『古事記』では静貝王/貝蛸王(しずかいのみこ)。
聖徳太子のいとこであり妃となった。
だが、子もなく結婚後まもなく逝去したと思われる。
同母弟に竹田皇子・尾張皇子(聖徳太子の妃・橘大郎女の父)、
同母妹に小墾田皇女(
押坂彦人大兄皇子妃)・
田眼皇女(後の舒明天皇妃)・
桜井弓張皇女(
押坂彦人大兄皇子及び
来目皇子の妃か)らがいる。
『
日本書紀』において、
西暦578年(
敏達天皇7年)に「菟道皇女」が伊勢神宮に任じられて、
すぐに犯されたため解任されたと記されているが、
菟道貝蛸皇女と同一人物であるかは定かでない。