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能登国(のとのくに)

作成日:2023/3/19

能登国(のとのくに)/ 能州(のうしゅう)。かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。

北陸道の一国。 国力区分は中国、 遠近区分は中国。 現在の能登半島(石川県北部)。

成務朝に能等国造が置かれ、 次いで雄略朝に羽咋国造が置かれた。
西暦718年養老2年5月2日)に越前国から羽咋郡、 能登郡、 鳳至郡、 珠洲郡の四郡を分立して成立した。
西暦741年天平13年12月10日)に越中国に併合されたが、 西暦757年天平宝字元年)に再び分立した。

また、西暦980年天元3年)、 『和名抄』の編纂で有名な源順が能登国守として赴任している。

能登郡の名称は後に鹿島郡へと改められた。

江戸時代には大部分が加賀藩領であったが、 一部に幕府領(旗本領を含む)があった。 また、一時的に譜代の小藩が設置されているが(能登下村藩・能登西谷藩)、 いずれも短期間で廃止されている。

赤:能登国 緑:。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)

沿革

近代以降の沿革

「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での国内の支配は以下の通り[注釈 2](666村・275,361石余)。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。 羽咋郡(191村・91,031石余) - 幕府領、旗本領、加賀藩 鹿島郡(150村・85,947石余) - 幕府領、旗本領、加賀藩 鳳至郡(250村・64,961石余) - 幕府領、加賀藩 珠洲郡(75村・33,421石余) - 幕府領、加賀藩 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[1]。 明治4年 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が金沢県の管轄となる。 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、全域が七尾県の管轄となる。 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。