遠智娘
おちのいらつめ
時代 | : | 飛鳥時代 |
生没年 | : | 不詳 |
父親 | : | 蘇我倉山田石川麻呂 |
母親 | : | |
姉妹 | : | 姪娘 |
配偶者 | : | 天智天皇 |
子女 | : | 建皇子(夭折) |
| | 大田皇女 |
| | 鸕野讚良皇女(持統天皇) |
孫 | : | 大来皇女 |
| | 大津皇子 |
| | 草壁皇子 |
| | |
遠智娘(おちのいらつめ) 生没年不詳
飛鳥時代の豪族蘇我氏の蘇我倉山田石川麻呂(
蘇我入鹿の従兄弟)の娘。
またの名を造媛、美濃津子娘、越智娘とも伝えられている。
遅くとも、
大化の改新以前(
西暦644年という説有り)に
中大兄皇子(のちの
天智天皇)に嫁した。
妹に姪娘がおり、
同じく
中大兄皇子に嫁して
御名部皇女と
阿閇皇女(後の
元明天皇)の二女を産む。
同じ
天智天皇に嫁いだ蘇我赤兄の娘の常陸娘と
天武天皇に嫁いだ大蕤娘とは従姉妹にあたる。
当時、彼女は
古人大兄皇子の娘で
天智天皇の皇后である
倭姫王に次ぐ高貴な血筋の夫人であった。
西暦649年(
大化5年)、
父の蘇我倉山田石川麻呂が謀反の密告をされて自害。
この事件は夫である
中大兄皇子の陰謀であるという説が有力である。
享年は定かではないが、建皇子を産んで間もなく亡くなったとの説が多い。