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周防国(すおうのくに)

作成日:2023/3/13

周防国(すおうのくに)/ 防州(ぼうしゅう)・周州(しゅうしゅう) 現在の山口県東南半分。

山陽道の一国。 国力区分は上国、 遠近区分は遠国

藤原宮藤原京)木簡に「周方国」・「周防国」と表記。 平城宮平城京)木簡に「周芳国」・「周防国」と表記。

7世紀に周芳国として設けられ、 7世紀末に周防国に改称した。 『日本書紀』では、 西暦681年天武10年)の「周芳国、赤亀を貢ず」が初見で、 『続日本紀』では西暦697年文武天皇元年)に周防国であるが、 翌年には周芳国献銅鉱となっている。 しかし西暦700年文武天皇4年)には周防総領任官の記述が有るのでどちらも使われていたと思われる。

読みは長く「すおう」、ハ行転呼が起きる前は「すはう」と言われてきた。 「周芳」を「すは」と読むか、「すはう」と読むのか定説はない(日本歴史地名体系)。

赤:山陽道 緑:山陽道。(Wikipediaのsvgファイルへリンク)

沿革

古代には大島国造(大島郡)、 周防国造(熊毛郡、玖珂郡)、 波久岐国造(吉敷郡)、 都怒国造(都濃郡)、 佐波県主(佐波郡)が設置された。
しかし、波久岐国造は設置時期の伝承や近隣の佐波県主との関係に疑問があり、 伯耆国造の重複記事と見る説もある。

その後、これら国造国と県が合併されて律令国として成立し、 大島郡、熊毛郡、都濃郡、佐波郡、吉敷郡の五郡からなったが、 西暦721年養老5年)に熊毛郡から玖珂郡が分けられ、 六郡となった。

7世紀代と考えられているが、 光市大和町と田布施町の境にある標高約360メートルの石城山(いわきさん)に山城が築かれた。 これが学術用語でいう神籠石(こうごいし)という遺跡である。 石城山には延喜式内社である石城神社が山頂に鎮座しその本殿は国の重要文化財に指定されている。

周防国は中世に入っても勢力の変遷は少なく、 執権北条氏一族の支配から幕府滅亡によって大内氏の支配が続き、 中世末に入って毛利氏の領国となって明治維新を迎えた。