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漢皇子(あやのみこ)
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作成日:2023/6/24
漢皇子
あやのみこ
生没年
:
不詳
父親
:
高向王
母親
:
宝女王
異父弟
:
天智天皇
天武天皇
異父妹
:
間人皇女
漢皇子(あやのみこ) 生没年不詳
飛鳥時代
の皇族。
用明天皇
の孫にあたる
高向王
と、
宝女王
の子。 異父弟に
天智天皇
・
天武天皇
が、異父妹に
間人皇女
がいる。
のちに即位して
皇極天皇
(重祚して斉明天皇)となる
宝女王
が、
田村皇子
(
舒明天皇
)と再婚する前にもうけた子で、 父親は
用明天皇
の孫である
高向王
とされる。 しかし、『
日本書紀
(巻第二十六)』の冒頭以外には登場せず、 夭折したものとも見られている。 その名から東漢直が
資養
にあたったとされ、 父親の
高向王
とともに
蘇我氏
との関係が強かったと思われる。
高向「王」の子であるため、 本来は「皇子」ではなく「王」の身分であるが、 母親の
宝女王
が即位したことから「皇子」と記されている。
宝女王
の生年は
西暦594年
(
推古天皇
2年)と推定されており、 20歳前後の
西暦614年
(
推古天皇
22年)で
高向王
に嫁ぎ、 漢皇子を産んだと仮定し、
舒明天皇
の妃になったのが
天智天皇
の生年
西暦626年
(
推古天皇
34年)から推定して
西暦628年
(
推古天皇
36年)とすると、 約十年あまりの動向が謎である。 この間に
宝女王
が
蘇我氏
の影響の強い夫と生別、 あるいは死別し、
舒明天皇
に嫁ぎ、
蘇我氏
の血統からほど遠い王統を創出したわけであり、
乙巳の変
・
大化の改新
へと繋がったことを考え合わせると非常に重要である。
なお、漢皇子と
天武天皇
を同一人物とする説がある(「天武天皇#生涯」参照)。