小窓
糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)

作成日:2023/6/21

糠手姫皇女
ぬかでひめのひめみこ
生年  不詳
没年  西暦664年
      天智天皇3年6月
父親  敏達天皇
母親  伊勢大鹿首菟名子
配偶者 押坂彦人大兄皇子
子女  舒明天皇
      中津王
      多良王
 
糠手姫皇女(ぬかでひめのひめみこ)  生年不詳 - 西暦664年天智天皇3年6月)
田村皇女『日本書紀』
宝王、糠代比売王『古事記』

糠手姫皇女は、 古墳時代末期から飛鳥時代にかけての皇族。 同母姉妹には太姫皇女がいる。 西暦590年前後頃に異母兄の押坂彦人大兄皇子と結婚。

夫の押坂彦人大兄皇子敏達天皇の第一皇子だったが、 蘇我氏が勢威を振るっていた中、王位につけないまま死去した。

日本書紀』によれば、 推古天皇の代において、 その従兄弟にあたる厩戸皇子(聖徳太子)が皇太子・摂政として天皇を助けていた。 そのため、 長男の田村皇子には王位継承の可能性はなかったが、 田村皇子蘇我馬子の娘・法提郎女と結婚し古人大兄皇子を儲けたこと、 厩戸皇子が先に死去したことなどもあり、 明確な後継者の指定はされなかったものの、 蘇我氏の力を背景に西暦629年舒明天皇元年)に即位(舒明天皇)し、 糠手姫皇女は天皇の母となった。

母の父・伊勢大鹿首小熊については、 『延喜式』から伊勢国に地盤を持つ豪族だったのではないかとの意見がある。
なお、葛城皇子の祖母にあたり飛鳥嶋宮に住んだことから、死後に嶋皇祖母命と称された。