『延喜諸陵式』の陵墓歴名には墓所の記載がない。 奈良県奈良市田中町にある黄金塚陵墓参考地(帯解黄金塚古墳、方墳)は近辺に残る「トネリ坂」などの地名から舎人親王墓の有力候補地と目されてきたが、 西暦2009年(平成21年)2月の発掘調査により、 7世紀半ば頃の飛鳥時代の築造と推定され、 親王の薨去した年代とは整合しないことが判明した。
他の伝承墓として、
親王開基と伝える松尾寺(大和郡山市)の十三重塔(鎌倉時代)や、
現在の伏見稲荷大社(京都市伏見区)の地にあった藤尾社(天皇塚跡、社は藤森神社に遷座)などが知られる。
また、南都奉行所の『和州拾五郡郷士衆徒国民姓氏実録』によれば、
奈良市春日山の二つの峯のうち、
昔から南側の少し高い峯を高峯と呼び、
その高峯に親王の廟所があるという。