小窓
来目皇子(くめのみこ)

作成日:2023/6/14

来目皇子
くめのみこ
時代  飛鳥時代
生年  不詳
没年  推古天皇11年2月4日
      (西暦603年3月25日)
      筑紫国島郡
埋葬  河内国埴生山岡上
      (現・大阪府羽曳野市)
配偶者 由波利王
      比里古郎女
父親  用明天皇
母親  穴穂部間人皇女
役職  新羅大将軍
 
来目皇子(くめのみこ)、飛鳥時代の皇族。久米王とも。
用明天皇の第4皇子。 同母兄に聖徳太子がいる。

推古天皇10年(西暦西暦602年)2月に任那を滅ぼした新羅に対する新羅征討計画が立てられた際、 征新羅大将軍として軍25,000を授けられる。 4月に軍を率いて筑紫国に至り、島郡に屯営したが、 6月に病を得て新羅への進軍を延期とした。 征討を果たせぬまま、翌年の西暦603年推古天皇11年)2月4日に筑紫にて薨去。 周防の娑婆(遺称地は山口県防府市桑山:桑山塔ノ尾古墳参照)に殯し、 土師猪手がこれを管掌した。

河内国埴生山(はにゅうのやま)岡上に葬られた。
現在、墓は大阪府羽曳野市はびきの3丁目の塚穴古墳(方墳・一辺約50m)に比定され、 宮内庁の管理下にある。