高向王(たかむくのおおきみ) 生没年不詳
飛鳥時代の皇族。
用明天皇の孫にあたる。
宝女王の最初の夫で、
漢皇子の父。
『
日本書紀(巻第二十六)』の冒頭部は、
斉明天皇は、
はじめ
用明天皇の孫の高向王に嫁いで
漢皇子を産み、
のちに
舒明天皇に再嫁して皇后となり、
二男一女(
天智天皇・
間人皇女・
天武天皇)を産んだと記している。
高向王の経歴は不明であり、
父も不明であるが、
一説に父親は田目皇子とされている。
『本朝皇胤紹運録』によると、高向王は
用明天皇の皇子とされている。
この場合は
聖徳太子の兄弟となるが、
太子関連の記録にはその名前は見えない。
のちに
斉明天皇となる
宝女王との離別の理由もよく分かっていないが、
天智天皇の生年の
西暦626年(
推古天皇34年)以前の出来事とされ、
田村皇子(
舒明天皇)の即位以前のことであるため、
皇子との結びつきが非常に重要になる。
その名前から高向臣が資養にあたったとされ、
高向国押が蘇我本宗家滅亡の際に
中大兄皇子に対して軍陣を張ったことなどから、
蘇我氏との関係が深かったことが推定される。