小窓
箭田珠勝大兄皇子(やたのたまかつのおおえのみこ)

作成日:2023/5/18

箭田珠勝大兄皇子
やたのたまかつのおおえのみこ
続柄  欽明天皇第1皇子
生年  不詳
没年  西暦552年
      欽明天皇13年4月)
父親  欽明天皇
母親  石姫皇女
 
飛鳥時代の皇族。 『古事記』では八田王。 欽明天皇の第一皇子で、 母は宣化天皇の皇女・石姫皇女敏達天皇の同母兄。

「大兄」の称号を有するところから、欽明天皇の皇嗣であったと思われる。 しかし、政治的事績は何も伝わっておらず、 『日本書紀』巻十九、欽明天皇13年4月(西暦552年)に
箭田珠勝皇子薨(みう)せぬ

とあるだけで、死因などは不明である。

欽明天皇任那復興のために朝鮮半島に軍を派遣しており、 その甲斐もなく、 西暦562年欽明天皇23年)には任那の日本府が新羅によって滅亡させられている。 そのことと何か関係があるのだろうとも想像される。

皇子の薨去した年に百済の聖明王が釈迦仏の金銅像一体と、 幡蓋若干、経論若干巻を献上したと『書紀』にはあり、 蘇我稲目が向原の家を浄めはらって寺として仏像を崇めたところ、 (『元興寺縁起』によると1年後に)「疫病」が大流行し、 夭折するものが数多く出て、 治療することが叶わなかったために、 物部尾輿中臣鎌子が天皇の承諾を得て、 向原寺に放火して伽藍を灰燼と化し、 仏像を難波の堀江に流して廃棄している。

皇子が八田皇女の矢田部を継承していたとする説もある。