小窓
田眼皇女(ためのひめみこ)

作成日:2023/6/18

田眼皇女
ためのひめみこ
生没年 不詳
父親  敏達天皇
母親  推古天皇
配偶者 舒明天皇(妃)
子女  不詳
 
田眼皇女(ためのひめみこ)

同母の兄弟姉妹に菟道貝蛸皇女(聖徳太子妃)、 竹田皇子、 小墾田皇女(押坂彦人大兄皇子妃) 鸕鶿守皇女、 尾張皇子(橘大郎女父)、 桜井弓張皇女(押坂彦人大兄皇子及び来目皇子の妃か)らがいる。

甥の舒明天皇の妃となり、 子女は不詳とされている。
父・敏達天皇西暦585年9月14日(敏達天皇14年8月15日)に崩御したことと、 同母妹に桜井弓張皇女がいることから判断すると、 遅くとも敏達天皇14年の生まれとなり、 西暦593年推古天皇元年)生まれと言われる夫の舒明天皇より8歳以上年上となる。

なおかつ桜井弓張皇女は田眼皇女の同母妹であるにも拘らず、 押坂彦人大兄皇子舒明天皇の父)の妃となったと言われる。

日本書紀(舒明紀)』には舒明天皇の后妃紹介記事に載せられていないことや、 敏達推古両天皇の皇女である彼女よりも天皇との血統が遠い(敏達天皇の曾孫)宝女王(のちの皇極天皇)が舒明天皇の皇后とされている点から、 舒明天皇即位前に亡くなったと推測される。 ただし、宝女王が実際に舒明天皇の皇后であったのかを疑う説もあり、 舒明天皇の后妃に関して『日本書紀』の曲筆の可能性も完全には排除できない。