糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ) 生年不詳 -
西暦664年(
天智天皇3年6月)
田村皇女『日本書紀』
宝王、糠代比売王『古事記』
糠手姫皇女は、
古墳時代末期から
飛鳥時代にかけての皇族。
同母姉妹には太姫皇女がいる。
西暦590年前後頃に異母兄の
押坂彦人大兄皇子と結婚。
夫の
押坂彦人大兄皇子は
敏達天皇の第一皇子だったが、
蘇我氏が勢威を振るっていた中、王位につけないまま死去した。
『
日本書紀』によれば、
推古天皇の代において、
その従兄弟にあたる厩戸皇子(
聖徳太子)が皇太子・摂政として天皇を助けていた。
そのため、
長男の
田村皇子には王位継承の可能性はなかったが、
田村皇子が
蘇我馬子の娘・
法提郎女と結婚し
古人大兄皇子を儲けたこと、
厩戸皇子が先に死去したことなどもあり、
明確な後継者の指定はされなかったものの、
蘇我氏の力を背景に
西暦629年(
舒明天皇元年)に即位(
舒明天皇)し、
糠手姫皇女は天皇の母となった。
母の父・伊勢大鹿首小熊については、
『
延喜式』から伊勢国に地盤を持つ豪族だったのではないかとの意見がある。
なお、葛城皇子の祖母にあたり飛鳥嶋宮に住んだことから、死後に嶋皇祖母命と称された。