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押媛(おしひめ)

作成日:2023/4/13

押媛
おしひめ
身位  孝安天皇皇后
皇后  紀元前367年
      (孝安天皇26年2月14日)
皇太后 紀元前290年
      (孝霊天皇元年1月12日)
生没年 不詳
氏族  和邇氏???
父親  天足彦国押人命
母親 
子女  大吉備諸進命
      孝霊天皇
 
押媛(おしひめ)は古代日本の人物。

異表記として「忍鹿比売命(おしかひめのみこと)」、 「押媛命(おしひめのみこと)」などが存在する。
古事記』、『日本書紀』、『先代旧事本紀』など各史料に登場する女性で、 孝安天皇の皇后として孝霊天皇大吉備諸進命を生む。 天足彦国押人命の娘かつ孝安天皇の姪とされる。

ただし『日本書紀』第1の一書での孝安天皇の皇后は、 「磯城県主葉江」の娘である「長媛(ながひめ)」で、 第2の一書では「十市県主五十坂彦」の娘である「五十坂媛(いさかひめ)」とされている。

駿河浅間大社の大宮司家(富士氏)は和爾部姓で和邇系図を伝えており、 真偽は詳らかでないが、 孝昭天皇の皇子天足彦国押人命の子として「押媛命(一に忍鹿比売命、母は建田背命の妹 宇那比媛命也。孝安天皇の皇后)弟 和爾日子押人命(一に稚押彦命、母同上。大倭和邇里に居る)」と記載されている。

年表

784年允恭天皇10年)


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関連項目
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大吉備諸進命(おおきびのもろすすみのみこと)

父親:孝安天皇 母親:忍鹿比売『古事記』

『古事記』では、 大吉備諸進命が第1皇子で、 大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が第2皇子となっているが、 『日本書紀』では、 この大吉備諸進命は登場しない。
つまり、 『日本書紀』では大日本根子彦太瓊尊(孝霊天皇)が第1皇子となっている。

Wikipediaによる「押媛」の記述の「氏族」の項に「和邇氏(わにうじ)」と書いてある。

「和邇氏」を調べると、 出自は「天足彦国押人命」つまり「押媛」の夫であると書かれている。

別にもう一つ、 「和邇氏」の祖は「武振熊命(たけふるくまのみこと)」であるとなっている。
「武振熊命」は、 『日本書紀』3月5日条によると、 皇后と皇子(後の応神天皇)に対して反乱を起こした忍熊王を討つため、 武内宿禰とともに遣わされたとする。
このことから、 「武振熊命」は西暦200年ごろの人物。 「押媛」は孝安天皇皇后なので紀元前400年ごろの人物である。

ひとこと。「押媛」はなぜ「和邇氏」の人物なのか理解できない。

ただし、 最後に書いてある「駿河浅間大社の大宮司家(富士氏)は和爾部姓で和邇系図を伝え・・・」では、

「押媛」の弟は「和爾日子押人命」で大倭和邇里に居る

らしい。