンにある国立自然史博物館に保管されている。
またガンドンで発掘されたソロ人は、
ジャワ原人の子孫である可能性が高い。
ワイデンライヒ、
ウォルポフらは、
現代のアボリジニとソロ人が酷似した写真を提示している。
北京原人(ぺきん げんじん)とは、
中華人民共和国北京市房山県周口店竜骨山の森林で発見された
化石人類である。
学名はホモ・エレクトス・ペキネンシス(Homo erectus pekinensis)。
西暦2015年現在はホモ・エレクトス (Homo erectus) の亜種として扱われる。
(旧学名は、シナントロプス・ペキネンシス(Sinanthropus pekinensis))
北京原人を含むホモ・エレクトスが生きていた時代は
更新世中期である。
従来は上記の化石の年代は約50万年前とされていたが、
最新の研究では約68万-78万年前と推定されている。
周口店の北京原人遺跡はユネスコの世界遺産として登録されている。
研究史
西暦1921年にスウェーデンの地質学者 ユハン・アンデショーンとオットー・ズダンスキーが人類のものと思われる歯の化石を発見した。
さらに、
その後の調査で西暦1929年12月2日、
中国の考古学者 裴文中が完全な頭蓋骨を発見した。
結果的に合計十数人分の原人の骨が発掘された。
しかし、
日中戦争の激化により、
化石は調査のためにアメリカへ輸送する途中に紛失した。
紛失の前に協和医学院の客員解剖学教授であったドイツ出身の学者F・ワイデンライヒがすでに詳細な記録や研究を残しており、
レプリカが現存しているので、
これが今日の北京原人の研究資料となっている(西暦1966年に頭蓋骨破片2個と歯1本が発掘されている)。
彼を含め、
北京原人を現生人類(アジア人)の祖先とする考えがあった。
西暦2012年現在では、
現代人のミトコンドリアDNAの系統解析により否定されている。
北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつであるが、
現生人類の祖先ではなく、
何らかの理由で絶滅したと考えられている。
石器や炉の跡が同時に発見されていることから、
石器や火を利用していたとも考えられている。
また、
動物の骨が近くに見つかったことから、
それらを焼いて食べていたという説もある。
さらに、
原人の骨自体が粉々にされていたので、
北京原人の間では食人の風習もあったという説もまた有力であった。
しかし、
レプリカに残っていた食痕からハイエナ類によるものであるという見解が提出された。
額が現代人に比べ、
なだらかに傾斜し、
後頭部の骨は突き出していた。
類人猿でも現代の人間でもない、その進化の過程の原人だとされた。
骨の行方
西暦1941年以降に行方不明となった骨の化石については、
多くの仮説を生み謎のままとなっている。
西暦1970年代にはオーストラリアの実業家が情報提供者に15万ドルの懸賞金を出すと公表すると、
骨らしきものがシドニー美術館に持ち込まれたが、
本物と断定するには至らなかった。
ネアンデルタール人は、約20万年前に
ヨーロッパで生息していた
化石人類。
ホモ=ネアンデルターレンシス。ドイツのネアンデル渓谷で発見された。
4~3万年前まで生存し、
ホモ=サピエンスとも共存したが、絶滅した。
化石人類の中のでも最も早く、
西暦1856年、
ドイツのネアンデル谷(谷をドイツ語でタールという)で発見され、
その後
ヨーロッパから
西アジア各地に広く分布しており、
最もよく知られた
化石人類である。
かつては旧人に属する人類とされていがたが、
現在の
化石人類学では、
ホモ属に属すと考えられており、
学名はホモ=ネアンデルターレンシスと言われるようになっている。
記事
ネアンデルタール人の文化
ネアンデルタール人は毛皮をまとい、
洞窟に住み、
石器を使い、
狩猟採集生活を行っていた。
石器は打製石器である剥片石器の技術を使っている。
これは、
ルヴァロワ式石器ともいわれる旧石器文化が最も発達した形式である。
ネアンデルタール人の遺跡からは、
石器で肉を引き剥がされ、
骨がたたき割られた人骨が出土する。
これは彼らが食人を行っていた証拠とされる。
一方で、
明らかに埋葬された人骨が見つかっており、
家族や部落の仲間の死を悼む心を持っていた。
頭蓋骨の内側の形で大脳皮質がどの程度発達しているかが判り、
前頭葉が一定の大きさに達していたこと、
喉や胸骨の構造も現代人とほとんど同じであることなどから、
複雑な石器の製造や、
狩猟での集団作業で言葉を使ったことは十分考えられる。
しかし、
抽象的、
象徴的言語を用いることはなかっただろう。
ネアンデルタール人の絶滅
ネアンデルタール人は3万年前頃までに絶滅し、
現生人類(ホモ=サピエンス)への置換が行われたと考えられているが、
最近の研究では両者はかなり長い時期にわたり併存関係にあったとされる。
しかし両者の間に敵対関係や、
逆に混血などの関係があったのかどうかについては諸説あるが、
いまのところ不明である。
(ネアンデルタール人がどこかに生存していると真面目に考えている学者もいる。)
- ネアンデルタール人の最新知見
-
おそらくネアンデルタール人は、
ホモ=ハイデルベルゲンシスがアフリカからヨーロッパ、
中国まで分布を広げ、
そのうちのヨーロッパの集団の一部から進化した。
スペインのクエバ・マヨール洞窟では、
約30万年前のハイデルベルゲンシスの化石が見つかっているが、
眼窩上隆起が高いなどネアンデルタール人的特徴が見られ、
その祖先かもしれない。
約12万年前の温暖期に急増した、
約7万年前の寒冷期に地中海岸に南下し、
遺跡数も減少、
約6万年前の温暖化で再び増加しヨーロッパ北部に広がった。
しかし、
4万8000年前の寒冷化で人口が減少し始め、
4万7000年前にはホモ=サピエンスがヨーロッパに侵入してきたためか、
約4万年前までには絶滅した。
(絶滅した時期は約3万年前とされていたが、年代測定の精度が高まり、現在では訂正されている)。
ネアンデルタール人の特徴は脳容積が大きいことであり、
ハイデルベルク人の1250ccを上回り、
1550ccほどある。
石器は天然樹脂を使って石器を枝の先に付けるようになり、
25万年前からは槍として使い始めている。
それによってゾウ(当時ヨーロッパにいた鼻のまっすぐなゾウ)を狩ることもあった。
<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.172-177>
- ネアンデルタール人の弱点
-
ネアンデルタール人は私たちよりも骨格が頑丈で、
がっしりした体格だった。
ある研究では、
ネアンデルタール人の基礎代謝量は、
ホモ=サピエンスの1.2倍と見積もられている。
基礎代謝量というのは、
生きていくために最低限必要なエネルギー量のことで、
だいたい寝ているときのエネルギーと考えればよい。
つまりネアンデルタール人は、
何もしないでゴロゴロしているだけで、
ホモ=サピエンスの1.2倍の食料が必要なのだ。
もしも狩猟の効率を両者で同じたとしたら、
ネアンデルタール人はホモ=サピエンスより、
1.2倍も長く狩りをしなければならない。
<更科功『絶滅の人類史―なぜ「私たち」は生き延びたか』2018 NHK出版新書 p.214>
発見の経緯
ネアンデルタール人が洪積世の人類化石であると認められるのには45年かかった。
西暦1856年、
ドイツの高校教師フールロットは、
デュッセルドルフの近くのネアンデル渓谷で掘り出されたという古い人骨を、
頭骨の形や脳の容積から見て原始時代の人類の骨であると確信し、
「ノアの洪水で溺れ死んだ人」の骨だと学会で発表した。
しかし大学教授たちは、
「絶滅した特殊な人類の一種」であるとか、
「ナポレオン戦争で戦死したコサック兵の遺骨」、
「クル病にかかって変形した老人の骨」などとしてフールロットの説を認めなかった。
ダーウィンの進化論が発表される西暦1858年よりも前のことだった。
フールロットは自説が認められないままこの世を去り、
ようやく死後24年経った西暦1901年、
ドイツの解剖学者シュワルベによってネアンデルタール人が化石人骨であることが認められた。
その後、
同じような化石が多数発見された。
「進化」の概念も導入されたからだった。
ホモ=サピエンスとの共存
現在知られている人類進化の過程に関する学説で最も一般的なのは、
アフリカに生まれたホモ=エレクトゥス(原人)が約60万年前に枝分かれしてハイデルベルク人が現れ、
その一部が中東・ヨーロッパに広がってネアンデルタール人となった、
というものである。
また長い間、
ネアンデルタール人はヨーロッパにおいてクロマニヨン人に進化したと考えられてきたが、
人類学の進歩によってその見方は現在では否定されている。
また西暦1940年代にはネアンデルタール人を独立した種ではなく、
ホモ=サピエンスの亜種であるとして、
ホモ=サピエンス=ネアンデルターレンシスという学名が与えられたが、
それも現在は否定されており使われなくなっている。
現在では、
現生人類つまりホモ=サピエンス(新人)もハイデルベルク人から枝分かれした系統から生まれ、
ユーラシア各地に拡散し、
その中から生まれたクロマニヨン人がネアンデルタール人と共存しながら次第にそれを駆逐し、
ネアンデルタール人は3万年前ごろに滅亡した、
と考えられている。
ネアンデルタール人とクロマニヨン人が共存していたという興味深い遺跡が、
イスラエルのカルメル山周辺でいくつも見つかっている(そのうちの一つのアムッド遺跡は日本隊が発掘した)。
<奈良貴史『ネアンデルタール人類のなぞ』2003 岩波ジュニア新書/内村直之『われら以外の人類』2005 朝日選書 などによる>
Episode 新しいネアンデルタール人像
ネアンデルタール人には凶暴な野人というイメージがつきまとっていた。
最近になってそのような思いこみは訂正されつつある。
イラクのシャニダール洞窟では家族生活を営み、
仲間を手厚く葬っていたり、
病人を介護していた様子がうかがわれる。
また日本の人類学者赤澤威はシリアのデデリエ洞窟で発掘した子どもの人骨をもとに全身を復元し、
彼らの心性に迫っている。
アメリカのある学者は、
「もしネアンデルタール人がわれわれと同じ格好をして隣に座っていても気がつかないだろう」といっているという。
そんな考えで復元された人物が最初の化石の発見地に建てられたネアンデルタール博物館に展示されている。
<赤澤威編著『ネアンデルタール人の正体』朝日選書 2005 p.29-54>
ネアンデルタール人 VS クロマニヨン人?
ネアンデルタール人は原人段階の資質を多く引継ぎながら新たな特徴を身につけ、
ヨーロッパを中心とした寒冷な気候に適応して生きてきた。
しかし、
われわれ現代人の先祖でありアフリカに生まれたホモ=サピエンスの一派であるクロマニヨン人が、
後期旧石器の技術を身につけてヨーロッパにやってきた。
ネアンデルタール人はクロマニヨン人とどのような交流があったか不明だが、
次第にその居住地域を譲っていき、
遅くとも2万7000年頃には地球上から姿を消した。
現在のところ、
最も新しいネアンデルタール人類の人骨はイベリア半島のサファイラ洞窟から見つかっているが、
ジブラルタル海峡を越えた気配はない。
一方、
ヨーロッパの主役となったクロマニヨン人は狩猟技術を向上させ、
洞窟絵画などの芸術性を伴う新たな文化を身につけて、
人類の文明を形成していく。
なぜこのような違いがでたのか? ネアンデルタール人はなぜ消滅したのか? これは現在でも大きな謎であり、
さまざまな仮説が立てられている。
クロマニヨン人と混血して吸収されたという説、
クロマニヨン人との闘争で滅ぼされたとする説などがあるがいずれも証明されていない。
ネアンデルタール人の絶滅が教えること
結局、
ネアンデルタール人の絶滅した理由は謎であるが、
大筋は長い時間の中で「食料を手に入れる技術の差などがちょっとした生存率の差を生み、
それが次第に彼らの人口を減らしていったのではないか」<内村前掲書p.242>、
あるいは寒冷条件に極限まで適応してきわめて小さな人口集団で暮らしていた彼らが、
パワフルな現代人のパワーに呑み見込まれて消滅した<赤澤前掲書 p.85-86 第2章地球から消えた人々(片山一道)>、
といったところであろう。
また、
「ある時期を境にして、持ち続けてきた古い形質と自分たちの形質とで飽和状態になり、新たに適応するのが困難になってしまったのではないか」<奈良 前掲書 p.162>という指摘もある。
それではわれわれ現代人はどうだろうか?
文明を極端に発達させたわれわれは、
さて電気が使えない、
携帯が使えないとなったとき、
果たして生き延びることができる力を持っているのだろうか。
西暦2011年の東日本大震災での津波、
原発事故、
停電という事態の中で、
かつて地球上から姿を消した「人類」がいたことは何らかの示唆になると思われる。
ホモ・エレクトス(Homo erectus)
ホモ・エレクトスまたは
ホモ・エレクトゥスは、
更新世に生きていたヒト科の一種である。
かつては
ピテカントロプス・エレクトスと呼ばれていたが、
現在はホモ属(ヒト属)に含められている。
形態的特徴として、ホモ・ハビリス種に比べ額の傾斜がゆるく、
大きな頭蓋の容量を持つ。
脳容量は950ミリリットルから1100ミリリットルで、
現生人類の75%程度。
また、歯はより小さく、現代人に近い。
行動面では、
それ以前の人類が使っていたオルドワン石器よりも精巧なアシューリアン石器を作り、
使用していた。
ホモ属に含められる前は
ピテカントロプス・エレクトス(Pithecanthropus erectus)と呼ばれていた。
この学名はジャワ原人発見の際に作られた。
ピテカントロプスはギリシャ語のピテコス(pitekos 猿)、
アントロポス(anthropos 人類)の合成語であり、
猿人を意味した。
現在はピテカントロプス属は廃止され、
ジャワ原人の現在の学名はホモ・エレクトス・エレクトス(Homo erectus erectus)であり、
ホモ・エレクトスの亜種である。
種分類の異論
近年では、かつてホモ・エレクトスに含められていた以下の化石を別種とすることが多いが、亜種とすることもある。
- ホモ・エルガステル(ホモ・エルガスター H. ergaster)
- トゥルカナ・ボーイを始めとするアフリカの化石
- ホモ・ハイデルベルゲンシス(H. heiderbergensis)
- ハイデルベルク人。より発達した特徴を持っている。
- ホモ・アンテセッサー(ホモ・アンテセッソール H. antecessor)
- ハイデルベルク人に近いが時代が古い。
研究史
- 西暦1890年代にウジェーヌ・デュボワがジャワ島でジャワ原人を発掘し、ピテカントロプス・エレクトスと名付けた。
- 西暦1948年 ロビンソン・タルボットが南アフリカのスワートクランズ(Swartkrans)でホモ・エレクトスの化石を発見し、ロバート・ブルームと共に発表。
- 西暦2014年 Josephine Joordensらがインドネシアのトリニール遺跡(Trinil)で約50万年前の貝殻の化石に史上最古の「掘り刻んだ跡」を発見。
ホモ=ハイデルベルゲンシス(Homo heidelbergensis:ハイデルベルクのヒト)
ホモ=エレクトゥスがアフリカの外に広がったあと、
アフリカに新たに出現した人類がハイデルベルク人(ホモ=ハイデルベルゲンシス)である。
はっきりした系統関係はわからないが、
おそらくホモ=エレクトゥスの一部から進化し、
約70万年前に登場し、約20万年前まで生きていた。
その化石はアフリカの他、
ヨーロッパや中国でも見つかっている。
脳容量は約1100~1400ccで、現生人類(1400cc)に近い。
がっしりした体型や高い眼窩上隆起などの特徴はネアンデルタール人に似ている。
これらから、
ホモ=ハイデルベルゲンシスからネアンデルタール人とホモ=サピエンス(現生人類)が分かれて進化したと考えられている。
藍田原人(らんでんげんじん)
藍田原人は、
中国・陝西省南部、
漢中に近い険しい秦嶺山脈の山中、
渭南専区藍田県(現在は西安市に属す)の洩湖郷の陳家窩遺跡(西暦1963年発見)と九間房郷の公王嶺遺跡(西暦1964年発見)によって構成される藍田遺跡から人の頭蓋骨と下顎骨が発見された。
発掘は中国科学院によって行われ、
チョッピング・ツール(敲打器(こうだき))などが伴出した。
この化石は推定およそ100万年前~70万年前のものであるとされている。
また、この上の新しい地層からはスクレイパーなどの石器が発見された。
化石周辺からは熱帯系のイノシシ、パンダなどの動物が発見された。
藍田原人も北京原人などと同様にアジアに進出したものの、
子孫を残さずに絶滅したホモ・エレクトスの一群であり、
厳密には現代の人類の祖先ではない。
低頭で
頭蓋容量(脳容積)は780ミリリットルと推定され、
平均的な原人ホモ・エレクトスの化石だった。
眼窩(がんか)上隆起が著しく発達し、
眉間(みけん)で左右の隆起が連続している。
眼窩の後方で頭骨は大きく狭まる。
左右の下顎第三大臼歯(きゅうし)が先天的に欠如しているが、
この時代のものとしてはきわめて珍しい。