媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)『
日本書紀』
富登多多良伊須須岐比売命/比売多多良伊須気余理比売 『
古事記』
「日本書紀」によれば、
「姫蹈韛五十鈴姫命」、
「媛蹈韛五十鈴媛命」として登場する。
事代主神の娘で、
神武天皇の初代皇后であり、
神八井耳命(かんやいみみのみこと)、
神渟名川耳尊(かんぬなかわみみのみこと)、
綏靖天皇を生んだという。
「古事記」には富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすずきひめの)命、
比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)とあり、
美和の大物主神の娘という。
『古事記』では、神武天皇崩御ののち、
手研耳命は、媛蹈鞴五十鈴媛命を自らの妻とし、神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命のあいだに生まれた嫡子である皇子たちを暗殺しようとする。
これを察した媛蹈鞴五十鈴媛命は、子供たちに身の危険を知らせるために和歌を2首詠んで送ったという。
これらの寓意歌により「
手研耳命の反逆」の意図を知った嫡子たちは、逆に先手を打って手研耳命を討ち取った。
その際に最も活躍した神沼河耳命が皇位を継ぎ、2代天皇(綏靖天皇)として即位した。
『日本書紀』にしたがえば、綏靖天皇元年正月8日に媛蹈鞴五十鈴媛命は「
皇太后」を称するようになったという。
綏靖天皇は自分の母である媛蹈鞴五十鈴媛命の実妹である(綏靖天皇からみると叔母にあたる)
五十鈴依媛命を正妃として迎えた。
ただしこれには異伝があり、綏靖天皇の妃となった人物を
河俣毘売とするものや皇后を
糸織媛とするものがある。
蹈鞴の「蹈」は足でふむという意味を持つ字で、「鞴」は「ふいご」のことである。
「蹈鞴」とかいて「たたら」と読み、大きなふいご(足で踏んで風を送る道具)のことである。
このことから、神武天皇は媛蹈鞴五十鈴媛命を后として手に入れた。
つまり、「たたら製鉄を手に入れた」とする説がある。